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大阪地方裁判所 昭和53年(ワ)2317号 判決 1991年3月29日

総目次

(第一分冊関係)

主文

(認容債権一覧表)

(請求棄却原告目録)

第一編 事案の概要

第一章 請求

第二章 事案の概要

第二編 争いのない事実

第一章 当事者

第二章 被告企業の侵害行為

第三章 本件各道路の侵害行為

第四章 西淀川地域の大気汚染

第五章 疫学

第六章 環境行政

第七章 公健法等による補償給付

第八章 主要な争点

第三編 争点に対する判断

第一章 西淀川地域の大気汚染状況と主要汚染源

第一 西淀川地域の大気汚染の実態

第二 西淀川地域の大気汚染に対する被告らの寄与割合

第三 被告企業の工場・事業所の公害対策

(第二分冊関係)

第二章 西淀川地域の大気汚染と原告らの疾病との因果関係

第一 本件疾病の概要

第二 大気汚染の健康影響に関する研究報告

第三 大気汚染と健康被害との関係についての評価

第四 大気汚染と本件疾病との関係

第五 原告らの本件疾病罹患

第三章 共同不法行為

第一 民法七一九条一項前段の共同不法行為

第二 民法七一九条一項後段の共同不法行為

第三 主観的関連共同性

第四章 被告らの責任

第一 被告企業の責任

第二 被告国・同公団の責任

第五章 損害賠償請求

第一 損害論総論

第二 損益相殺

第三 個別的損害

第四 消滅時効

第六章 差止め請求

(第三分冊関係)

原告らの個別的事情

(第四分冊関係)<省略>

図面・目録・図表・表<省略>

原告(亡實藤雍德訴訟承継人)

中嶋惠子

外一一六名

原告ら訴訟代理人弁護士

井関和彦

真鍋正一

井上善雄

木村澤東

島川勝

辻公雄

津留崎直美

東畠敏明

松井清志

峯田勝次

青山吉伸

赤津加奈美

岩田研二郎

井奥圭介

上山勤

梅田章二

大櫛和雄

小田周治

川谷道郎

岸本達司

櫛田寛一

小林俊康

阪田健夫

佐古祐二

須田滋

関根幹雄

谷智恵子

土本育司

富﨑正人

長野真一郎

早川光俊

秀平吉朗

福本富男

宮原民人

村松昭夫

山川元庸

山本彼一郎

石川元也

石橋一晁

井関和雄

宇賀神直

植木寿子

角谷哲夫

鬼追明夫

木村達也

木村保男

久保井一匡

日下部昇

小林二郎

小山章松

佐藤健二

須田政勝

千本忠一

田原睦夫

滝井繁男

富阪毅

中坊公平

中島馨

中山厳雄

西垣昭利

藤原猛爾

松森彬

松本研三

三木俊博

八代紀彦

若林正伸

加島宏

城塚健之

平山忠

松井忠義

松井元

内田茂雄

馬奈木昭雄

川西譲

木下元二

白川博清

篠原義仁

島内正人

鈴木守

高橋敬

高橋勲

高木健康

高木輝雄

豊田誠

梨木作次郎

大矢和徳

野呂汎

吉野高幸

深草徹

石田正也

小牧英夫

佐藤知健

鈴木堯博

清水善朗

高田新太郎

達野克己

西村隆雄

萩原新太郎

福田光宏

被告

合同製鐵株式会社

右代表者代表取締役

原田利夫

右訴訟代理人弁護士

色川幸太郎

石井通洋

間石成人

被告

古河機械金属株式会社

(旧商号)

(古河鉱業株式会社)

右代表者代表取締役

奥村豊

右訴訟代理人弁護士

中元兼一

中村俊輔

土井廣

岡本秀夫

被告

中山鋼業株式会社

右代表者代表取締役

近藤暾

右訴訟代理人弁護士

平岩新吾

奥西正雄

牛場国雄

被告

関西電力株式会社

右代表者代表取締役

森井清二

右訴訟代理人弁護士

原井龍一郎

吉村修

荒尾幸三

占部彰宏

田中宏

被告

旭硝子株式会社

右代表者代表取締役

古本次郎

右訴訟代理人弁護士

入江正信

山下孝之

千森秀郎

織田貴昭

被告

更生会社日本硝子株式会社管財人

岸星一

右訴訟代理人弁護士

中筋一朗

益田哲生

為近百合俊

被告

関西熱化学株式会社

右代表者代表取締役

佐野陽

右訴訟代理人弁護士

高木茂太市

村田由夫

久保昭人

被告

住友金属工業株式会社

右代表者代表取締役

新宮康男

右訴訟代理人弁護士

松本正一

橋本勝

辰野久夫

尾崎雅俊

被告

株式会社神戸製鋼所

右代表者代表取締役

亀高素吉

右訴訟代理人弁護士

山田忠史

川木一正

松川雅典

被告

大阪瓦斯株式会社

右代表者代表取締役

領木新一郎

右訴訟代理人弁護士

原井龍一郎

吉村修

占部彰宏

田中宏

被告

右代表者法務大臣

左藤恵

被告国指定代理人

伊藤勝則

外二二名

被告

阪神高速道路公団

右代表者理事長

豊藏一

右訴訟代理人弁護士

中川克己

福島正

被告国・同阪神高速道路公団訴訟代理人弁護士

畑守人

被告国・同阪神高速道路公団指定代理人

田中信義

外一一名

主文

一  被告合同製鐵株式会社、被告古河機械金属株式会社、被告中山鋼業株式会社、被告関西電力株式会社、被告旭硝子株式会社、被告関西熱化学株式会社、被告住友金属工業株式会社、被告株式会社神戸製鋼所及び被告大阪瓦斯株式会社は、連帯して、別紙認容債権一覧表記載の原告に対し、同表認容金額欄記載の各金員及び右各金員に対する同表遅延損害金起算日欄記載の各日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告更生会社日本硝子株式会社管財人岸星一と別紙認容債権一覧表記載の原告ら(原告樋口豊美、原告南竹田鶴子、原告西田正勝及び原告今井房子を除く)との間で、右原告らの更生会社日本硝子株式会社に対する一般更生債権が同表更生債権額欄記載の各金額であることを確定する。

三  本件請求の内、次の請求を棄却する。

1  原告らの被告国及び被告阪神高速道路公団に対する金銭支払い請求。

2  別紙請求棄却原告目録の一記載の原告らの被告合同製鐵株式会社、被告古河機械金属株式会社、被告中山鋼業株式会社、被告関西電力株式会社、被告旭硝子株式会社、被告関西熱化学株式会社、被告住友金属工業株式会社、被告株式会社神戸製鋼所及び被告大阪瓦斯株式会社に対する金銭支払い請求。

3  別紙請求棄却原告目録の二記載の原告らの被告更生会社日本硝子株式会社管財人岸星一に対する更生債権確定請求。

4  別紙認容債権一覧表記載の原告らの被告合同製鐵株式会社、被告古河機械金属株式会社、被告中山鋼業株式会社、被告関西電力株式会社、被告旭硝子株式会社、被告関西熱化学株式会社、被告住友金属工業株式会社、被告株式会社神戸製鋼所及び被告大阪瓦斯株式会社に対する金銭支払い請求の内のその余の部分。

5  別紙認容債権一覧表記載の原告ら(原告樋口豊美、原告南竹田鶴子、原告西田正勝及び原告今井房子を除く)の被告更生会社日本硝子株式会社管財人岸星一に対する更生債権確定請求の内のその余の部分。

四  本件訴えの内の差止め請求にかかる部分を却下する。

五  訴訟費用の負担は次のとおりとする。

1  原告らと被告国及び被告阪神高速道路公団との間では全部原告らの負担とする。

2  別紙請求棄却原告目録の一記載の原告らと被告合同製鐵株式会社、被告古河機械金属株式会社、被告中山鋼業株式会社、被告関西電力株式会社、被告旭硝子株式会社、被告関西熱化学株式会社、被告住友金属工業株式会社、被告株式会社神戸製鋼所及び被告大阪瓦斯株式会社との間では全部右原告らの負担とする。

3  別紙請求棄却原告目録の二記載の原告らと被告更生会社日本硝子株式会社管財人岸星一との間では全部右原告らの負担とする。

4  別紙認容債権目録記載の原告らと被告合同製鐵株式会社、被告古河機械金属株式会社、被告中山鋼業株式会社、被告関西電力株式会社、被告旭硝子株式会社、被告関西熱化学株式会社、被告住友金属工業株式会社、被告株式会社神戸製鋼所及び被告大阪瓦斯株式会社との間ではこれを八分し、その一を右被告らの負担とし、その余は右原告らの負担とする。

5  別紙認容債権目録記載の原告ら(原告樋口豊美、原告南竹田鶴子、原告西田正勝及び原告今井房子を除く)と被告更生会社日本硝子株式会社管財人岸星一との間ではこれを一五分し、その一を同被告の負担とし、その余は右原告らの負担とする。

六  この判決の第一項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一編事案の概要

第一章請求

一被告らは各自、

1  被告合同製鐵株式会社(以下単に「被告合同製鉄」という)、同古河機械金属株式会社(以下単に「被告古河機械」という)、同中山鋼業株式会社(以下単に「被告中山鋼業」という)、同関西電力株式会社(以下単に「被告関西電力」という)、同旭硝子株式会社(以下単に「被告旭硝子」という)、同関西熱化学株式会社(以下単に「被告関西熱化学」という)、同住友金属工業株式会社(以下単に「被告住友金属」という)、同株式会社神戸製鋼所(以下単に「被告神戸製鋼」という)、同大阪瓦斯株式会社(以下単に「被告大阪瓦斯」という){以上被告九会社と日本硝子株式会社(以下単に「日本硝子」という)を単に「被告企業」と総称する}及び同更生会社日本硝子管財人岸星一らにおいては、別紙目録(以下単に「目録」という)一(被告企業事業所一覧表)<省略>記載の各事業所において操業することにより、

2  被告国、同阪神高速道路公団(以下単に「被告公団」という)においては、目録二(道路目録)<省略>記載の各道路を自動車の走行の用に供することにより、

それぞれ排出する二酸化窒素、浮遊粒子状物質につき目録三(差止め原告一覧表)<省略>記載の原告らの居住地において左表記載の数値をこえる汚染となる排出をしてはならない。

二被告企業らは、各自、目録一<省略>記載の各事業所において操業することにより排出する二酸化硫黄につき、目録三<省略>記載の原告らの居住地において左表記載の数値をこえる汚染となる排出をしてはならない。

物質

二酸化窒素

浮遊粒子状物質

数値

一時間値の一日平均値〇・〇PPM

(1)一時間値の一日平均値〇・一〇mg/m3

(2)一時間値〇・二〇mg/m3

物質

二酸化硫黄

数値

(1)一時間値の一日平均値〇・〇四PPM

(2)一時間値〇・一PPM

三被告ら(被告更生会社日本硝子管財人岸星一を除く)は、各自、別紙請求債権目録(以下単に「請求債権目録」という)一<省略>記載の原告に対し、同目録記載の金員およびこれに対する平成二年四月一八日(但し、同目録のうち、遅延損害金の起算日欄に記入のある原告は各記載の日)から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

四請求債権目録二<省略>記載の原告らと被告更生会社日本硝子管財人岸星一との間で、右原告らが同目録記載の一般更生債権を有することを確定する。

第二章事案の概要

本件は、大阪市西淀川区に居住し、公害健康被害補償法(以下単に「公健法」という)に定める指定疾病である慢性気管支炎、気管支喘息、肺気腫及び喘息性気管支炎(以下単に「本件疾病」という)の認定を受けた患者らあるいは死亡した患者の相続人らが、西淀川区及びそれに隣接する尼崎市、此花区等に事業所を有する被告企業一〇社と西淀川区内を走行する国道二号線、同四三号線を設置管理する被告国、同区内を走行する阪神高速大阪池田線、同大阪西宮線を設置管理する被告公団に対し、被告企業の事業所の操業及び前記各道路の供用により排出された大気汚染物質により健康被害等の損害を受けたとして、被告らに対し環境基準値を超える大気汚染物質(ただし窒素酸化物については旧基準値)の排出差止めと損害賠償を求めた大気汚染公害訴訟である。

第二編争いのない事実

第一章当事者

第一原告ら

一患者原告

目録三<省略>記載の原告らは、いずれも公健法に定める第一種地域である大阪市西淀川区に居住し、本件疾病の認定を受けている者である。

二承継原告

請求債権目録一<省略>記載の原告番号枝番の原告(原告番号九九番以下の原告を除く)らは、本件訴訟係属後死亡した患者原告らの相続人であり、原告番号九九番以下の原告らは、西淀川区に居住し、本件疾病の認定を受け、その後死亡した患者の相続人であり、それぞれ相続により法定相続分に従いあるいは遺産分割協議により、請求債権目録一<略>の「相続関係」欄記載の各相続分に従い権利義務を承継したものである。

第二被告ら

一被告企業

被告企業らは、目録一<略>の業種欄記載の業務を主要業務とし、事業所(工場)所在地欄記載の事業所を有し、操業し、あるいは操業していた。

なお、右各事業所の位置は別紙図面(以下単に「図面」という)一の①ないし⑱<省略>記載のとおりである。

二被告国

被告国は、目録二<省略>記載の国道二号線、同四三号線を設置し管理しているものである。

三被告公団

被告公団は、阪神高速道路公団法に基づく特殊法人であり、目録二<略>記載の阪神高速大阪池田線及び同大阪西宮線を設置管理するものである。

第三日本硝子関係

日本硝子は、昭和五七年九月一六日、東京地方裁判所において、更生手続開始決定を受け、同日、岸星一がその管財人に選任された。

請求債権目録二<略>記載の原告らは、東京地方裁判所に対し、同目録記載の損害賠償請求権(本件訴訟提起時である昭和五三年四月二〇日までの損害)につき更生債権としての届出をなし、被告更生会社日本硝子管財人岸星一は、昭和五九年四月二五日の第一〇回更生債権調査期日において、右各届出債権につき異議を述べた。

第二章被告企業の侵害行為

第一被告企業らの工場・事業所の立地操業の経過

一被告関西電力

被告関西電力の沿革は、明治二一年神戸電灯の創業に遡る。昭和二六年五月一日、関西電力として発足した。

被告関西電力の操業・設備の経過は別表一―1<略>、本件地域の発電所の発電量の推移は別表一―2<略>に記載のとおりである。

二被告神戸製鋼

被告神戸製鋼尼崎製鉄所の沿革は、昭和七年の株式会社尼崎製鋼所設立に遡る。昭和四〇年被告神戸製鋼が吸収合併して神戸製鋼尼崎工場となり、昭和四五年神戸製鋼尼崎製鉄所と名称変更した。

なお、被告神戸製鋼尼崎製鉄所は、昭和六一年九月をもって全面的に操業を停止した。

被告神戸製鋼尼崎製鉄所の操業・設備の経過は別表二―1<略>、生産高の推移は別表二―2<略>に記載のとおりである。

三被告合同製鉄

被告合同製鉄は、昭和五二年六月一日、大阪製鋼株式会社が大谷重工業株式会社を吸収合併して合同製鐵株式会社と社名変更したものである。

立地操業の経過も旧大阪製鋼と旧大谷重工の二つの系統があり、旧大阪製鋼の沿革は、大正一〇年三月、現在の西淀川区西島町に創業の高石圧延工場に遡り、旧大谷重工尼崎工場の沿革は、昭和一三年の電気炉による製鋼開始に遡る。

旧大阪製鋼西島工場・尼崎工場、旧大谷重工尼崎工場の操業・設備の経過は別表三―1<略>、生産高の推移は別表三―2ないし4<略>に記載のとおりである。

四被告住友金属

被告住友金属の沿革には、伸銅・鋼管業と鉄鋼業の二つの系統がある。

伸銅・鋼管業は、明治三〇年の住友伸銅場の開設に遡り、これが現在の鋼管製造所になる。

鉄鋼業は、民間最初の平炉を設置した日本鋳鋼所を明治三四年買収し住友鋳鋼場としたことに遡り、これが現在の製鋼所になる。

被告住友金属の操業・設備の経過は別表四―1<略>、生産高の推移は別表四―2ないし4<略>に記載のとおりである。

五被告中山鋼業

被告中山鋼業の沿革は、昭和六年に設立された個人企業東京中山薄鉄板工場に遡る。昭和三一年五月出来島工場(昭和四一年大阪工場、同四三年大阪製造所と名称変更)を設け、同年一二月から操業を始めた。

被告中山鋼業の操業・設備の経過は別表五―1<略>、生産高の推移は別表五―2<略>に記載のとおりである。

六被告旭硝子

被告旭硝子の沿革は、明治四〇年九月八日尼崎市に設立された旭硝子株式会社に遡る。

被告旭硝子の操業・設備の経過は別表六―1<略>、生産高の推移は別表六―2・3<略>に記載のとおりである。

七日本硝子

日本硝子の沿革は、大日本麦酒株式会社が、ビール、酒等のガラス瓶の製造を目的として大正五年六月に設立した日本硝子工業株式会社に遡る。

日本硝子尼崎工場の操業・設備の経過は別表七―1<略>、生産高の推移は別表七―2<略>に記載のとおりである。

八被告大阪瓦斯

被告大阪瓦斯は、明治二九年一〇月一〇日設立され、明治三八年九月岩崎工場が竣工し、都市ガスの供給を開始した。

明治三一年一一月大阪舎密工業株式会社舎密工場が都市ガスの供給を開始したが、大正一四年大阪瓦斯に吸収合併された。

被告大阪瓦斯の操業・設備の経過は別表八―1・2<略>、生産高の推移は別表八―3・4<略>に記載のとおりである。

九被告関西熱化学

被告関西熱化学は、昭和三一年八月一日、三菱化成、神戸製鋼所、尼崎製鉄の共同出資で設立された尼崎コークス株式会社として発足し、尼崎製鉄のコークス炉を承継して操業を開始し、昭和五一年六月関西熱化学株式会社と社名変更した。

被告関西熱化学の操業・設備の経過は別表九―1<略>、生産高の推移は別表九―2<略>に記載のとおりである。

一〇被告古河機械

被告古河機械大阪工場の沿革は、大正八年創業の大阪精錬株式会社に遡る。古河鑛業株式会社(平成元年一〇月一日古河機械金属工業株式会社と商号変更)が精錬部門の工場を買入れ、昭和一九年八月から操業を開始した。

被告古河機械大阪工場の操業・設備の経過および会社の変遷は別表一〇―1<略>、生産高の推移は別表一〇―2<略>に記載のとおりである。

第二被告企業ら各工場の生産工程と大気汚染物質の排出機序

一鉄鋼製造業

製鉄工程には、原料の事前処理作業としての焼結工程、銑鉄を製造する製銑工程、鋼を製造する製鋼工程、各種鋼材を製造する圧延工程の四段階の工程が含まれる。

被告企業のうち、被告神戸製鋼尼崎製鉄所と被告合同製鉄大阪製造所は、これらの各工程を同一製鉄所内で一貫して実施する、いわゆる「鉄鋼一貫体制」をとっている。

被告住友金属鋼管製造所・製鋼所、被告中山鋼業大阪製造所、被告合同製鉄尼崎製造所は、製鋼工程、圧延工程を行っている。

1 焼結工程

焼結工程は、高炉に鉄鉱石を装入する前に、粉状の鉄鉱石・コークス・石灰石を混合して、これを焼結炉で焼固め(焼結鉱)、焼結鉱を破砕機・篩・冷却機により一定の大きさに整粒・冷却する工程である。

焼結炉での摂氏一三〇〇度以上の高温燃焼(焙焼)によって、鉄鉱石及びコークス中の硫黄分が酸化され硫黄酸化物が発生する。硫黄酸化物の排出が最も問題になるのはこの工程である。

また、燃料コークス中の窒素分の燃焼による酸化及び高温燃焼に伴う空気中の窒素の酸化により窒素酸化物が発生する。

原料及び焼結鉱をコンベヤーにより輸送する過程で、コンベヤーの中継所や焼結原料槽の切り出し口等で粉じんが発生するほか、焼結鉱の整粒工程中の破砕、ふるい分けの際も粉じんが発生する。

2 製銑工程

製銑工程は、焼結工程によって作られた焼結鉱、鉄鉱石、コークス及び石灰石を高炉に装入して高温で加熱し、炉内で還元、溶解、分離の過程を通して銑鉄を製造する工程である。

高炉に吹き込まれる摂氏一〇〇〇ないし一一〇〇度の熱風は、高炉に付帯している熱風炉でガス、重油等を燃焼して加熱した耐火煉瓦との熱交換で得られる。熱風炉の燃焼時にガス、重油等に含まれる硫黄分が酸化して硫黄酸化物が発生し、高温燃焼によって窒素酸化物が発生する。

出銑口から出た溶銑が、鋳床に掘られた樋を通って溶銑鍋に落とし込まれる際、高温の溶けた銑鉄が空気に触れて酸化鉄粉になったり、炭素の結晶粉となったりして、粉じんが発生する。

3 製鋼工程

製鋼工程は、銑鉄中の不純物を除去し、合金鉄等を添加して目的成分を有する鋼に仕上げる工程である。

転炉は酸素を吹き込んで溶銑の精錬を行い、電気炉は屑鉄を電熱によって溶解し精錬し、平炉は重油等によって燃焼させて精錬を行うものであり、いずれもその過程において硫黄酸化物、窒素酸化物が発生するが、電気炉からの硫黄酸化物の発生は極めて少ない。

溶解・精錬の過程や溶銑を鍋に移す際に、屑鉄、銑鉄、副資材中の可燃物が燃焼したり、金属成分が酸化したりして、煤じん、粉じんが発生する。

4 圧延工程

製鋼工程で作られた鋼塊を圧延または鍛造して各種鋼材をつくる工程が圧延工程である。

厚鋼板、棒鋼、形鋼、線材等鋼材の種類によって様々な圧延工程に分かれ、いずれの工程においても加熱炉(重油等の燃焼によって摂氏一二〇〇度程度に保温)、保熱炉等における重油の燃焼によって硫黄酸化物が発生し、高温燃焼によって窒素酸化物が発生する。

圧延工程では、鋼片表面の酸化鉄被膜が分離して粉じんが発生する。

5 付帯工程

原料の荷揚げの工程では、船舶から原料を持ち上げる際、これを岸壁に設けたアンローダー内のホッパーに落とし込む際、原料をベルトコンベヤーで所定の置き場へ運搬する際に粉じんが発生し、原料ヤードでも、鉱石が野積みされており、風が吹くと粉じんが発生する。コークスの破砕、ふるい分け、鉄鉱石及びコークスをヤードからベルトコンベヤーで高炉等へ運搬する際にも粉じんが発生する。

二電力業

火力発電は、発電用ボイラーで石炭、重油等を燃焼させ、発生した蒸気でタービンを回転させて発電する。

燃料の石炭、重油等が燃焼する際、燃料に含まれる硫黄分や窒素分が空気中の酸素と化合して硫黄酸化物、窒素酸化物が発生し、また高温燃焼によって窒素酸化物が発生し、煤じんも発生する。

石炭を燃料とする場合は、石炭の荷揚げ、運搬、貯蔵の際に粉じんが発生する。

三ガス製造業

1 石炭ガス製造工程

コークス炉で石炭を乾留して石炭ガスを製造する。

石炭を一定粒度に粉砕し、コークス炉の炭化室に装入し、これを加熱室からの間接加熱により乾留して、揮発分はガスになり、残りはコークスになる。

コークス炉の加熱用燃料の燃焼によって、窒素酸化物が発生し、硫黄酸化物、煤じんも発生する。

原料石炭の荷揚げ、貯炭場での貯蔵、原料石炭の粉砕、ベルトコンベヤー等での運搬、コークスの窯出、整粒等の処理等でも粉じんが発生する。

2 水性ガス製造工程

増熱水性ガス発生設備は、サイクリック式で、ガス製造期と加熱期とを数分毎に交互に繰り返す方式のもので、ガス製造期にコークスを赤熱したところに水蒸気を吹き込み水性ガスを発生させ、増熱器で重油を噴射蒸発混合し、加熱器で完全に重油を分解混合させて水性ガスのカロリーを高める。

この加熱期の熱源のコークスの燃焼により窒素酸化物と硫黄酸化物が発生する。

3 ナフサガス製造工程

ナフサガス発生設備は、ナフサ(粗製ガソリン)と水蒸気とを触媒上で反応させてガスを製造する。

連続式は、原料ナフサを加熱炉で蒸発させたあと改質炉に送り、そこで水蒸気を加えて改質分解してガスを製造する。

サイクリック式は、燃料としてナフサを燃焼し、製造期と加熱期とを数分毎に交互に繰り返す方式でガスを製造する。

燃料としてナフサを使用するので、高温燃焼により窒素酸化物が発生するが、硫黄酸化物の排出は殆どない。

4 原油ガス製造工程

原油ガス発生設備は、原油と水蒸気とを反応させてガスを製造するもので、触媒を使用する接触分解式と熱分解式がある。両方式ともサイクリック式で製造期と加熱期とを数分毎に交互に繰り返す方式でガスを製造する。

加熱期の燃料として使用する原油の燃焼により窒素酸化物、硫黄酸化物、媒煙が発生する。

5 付帯工程

都市ガスの製造、精製工程や化成品の製造工程で、原料や中間製品を加熱する設備の加熱炉で使用する燃料の燃焼により窒素酸化物、硫黄酸化物、媒煙が発生する。

ガス発生設備等で使用する水蒸気を発生させる設備のボイラーで使用する重油等の燃料の燃焼により窒素酸化物、硫黄酸化物、煤煙が発生する。

四コークス製造業

コークス製造工程は、原料石炭を荷揚げし、貯炭場に貯蔵し、原料石炭を一定粒度に粉砕し、コークス炉の炭化室に装入し、これを加熱室からの間接加熱により乾留して、コークスを製造する。

加熱室で、コークス炉ガス、高炉ガスの廃ガスを燃焼させるため、窒素酸化物、硫黄酸化物が発生する。

原料石炭を荷揚げし、貯炭場に貯蔵し、原料石炭を一定粒度に粉砕し、コークス炉の炭化室に装入する工程で粉じんが発生し、さらにコークスの窯出、整粒、出荷等の工程でも粉じんが発生する。

五硝子製造業

ガラス製造工程は、大別すると、

1 原料の硅砂、石灰石、苦灰石、長石及びソーダ灰等を粉砕し、これを屑ガラスとともに調合する部門。

2 調合した原料を溶融炉で溶解する部門。

3 溶解したガラスを板状や壜状に成形する部門。

4 成形したものの変形を防ぐ為に徐冷炉で熱処理を行う部門。

5 製品によっては、焼付炉で加熱し印刷焼付けを行う部門。

がある。

これらの工程において、溶融炉や徐冷炉、加熱炉等において、原料を重油等によって高温燃焼させるため、硫黄酸化物、窒素酸化物及び煤じんが発生する。

原料の荷降し、粉砕、貯蔵、ベルトコンベヤーによる搬送等の過程で粉じんが発生する。

六化学工業

1 濃硫酸製造工程

原料の硫化鉄鉱を焙焼炉で焙焼して鉱石中の硫黄分を亜硫酸ガスに変え、これを精製、乾燥したのち転化器において触媒により無水硫酸とし、これを吸収塔で硫酸に吸収させて濃硫酸を製造する。

焙焼炉の過程で硫黄酸化物、窒素酸化物及び煤じんが生成され、吸収塔からの排ガスとして硫黄酸化物の一部は最終的に排出される。

流動焙焼炉を使用するために、原料は微粉にする必要があり、前処理の段階で大量の粉じんが発生する。

2 酸化チタン製造工程

原料のイルメナイト鉱石を乾燥粉砕し、これに硫酸を加えて溶解反応機に送入して、硫酸チタンや硫酸鉄等を作り、水を加えて水溶液とし不溶解物を除いたうえ、脱鉄等の処理を施してこれに水蒸気を通して加熱し、メタチタン酸を作る。メタチタン酸を他の不純物から分離し、焙焼炉で焙焼して酸化チタンを製造し、これを粉砕して一部はそのまま出荷し、大部分は表面処理をして乾燥、粉砕して最終製品を作る。

溶解反応機から排出される排ガスに硫黄酸化物、煤じんが含まれ、焙焼炉での焙焼によって硫黄酸化物、窒素酸化物及び煤じんが発生する。

3 亜酸化銅製造工程

陽極に原料鋼板をつけ、陰極に銅の電極板を隔膜で覆い、電解液として食塩の溶液を用いる隔膜電解法によって亜酸化銅を沈澱させる。この亜酸化銅を加熱、乾燥させて製品化する。

この過程においても、水蒸気の発生等の過程で、硫黄酸化物、窒素酸化物及び煤じんが発生する。

第三章本件各道路の侵害行為

第一本件各道路の設置供用の経過

一国道

1 国道二号線

国道二号線は、大阪市北区曽根崎上三丁目を起点とし、北九州市門司区老松町を終点とする延長約六四七キロメートルの一級国道である。

西淀川区内においては、左問橋から佃地区を通り、歌島橋交差点を経て淀川大橋へと抜ける延長約2.4キロメートルの区間であり、標準幅員は約27.3メートル、四車線である。

国道二号線は、古くは山陽道と称された街道を前身とする道路であり、国土を縦貫する一大幹線道路であるが、大正時代には幅員3.6メートル(二間)乃至5.5メートル(三間)を超えない砂利敷道路であった。大正九年改築計画が決定され、中央部に阪神電気鉄道の軌道敷5.4メートルを含む歩道付四車線、標準幅員27.3メートルの計画で、大正一五年に完工、供用された。

その後、国道二号線は、我が国の幹線道路の役割を果たし、昭和五〇年に阪神電気鉄道の軌道が廃止されてからは、その跡地に中央分離帯が設置される等して現在に至っている。

2 国道四三号線

国道四三号線は、大阪市西成区を起点とし、神戸市灘区を終点とする延長29.9キロメートルの一級国道である。西淀川区内においては、福町、大和田、大野、出来島、中島、佃を経由する延長約2.5キロメートルの区間であり、標準幅員は五〇メートル、上下一〇車線(新旧伝法大橋取付部にあっては八車線)である。

国道四三号線は、戦前から第二阪神国道として計画され、阪神臨海工業地帯の振興を図るための海岸近くの幹線道路、神戸港と大阪市、阪神工業地帯を連絡する幹線道路、阪神国道のバイパスとして建設に着手し、西淀川区通過部分は昭和四四年八月に一部が、同四五年三月九日に全線が供用開始された。

二阪神高速道路

1 阪神高速大阪池田線

阪神高速大阪池田線(道路法上の路線名は大阪府道高速大阪池田線)は、大阪市西成区を起点とし、池田市空港一丁目を終点とする延長約25.4キロメートルの都市高速道路である。

西淀川区内においては、区内の東端をほぼ南北に横断している延長約2.6キロメートルの区間であり、標準幅員は約17.6メートル、四車線の高架式道路である。

阪神高速大阪池田線は、昭和三七年九月一八日、都市計画決定された。当初はベッドタウン化した大阪北部の豊中市、池田市と大阪都心を結ぶ計画であったが、その後、昭和三八年七月の名神高速道路尼崎・栗東間の開通、昭和三九年一〇月の大阪国際空港の拡張計画、中国縦貫道路の開通、万国博覧会の開催といった社会情勢の変化に対応して、名神高速道路豊中インターチェンジを経て大阪国際空港まで約八キロメートル延長された。西淀川区通過部分は昭和四二年八月に供用開始され、昭和四五年三月一四日全線供用開始された。

2 阪神高速大阪西宮線

阪神高速大阪西宮線(道路法上の路線名は大阪府内においては大阪府道高速大阪西宮線)は、大阪市西区西本町三丁目を起点とし、西宮市今津水波町の名神高速道路西宮インターチェンジを終点とする延長約14.3キロメートルの都市高速道路である。

西淀川区内においては、姫島、大和田、出来島、佃を経由する延長約3.5キロメートルの区間であり、標準幅員は約25.75メートル、四乃至六車線の全線高架式道路である。西淀川区内の佃地区から兵庫県側にかけては国道四三号線と二階建構造となっている。

阪神高速大阪西宮線は、阪神臨海部とその周辺の交通渋滞を緩和し、大阪と神戸を最短で結ぶ構想で、昭和四四年五月都市計画決定された。西淀川区通過部分は、昭和四八年八月から工事に着手し、昭和五六年六月に全線供用開始された。

第二自動車排出ガスの排出機序

一自動車走行により排出される大気汚染物質

エンジンの稼働によって発生するもののほか、ブレーキ、クラッチ、タイヤ及び路面の磨耗により発生する粒子状物質がある。

エンジンの稼働によって発生する大気汚染物質は、ガソリン車では一酸化炭素、窒素酸化物、炭化水素、鉛化合物であり、ディーゼル車では一酸化炭素、窒素酸化物、炭化水素、煤じん及び硫黄酸化物である。

大気汚染防止法では、一酸化炭素、炭化水素、鉛化合物、窒素酸化物及び粒子状物質を「自動車排出ガス」と定めている。

二大気汚染物質の排出機序

1 一酸化炭素

燃焼室内における不完全燃焼によって生じる。

2 窒素酸化物

霧化した燃料が空気と混合のうえ燃焼する際、空気中の窒素が反応して発生する。大部分が一酸化窒素であるが、排出後空気中で酸化して二酸化窒素となる。

3 炭化水素

燃料は炭化水素の混合物であり、一部は完全に燃焼せず未燃炭化水素として大気中に排出される。ガソリン車ではクランクケースからのブローバイガス、燃料タンク、気化器等からの蒸発によって放出される炭化水素もある。

4 鉛化合物

自動車のノッキングを防止するため、燃料にアンチノッキング剤としてアルキル鉛を添加していると、アルキル鉛が燃焼によって数ミクロン以下の無機鉛化合物の微粒子となって排出される。

5 硫黄酸化物

軽油には0.4パーセントの硫黄が含まれており、これが燃焼過程で酸化され硫黄酸化物を生成する。

6 粒子状物質

燃料の燃焼過程で無機鉛化合物の微粒子、ピレン類等の炭化水素、黒煙(すす)等が発生し、走行中にタイヤと道路表面との摩擦によって粉じん、ブレーキライニングやクラッチの磨耗によってアスベストの微粒子が生じる。自動車の走行により路面に堆積された粉じんが拡散する。

三車両別排出量

一酸化炭素、窒素酸化物及び炭化水素の排出量は、エンジンの構造及び大きさのほか自動車の走行状態によっても異なる。

一般に、ディーゼル車は大型であるため、窒素酸化物及び炭化水素についての一台あたりの排出量は、ガソリン車に比較して多くなる。

また、硫黄酸化物について問題となるのは事実上ディーゼル車のみであり、粉じんや粒子状物質の排出量もディーゼル車の方が多く、重量があり排気量の多い大型車の割合が大気中の排出ガスの量を左右する。

第四章西淀川地域の大気汚染

第一排出と到達の関係

一大気の拡散

煙突から大気中に排出された煙は風によって風下に運ばれつつ、上下左右に拡散され次第に薄められていく(風の拡散作用)。風は、風向、風速によって特徴づけられる。風速は、煙の流れに様々な影響を及ぼし、大気中に排出された煙は風速が大きくなるほど遠くに運ばれる。

大気汚染物質の、大気中での広がりの状態は、大気の安定度にも支配される。大気は地表面から一〇〇メートル上昇する毎に摂氏0.65度ずつ気温が低くなるが、特殊な気象条件の下では上層の気温の方が下層の気温よりも高いことがある。この状態を気温が逆転しているといい、この状態になっている気層を逆転層という。気温の逆転が起こると空気の対流が妨げられ、気層が安定するため汚染物質は下層の大気中に停滞する。

煙突から排出された煙は、熱量による浮力と吐出速度に関係する運動量の作用とによって、上昇しながら風に流され、次第に水平に流されつつ拡散する。実際の煙突高さに、運動上昇高さ、浮力上昇高さを加えられたものを有効煙突高さという。他の条件が同じであれば、高い煙突から排出された汚染物質の着地濃度は、低い煙突から排出された場合に比較して小さくなる。

大気汚染による特定地域の環境濃度は、発生源条件・局地気象条件に左右され、大気汚染物質の排出割合と到達割合は一般的には異なる。

発生源条件としては、発生源と対象地域との距離・発生源の位置・排出量・有効煙突高が、気象条件としては、風向・風速・大気安定度・逆転層が重要である。

他の発生源条件が同一であれば、排出量が多いほど地域汚染濃度は高くなる。

二拡散計算

煙の濃度分布は、正規分布式で表現出来るから、煙の広がりは正規分布における標準偏差で表わされる(拡散パラメーター)。

拡散パラメーターを用いて、特定地域の環境濃度を求める計算式を拡散モデルという。拡散モデルの代表例としては、プルーム・モデル、パフ・モデル等がある。

三大気拡散シミュレーション

大阪地域では、大阪市および大阪府が、大気拡散シミュレーションを実施し、その計算結果を基に規制対策を講ずるなどして、大気汚染対策に一定の効果をあげてきた。

大阪市は、総量規制実施のために昭和四八年度を対象とした地域総合シミュレーションを初めて実施し、大阪市公害対策審議会の審議を経て、その結果を昭和五二年四月に公表した。

第二大阪の局地気象

一大阪府の地形

大阪府の地形は、西側は大阪湾に面し、他の三方は山地に囲まれている。東側は南北に連なる生駒山地と金剛山地、北西側は六甲山地とそれから東北東へ連なる北摂山地が連なっている。南部は丘陵地を経て和泉山脈がほぼ東西に走って和歌山県境をなし、その中央が大阪平野となって都市部が集中している。

大阪平野は、東西約二〇キロメートル、南北約四〇キロメートルの広さで、北方では、池田市付近で六甲山地と北摂山地の間が少し開け、北東方向は、淀川筋に沿って低地が大きく開けて京都盆地に続いている(淀川地溝)。南方は、生駒山地と金剛山地の間を大和川が奈良県から流れて低地となっている。

二大阪平野の海陸風

大阪平野は、地形的に海陸風や山谷風の発達しやすい条件をもっている。大阪平野では大体東西の風が多く、北部淀川沿いは西ないし北西と北東の風が卓越し、これらは、大体海陸風の吹走方向にほぼ一致している。

海風の平均風速は、一四時から一五時の間に最大値を示し、臨海部では八m/S近くにも達し、最盛期は平均五m/Sの地上風速となる。海風の風向は、北部(淀川以北)は西南西から南西の風である。陸風は、早朝一時から七時ころまでで、一番発達するのは五時前後で風速は強くても二m/Sまで。風系は、豊中市から北の方は北北西風、それから南へ淀川筋は北東風となっている。

冬の陸風系の時の接地逆転層の高さは、冬の移動性高気圧におおわれた弱風時には大体二〇〇ないし三〇〇メートルの間で、風向も二〇〇メートルまでの下層は陸風系で、逆転層より上空は南から南西の風となっており、冬場の陸風の高度は高くても三〇〇メートルまでである。夏場の陸風系の高さはほぼ三〇〇メートルまでの時が多いが、上空まで東風の時もある。

淀川沿いの発散域は、西よりの風であろうと東よりの風であろうといつでも存在する。すなわち西よりの風も東よりの風も淀川に沿って比較的強く吹き、流域から北または南に向かって溢れるように流出してゆき、淀川が大阪平野の気象に及ぼす影響の強さを示している。

第三西淀川区の大気汚染

一西淀川区の沿革及び概要

西淀川区は、大阪市の西北端に位置し、南西部は大阪湾に臨み、南東部は新淀川を隔てて福島、此花両区に接し、北西部は神崎川および左門殿川を隔てて尼崎市に隣接し、北東部は東海道本線の土手をもって淀川区と接する面積11.16平方キロメートルの地域である。

大正一四年四月、大阪市の市域に編入され、大阪市西淀川区が生まれた。西淀川区は、明治以来工業を中心として発展してきた中小企業の町であり、当時既に工業地帯としてかなり発達しており、区の大部分が都市計画により工業地域として指定された。

現在も西淀川区は、工業主体の区であり、用途地域は工業地域・準工業地域が七割以上を占め、昭和四六年現在、一二七二の生産事業所があるが、その六割は中小企業である。そのなかに住居地域が混在している。

二西淀川区地域の風向、風速の特徴

西淀川区地域の風向の特徴は、風の出現する割合に偏りがあり、北東系の風と南西系の風とに大別され、暖候期(四月から九月)は両者ほぼ同率であるが、寒候期(一〇月から三月)では北東系の風が卓越している。

西淀川区地域の風速の特徴は、北東系の風は年平均値(淀中学校局で2.9m/S)以下であるのに対して、南西系の風は年平均値(淀中学校局)を上回っている。

平均風速は、南西系の風は3.7m/Sであるのに対して、北東系の風は2.4m/Sと小さく、寒候期では2.2m/Sと更に低風速である。

三西淀川区の大気汚染の特性(南西型汚染と北東型汚染)

西淀川区地域の大気汚染の代表的パターンは、北東型汚染と南西型汚染との二つである。

1 北東型汚染

北東型汚染は、寒候期の朝方から昼前に北ないし東(北東系)の非常に弱い風の中で比較的短時間の間に集中して発生する高濃度汚染である。

北東型汚染は、接地逆転層が出現するなど下層大気が安定した弱風状態の下での静穏スモッグ発生時に現れる。

2 南西型汚染

南西型汚染は、暖候期、寒候期を通じ、昼前から宵の幅広い時間帯にかけて、南ないし西(南西系)の風速の比較的大きい風の中で発生する高濃度汚染である。

南西型汚染は、風上発生源の活動に対応した風下汚染であり、淀中学校から西南西ないし南西を中心とした風上方向に存在する臨海工業地帯の工場群がその汚染源である。

第五章疫学

第一疫学の定義

疫学は、人間集団における健康障害の頻度と分布を規定する諸要因を研究する医学の一分科であり、医学と公衆衛生学の分野で疾病発生の原因究明に活用されている。

第二病因推定のための疫学の方法

疫学調査は、集団中に発生する疾病異常を測定して、これを量的に把握することから始まる。疫学的観察は、集団を対象とするが、集団は個人の集まりであり、個人から得られたデータを整理して集団として観察したとき、個々のデータからだけでは窺い知れなかった事実を見出すことができる。ここに疫学の真髄がある。

疾病の発生原因推定のための疫学的研究方法として、記述疫学的方法、分析疫学的方法、実験疫学的方法がある。

記述疫学的方法は、健康障害の発生及び分布の状況を、時間的、空間的及び人の属性別に観察し、対象集団について、作用因子、環境及び宿主などに関する資料を統計的に集計し、どの要因が健康障害に関与しているかを検討して、健康障害の発生要因に関する仮説を設定するものである。

分析疫学的方法は、記述疫学的方法によって設定された健康障害の発生要因に関する仮説を、分析的な観察によって吟味検討し、仮説要因と健康障害との間の関連性の有無を明らかにするものである。

実験疫学的方法は、分析疫学的方法において統計的な関連が認められた要因を実際に人間集団に与えてみて、それを与えれば問題の健康障害が発生し、それを与えなければその健康障害は全く発生しないか、あるいは与えた場合に比べて有意に低い割合でしか発生しないことを実験的に確かめる方法である。

第三疫学と因果関係の解明

記述疫学的方法、分析疫学的方法を用いて得られた仮説要因と健康障害との間に統計的関連性が得られたとき、統計的関連性から実験疫学的方法をまたないで疫学的因果関係を推論するための判断条件として、アメリカ公衆衛生局長諮問委員会が「喫煙と健康」について検討を行った際に用いた五つの判断条件が一般的に使用されている。

一関連の一致性(普遍性)

異なった条件下の調査でも同じような結果が得られることである。

二関連の強固性

関連性の強さを示す指標となるのが相対危険度である。関連の強さは、ある要因に暴露される量が多くなるほど健康障害の発現率が高くなるという量―反応関係(DRR)が認められるならば、一層強固になる。

三関連の特異性

ある疾病には必ずある要因が原因として対応する場合をいう。

四関連の時間性(時間先行性)

疾病の発症の前にある因子への暴露が先行していることをいう。

五関連の整合性(生物学的妥当性)

現在の知識でその疾病と因子の関係が医学的に矛盾なく説明されることをいう。

右五条件を満たしたときは、疫学的因果関係が証明されたものとされるが、必ずしも全部を満たす必要もないとされる。

第四大気汚染の疫学

大気汚染疫学においては、従前BMRC質問票が使用されていたが、ATS―DLD質問票が発表されて以来、特に児童用質問票が出されたため、我が国の実情にあったように一部改定したものが使用されている。

BMRC質問票は、慢性気管支炎を対象とする持続性せき・たんの有症率を把握する方法として英国医学研究協議会(BMRC)が開発したもので、我が国はもちろん国際的にも高く評価されている。

ATS―DLD質問票は、BMRCをもとに喘息、喫煙歴、職業歴、家族歴、児童の呼吸器疾患の評価に関する質問項目を加えて、米国で開発された自記式の質問票であり、信頼度の高いものである。

第六章環境行政

第一大気汚染防止に関する制度

一ばい煙の排出の規制等に関する法律

昭和三七年七月、大気汚染防止に関する最初の立法として制定され、工場及び事業場からのばい煙の排出規制を図った。

二公害対策基本法

昭和四二年八月、公害対策基本法が制定され、国の公害防止に関する基本的施策を明確にした。

これにより、昭和四四年二月、我が国最初の環境基準として、「いおう酸化物に係る環境基準」が閣議決定された。環境庁は、昭和四八年五月「大気の汚染に係る環境基準」を決定し、昭和五三年七月右のうち「二酸化窒素に係る環境基準」を改定した。右環境基準は次のとおりである。

1 二酸化硫黄

(旧基準)昭和四四年二月

年間を通じて、一時間値が0.2ppm以下である時間数が、総時間数に対し、九九パーセント以上維持されること。年間を通じて、一時間値の一日平均値が0.05ppm以下である日数が、総日数に対し、七〇パーセント以上維持されること。年間を通じて、一時間値が0.1ppm以下である時間数が、総時間数に対し、八八パーセント以上維持されること。年間を通じて、一時間値の年平均値が0.05ppmを超えないこと。いずれの地点においても、年間を通じて、大気汚染防止法に定める緊急時の措置を必要とする程度の汚染の日数が、総日数に対し、その三パーセントを超えず、かつ、連続して三日以上続かないこと。

(新基準)昭和四八年五月

一時間値の一日平均値が0.04ppm以下であり、かつ、一時間値が0.1ppm以下であること。

2 二酸化窒素

(旧基準)昭和四八年五月

一時間値の一日平均値が0.02ppm以下であること。(ザルツマン係数0.72)

(新基準)昭和五三年七月

一時間値の一日平均が0.04ppmから0.06ppmまでのゾーン内又はそれ以下であること。(ザルツマン係数0.84)

3 浮遊粒子状物質

一時間値の一日平均値が0.10mg/m3以下であり、かつ、一時間値が0.20mg/m3以下であること。

三大気汚染防止法

昭和四三年六月、ばい煙規制法を廃止し、これに代わる大気汚染防止法が制定された。

同法では、硫黄酸化物、すすその他の粉じん(現在のばいじん)を規制の対象とし、K値規制、特別排出基準、自動車排出ガスの規制等を盛り込んだ。

昭和四五年一二月改正で、地域指定制の廃止、規制対象物質の拡大、上乗せ基準、横出し基準、直罰制度等が、昭和四九年改正で、総量規制が定められた。

第二大阪府及び大阪市の大気汚染防止対策

大阪府は、昭和二五年八月、大阪府事業場公害防止条例を制定し、同二九年四月、公害の未然防止に着目した新条例を制定し、同四〇年一〇月、同条例を全面改正して規制基準の合理化を図った。その後、大気汚染防止法の実施に伴い、昭和四四年一〇月、同法を補完した大阪府公害防止条例を制定した。同四六年三月、光化学スモッグ等その後の汚染現象に対処するため、同条例を全面改正し、法規制を上回る厳しい規制基準を定めた。

一大気汚染環境基準達成計画(ブルースカイ計画)

大阪府は、昭和四四年六月、一日一〇kl以上の燃料油を使用する大規模工場を対象とした硫黄酸化物対策ブルースカイ計画第一号計画を発表した。

二西淀川区大気汚染緊急対策

大阪市は、昭和四五年六月、公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法に基づく地域指定の解除と環境の整備を目的として、西淀川区大気汚染緊急対策を策定した。

三新ブルースカイ計画

大阪府は、昭和四六年一〇月、第一号計画の見直しと中小汚染源対策の第三号計画を発表した。

四大阪地域公害防止計画

大阪府は、昭和四七年一二月、公害対策基本法に基づき地域住民の保護、生活環境の保全を目的とした公害全般についての総合一〇年計画を策定した。

五大気汚染防止計画基本構想(クリーンエアプラン71)

大阪布は、昭和四六年八月、大気汚染物質の排出規制による生活環境の保全を目的としてクリーンエアプラン71を発表した。

六大阪府環境管理計画(BIGPLAN)

昭和四八年五月、二酸化硫黄に係る環境基準が改定され、二酸化窒素等についても環境基準が新たに設定された。これを受けて、大阪府は、昭和四八年九月総合計画を策定した。環境容量の考え方を採り入れ、いわゆる総量規制方式を採用した。

七大気汚染防止計画基本構想(クリーンエアプラン73)

大阪市は、二酸化硫黄に係る環境基準の改定、二酸化窒素等の環境基準新設定を機にクリーンエアプラン71を強化した。

八大気清浄化計画

大阪府は、昭和四八年度から固定発生源の窒素酸化物を中心に削減計画を策定した。

九硫黄酸化物総量削減計画

大気汚染防止法に導入された総量規制方式の指定に伴い、大阪府は、昭和五二年九月、硫黄酸化物総量規制計画を策定し、総量規制基準及び燃料使用基準を告示した。

一〇大阪地域公害防止計画の再策定

大阪府は、大阪地域公害防止計画策定後、諸情勢の大きな変化に対応して、昭和五二年六月、二酸化窒素及び光化学オキシダントに係る環境基準を採り入れる等して計画を再策定した。

一一窒素酸化物総量削減計画

大阪府は、昭和五七年一〇月、窒素酸化物総量削減計画と総量規制基準及び特別の総量規制基準を告示した。

一二大阪府環境総合計画(STEP21)

大阪府は、昭和五七年一二月、環境を創造する考え方を採り入れ、二一世紀における府民と環境との望ましい関わり方を描いた大阪府環境総合計画を策定した。

一三大阪地域公害防止計画の第三次策定

大阪府は、再策定後の諸情勢の大きな変化に対応して、昭和五八年三月、二酸化窒素に係る環境基準の改定を採り入れる等した第三次計画を策定した。

一四大阪市大気環境保全基本計画(ニュークリーンエアプラン)

大阪市は、大阪府の策定したSTEP21、大阪地域公害防止計画に沿って、昭和五九年一月、ニュークリーンエアプランを策定した。大阪市全域を対象に、二酸化硫黄、二酸化窒素、浮遊粒子状物質、一酸化炭素、光化学オキシダント、悪臭の六汚染物質について、平成二年度までに環境基準等を達成することを目標にしている。

第三兵庫県・尼崎市の大気汚染防止対策

昭和四四年六月、兵庫県と尼崎市は、尼崎市内の企業二三社との間で重油硫黄分を1.7パーセントに低減させること等を盛り込んだ大気汚染防止協定を締結した。

第四公害健康被害補償制度

一特別措置法

著しい大気汚染の下で、迅速な救済を必要としていた公害健康被害者の救済を行うため、昭和四四年一二月一五日、当面の緊急な救済を目的とする公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法(以下単に「特別措置法」という)が制定され、西淀川区等の指定地域に係る大気の汚染の影響による疾病として慢性気管支炎、気管支喘息、喘息性気管支炎及び肺気腫並びにこれらの続発症が指定され、医療費、医療手当、介護手当の給付をすることとした。

二大阪市規則

特別措置法による給付を補完するため、大阪市公害被害者の救済に関する規則を制定し、療養生活補助費、療養手当、入院扶助費、死亡見舞金を特別措置法による給付に付加して支給した。

三公健法制定の経緯

中央公害対策審議会(以下単に「中公審」という)は、昭和四八年四月、環境庁長官の「わが国における公害に関する費用負担は、今後いかにあるべきか、また、環境汚染によって生ずる損害賠償費用はいかに負担すべきか」との諮問に対し、次のような答申をした。

1 本制度は、その対象とする被害の発生が原因者の汚染原因物質の排出による環境汚染によるものであり、本来的にはその原因者と被害者との間の損害賠償として処理されるものにつき制度的解決を図ろうとするものである以上、基本的には民事責任をふまえた損害賠償制度として構成すべきである。

2 非特異的疾患といわれる大気汚染系疾病(閉塞性呼吸器疾患)にあっては、多くの場合、個々に厳密な因果関係の証明を行うことはまず不可能である。したがって、このような特性を有する大気汚染系疾病を本制度の対象とするためには、疫学を基礎として、人口集団につき因果関係ありと判断される大気汚染地域にある指定疾病患者は、一定の暴露要件をみたしておれば因果関係ありとするいわば指定地域、暴露要件、指定疾病という三つの要件をもって、個々の患者につき大気の汚染との間に因果関係ありとみなすという制度上の取決めをせざるを得ない。

3 損害賠償の費用は、汚染原因者がその寄与度に応じて負担するのが原則である。しかし、大気汚染系疾病にあっては、個々の原因者の汚染原因物質の排出行為とその大気の汚染または疾病との因果関係を量的に、かつ、正確に証明することもまた不可能に近い。したがって、この場合においても、汚染原因物質の総排出量に対する個々の排出量、または汚染原因物質を含む原燃料の使用量の割合をもって大気の汚染に対する寄与度とみなし、これをもって賠償を要する健康被害に対する寄与度とし、費用負担を求めるという制度的割り切りが必要である。

4 非特異的疾患における補償費の給付水準は、公害裁判における判決にみられる水準、社会保険制度の水準等をふまえ、公害被害の特質、本制度における因果関係についての考え方、前述の慰謝料的要素等を総合的に勘案し、結果的には全労働者の平均賃金と社会保険制度の給付水準の中間になるような給付額を設定することが適当である。

公健法は、右答申を基に制定され、昭和四九年九月一日、全面的に施行された。

本制度においては、制度発足当時の判例・学説の法的因果関係の考え方を踏まえ、疫学を基礎として、人口集団につき因果関係ありと判断される大気汚染地域における指定疾病患者については、一定の暴露要件を満たしていればその疾病と大気汚染との間に因果関係ありとする制度的割り切りを行っている。

第五公健法認定患者の推移

西淀川区における公健法認定患者の推移は、別表十一<略>記載のとおりである。

第七章公健法等による補償給付

第一公健法による給付

公健法では、次の七種類の補償給付が、所定の要件のもとに認定患者の請求により支給される。

一療養の給付および療養費

認定患者の指定疾病について、公害医療機関で現物給付として行うことを原則とし、それが困難であるときには療養費の支給がなされる。

二障害補償費

認定患者の障害の程度に応じて、毎月継続して支給される。障害補償標準給付基礎月額(非課税)の給付水準は、労働者の性別、年齢階層別の平均賃金(税込み)の八〇パーセントである。この基礎月額は、毎年労働者の賃金水準の上昇にあわせて改定されている。なお、特級の場合は介護加算がある。政令によって定められた障害の程度は、別表十二<略>記載のとおりである。

三遺族補償費

認定患者が指定疾病に起因して死亡したときに、一定の範囲の遺族に対して一定期間を限度として支給される。

四遺族補償一時金

遺族補償費の受給資格を有するものがいない場合に、一定の者に支給される。

五児童補償手当

児童が指定疾病によって一定の障害の状態にある場合に、その児童を養育している者に対して、その障害の程度に応じて支給される。特級の場合は介護加算がある。

六療養手当

指定疾病について療養を受けており、かつ、その病状が一定の程度であるときは、通院費や見廻り品に必要な費用として、その病状の程度に応じた額が支給される。

七葬祭料

認定患者が指定疾病に起因して死亡したときに、その葬祭を行うものに対して支給される。

第二大阪市の給付

大阪市では、国の公害に係る健康被害補償制度が実施されるまでの暫定措置として、特別措置法による救済のほかに、昭和四八年六月、大阪市公害被害者の救済に関する規則を制定し、特別措置法による認定患者を対象に、療養生活補助費、療養手当、入院扶助費、介護手当及び死亡見舞金の五種類の給付が、受給資格者の申請に基づいて公健法による救済制度が実施されるまでの間支給された。

第三原告らの受給

原告らは、平成二年四月一八日現在、目録四<略>記載の給付金のうち、「大阪市規則に基づく給付」と公健法に基づく給付中「療養の給付及び療養費」を除いたその余の給付金の給付を受けている。また、原告らが、目録四記載のとおり大阪市規則に基づく給付を受けたことは計算上明らかである。公健法に基づく「療養の給付及び療養費」の給付は、現物給付として医療機関に直接支払われるものであって、原告らがこれを受給したことを認めるに足る証拠はない。

第八章主要な争点

第一西淀川地域の大気汚染状況と主要汚染源

一西淀川地域の大気汚染の実態

二西淀川地域の大気汚染に対する被告らの寄与割合

三被告企業の公害対策

第二西淀川地域の大気汚染と原告らの疾病との因果関係

一本件疾病の概要

二大気汚染と本件疾病との関係

三原告らの本件疾病罹患

第三共同不法行為

一民法七一九条一項前段の共同不法行為

二民法七一九条一項後段の共同不法行為

三主観的関連共同性

第四被告らの責任

一被告企業の責任

二被告国・同公団の責任

第五損害賠償請求

一原告らの損害額

二被告らの負担額

三消滅時効

第六差止め請求

第三編争点に対する判断

第一章西淀川地域の大気汚染状況と主要汚染源

第一西淀川地域の大気汚染の実態

一我が国の大気汚染公害の沿革

我が国の大気汚染問題は、近代産業の発展とともに発生し、エネルギー構造の変遷に関連して推移してきた。

第二次世界大戦前、既に亜硫酸ガスによる公害事件として大阪アルカリ事件(明治三九年ないし大正五年)等の大気汚染公害訴訟事件が存在したけれども、国民一般の間で大気汚染公害が社会問題化し始めたのは、日本経済が高度成長の段階に入った昭和三〇年代からのことである。

それまでは、林立する煙突から排出される黒煙はむしろ繁栄のシンボルとされ、大阪は「煙の都」と誇称されていた。

昭和三〇年代までの工業エネルギー源は石炭であり、大気汚染因子も、主として石炭の燃焼によって発生する降下ばいじん及び浮遊粉じんであった。

工業エネルギー源は、昭和三〇年代から、急速に石炭から石油へと転換が進み、これに伴って昭和三〇年代後半からの大気汚染因子は、石油の燃焼によって発生する硫黄酸化物が中心となった。

その後、日本経済の高度成長によって、人口の都市集中やモータリゼーションの発達等の都市化現象がもたらされ、昭和四五年に東京都杉並区の立正高校で発生した光化学スモッグ事件を契機として、新たな汚染因子として窒素酸化物が注目されるようになった。

右にみたとおり、我が国の大気汚染因子としては、歴史的にも大気中粒子状物質、硫黄酸化物、窒素酸化物が注目されてきた(<証拠>)。

そこで、原告ら主張の二酸化硫黄、二酸化窒素及び浮遊粒子状物質(SPM)の三物質につき検討することとする。

二主要大気汚染物質

1 硫黄酸化物(<証拠>)

硫黄酸化物は、硫黄と酸素との化合物であり、生理学的液体に比較的高い溶解性を示す。硫黄酸化物による大気汚染は、二酸化硫黄によるものであるとされる。二酸化硫黄は、亜硫酸ガスとも呼ばれ、呼吸器系への障害物質としての性質を持ち、濃度と暴露時間の如何によっては、中毒性物質として、他の器官、組織、細胞にも影響を及ぼす可能性があるとされる。

二酸化硫黄や粒子状物質のように上部気道で吸収されやすい呼吸器刺激物質は、上部気道への刺激症状が人体に与える影響の中心である。二酸化硫黄も深部気道に侵入しうるような粒径の小さい物質が共存すると、粒子に二酸化硫黄が吸着し粒子と共に深部気道に侵入しうるものと想定され、このような場合は深部気道への刺激症状も考えられる。二酸化硫黄が気道に侵入すると、まず、気道上皮にある受容体を刺激し、主に迷走神経を介して平滑筋の反射性の収縮が起こると考えられている。

硫黄酸化物の測定法としては、一箇月毎の測定値の得られる二酸化鉛法が昭和三〇年頃から普及していた。その後、大気中の二酸化硫黄濃度の測定は、溶液導電率法(導電率法ともいわれている)によって行われるようになった。

2 窒素酸化物(<証拠>)

窒素酸化物は、窒素と酸素との化合物であり、環境大気中に通常存在し、かつ人の健康に影響を及ぼすとされているのは、一酸化窒素と二酸化窒素である。

一酸化窒素は、無色の気体であって水とは反応しない。二酸化窒素は赤褐色の刺激性のある難水溶性気体である。大気中に排出された一酸化窒素は、大気中の酸素によって酸化されて二酸化窒素となり、環境大気中ではほとんどが二酸化窒素である。

生理学的液体に溶解性の低い二酸化窒素は、全気道に影響を及ぼし、更に深部気道に侵入し、細気管支や肺胞領域に影響を与える。二酸化窒素は細胞膜の不飽和脂質を急速に酸化し過酸化脂質を形成し、これによる細胞膜の障害が考えられているが、いまだ不明の点が多い。

二酸化窒素濃度の測定は、東京、大阪等に設置された国設大気汚染測定所でザルツマン法による常時監視が昭和四三年度から始まった。

3 浮遊粒子状物質(<証拠>)

大気中粒子状物質のうち大気中に浮遊しているすべての粒径の粒子状物質を総称して浮遊粉じんといい、浮遊粉じんのうち、粒径一〇μ以下のものを浮遊粒子状物質(SPM)という。粒子状物質の人体に与える影響は、粒子の物理的、化学的性状に依存しているが、影響の機構の分類はガス状物質と基本的には類似している。

すなわち、粒子が気道に沈着し物理的科学的に気道を刺激することによる症状、クリアランス機構の障害などが関与して起こると考えられる感染抵抗性の減弱、形態学的変化等である。

浮遊粒子状物質の測定は、全国的に不充分である。光散乱法、圧電天びん法、β線吸収法により測定している。

三我が国のバックグランド濃度(<証拠>)

既汚染地域以外の我が国の代表的な平野部における大気の状況を把握する目的で全国八か所(野幌、箆岳、筑波、新津、犬山、京都八幡、倉橋島、築後小郡)に国設大気測定所が設置されており、右八か所での測定結果によれば、我が国の大気汚染がほとんどないと考えられる地域における大気汚染物質の濃度は、二酸化硫黄でほぼ0.005ppm、二酸化窒素でほぼ0.007ppm、浮遊粒子状物質で0.02mg/m3〜0.03mg/m3程度であり、右数値が我が国のバックグランド濃度と考えられる。

四全国的にみた大気汚染の推移(<証拠>)

1 硫黄酸化物

二酸化鉛法による昭和三二年度から昭和四二年度にかけての主要都市の硫黄酸化物濃度の経年変化は別紙図表(以下「図表」という)一<略>のとおりである。

昭和四〇年度から昭和五九年度にかけての二〇年間にわたり、継続して導電率法により測定している一五局の二酸化硫黄濃度の年平均値は別表一四<略>、図表二<略>のとおりである。これらの測定局は、昭和四〇年当時我が国の代表的二酸化硫黄の汚染地域に設置されたものである。

この間、発生源対策として、燃料の低硫黄化及び排煙脱硫装置、大都市部では重油から硫黄分の非常に少ないLNG等への転換が進んでいる。

全国的にみれば、二酸化硫黄濃度は、昭和三〇年ころから工業都市地域において上昇を続けたが、昭和四二年ころをピークに減少を続けている。

2 二酸化窒素

昭和四五年度から昭和五九年度にかけて一五年間にわたり継続して測定している一五局の二酸化窒素濃度の年平均値は別表一五<略>、図表三<略>のとおりである。

昭和四八年度までは増加傾向がみられるが、それ以降はおおむね横這いの傾向にある。二酸化窒素の高濃度局は、東京、神奈川、大阪の都市部に集中しており、この地域の主要測定局の経年変化は図表四<略>のとおりである。

自動車排出ガスの影響を強く受ける道路周辺では、他と比較して二酸化窒素の濃度が高い。沿道に設置されている自動車排出ガス測定局における二酸化窒素の濃度を昭和四六年度から継続して測定している二六局の年平均値の経年変化は別表一六<略>、図表五<略>のとおりであり、昭和五一年度までは増加傾向がみられるが、それ以降横這いの傾向にある。

3 浮遊粒子状物質(SPM)

東京、大阪において、昭和四一年度から昭和五九年度にかけて浮遊粒子状物質又は浮遊粉じんを測定している五局の年平均値の経年変化は別表一七<略>、図表六<略>のとおりである。

昭和四九年頃までは減少傾向を示したが、それ以降おおむね横這いの傾向にある。

五大阪市における大気汚染の推移(<証拠>)

昭和四四年度以降の硫黄酸化物、窒素酸化物及び浮遊粉じんの市内平均濃度の経年変化は図表七<略>のとおりである。

1 硫黄酸化物

二酸化硫黄の汚染濃度についての大阪市及び西淀川区の年平均値の経年変化は図表八<略>のとおりである。

2 窒素酸化物

二酸化窒素の濃度は、一般環境測定局と自動車排出ガス測定局で測定されている。大阪市及び西淀川区の年平均値の経年変化は図表9.10<略>のとおりである。

3 浮遊粒子状物質

浮遊粉じんの、一般環境測定局における昭和五三年度以降の大阪市及び西淀川区の年平均値の経年変化は図表一一<略>のとおりである。

経年変化をみると、昭和五八年度までは減少傾向にあったが、それ以降は横這い傾向にある。

浮遊粒子状物質の、一般環境測定局における昭和五三年度以降の大阪市及び西淀川区の年平均値の経年変化は図表一二<略>のとおりである。

六西淀川区における大気汚染の推移(<証拠>)

1 硫黄酸化物

大阪市では、硫黄酸化物について、昭和三三年一〇月以降二酸化鉛法(PbO2法)による測定が行われ、西淀川区でも第一病院(昭和三七年西淀川区役所に引継ぎ)、大和田東小学校(昭和四三年淀中学校に引継ぎ)、川北小学校が測定点になっている。

右各測定点における二酸化鉛法による測定値は別表一八<略>のとおりである。

これによれば、淀中学校局の測定値は、区内各測定局の測定値と比較して突出したところもなく全体の推移をよく反映しており、場所も偏らず、西淀川区を代表する測定局と認められる。

二酸化鉛法による測定値については、試薬と硫黄酸化物との化学反応が気温が高いとやや進みやすいため、冬に比べて夏に、また、風の強い時には、試薬に触れる空気量が多くなるため、実際より濃度が高く出る欠点がある(<証拠>)。

溶液電気伝導率法による自動測定は、昭和三九年一二月以降、大和田東小学校(昭和四二年八月淀中学校に引継ぎ)で二四時間常時測定が始まった。

淀中学校局における溶液電気伝導率法による測定値は、別表一九<略>のとおりである。

西淀川区の濃度は、昭和四九年度以降市内平均値以下となっており、昭和五二年度に環境基準を達成し、昭和五〇年度、同五三ないし五五年度、同五八年度は市内で最も良好であった。

2 窒素酸化物

西淀川区では、ザルツマン法による自動測定器が、昭和四六年度から自動車排出ガスモニタリングステーションの出来島小学校に、昭和四八年度から大気モニタリングステーションの淀中学校に設置され常時測定が行われている。

右両測定点におけるザルツマン法による測定値は別表二〇・二一<略>のとおりである。

西淀川区内の測定局である淀中学校局、出来島小学校局とも経年的にみても他の区に比較して特に濃度が高いとはいえず、淀中学校局の測定値は、昭和五二年度以降市内平均を下回り、昭和六二年度においては一般環境測定局中最低を示し、新環境基準を達成した。

3 浮遊粒子状物質(SPM)

西淀川区では、昭和四二年以降淀中学校においてデジタル粉じん計による相対濃度とローボリュームエアサンプラーによる重量濃度を測定して計算していたが、昭和五八年度からβ線吸収法により測定している。

淀中学校局におけるデジタル粉じん計による測定値及びβ線吸収法による測定値は別表二二<略>のとおりである。

淀中学校局の測定値は、昭和五三年度以降市内平均を下回っていたが、昭和六二年度においては市内平均を上回る結果となった。

第二西淀川地域の大気汚染に対する被告らの寄与割合

一被告企業の工場・事業所の排出量

被告企業の工場・事業所等の大気汚染物質の排出量、態様、条件を検討するに、本件では、通常のこの種事件と異なり、これらのデータが大幅に少ない。

1 硫黄酸化物

硫黄酸化物の排出量は、被告企業の工場・事業所の原燃料使用量から推計することができる。

原告らは、被告企業の工場・事業所の硫黄酸化物排出量の一部しか(しかも経年的に整っているわけでもない)主張立証しないが、被告企業の工場・事業所の硫黄酸化物排出量は被告企業においてこれを把握しているはずであるから、被告企業が明示しない部分については原告らの推計値(証人加藤邦興が被告企業らの工場・事業所の原燃料使用量から計算上推認したもの)を被告企業の工場・事業所の硫黄酸化物排出量と認める。

これによれば、被告企業の硫黄酸化物排出量は次のとおりである。

(一) 昭和四五年度の被告企業の硫黄酸化物排出量は、別表二三<略>のとおりである(争いがない)。

(二) 被告企業の硫黄酸化物排出量は、被告古河機械が別表二四<略>、被告中山鋼業が別表二五<略>、被告関西電力が別表二六<略>、日本硝子が別表二七<略>、被告関西熱化学が図表一三<略>、被告神戸製鋼が別表二八<略>のとおりである。

(三) 加藤邦興の硫黄酸化物排出量についての推計値は、被告合同製鉄、被告神戸製鋼、被告住友金属について別表二九<略>、被告関西電力について別表三〇<略>のとおりである。

(<証拠>)

2 窒素酸化物

原告らは、被告企業の工場・事業所の窒素酸化物排出量の一部しか(しかも経年的に整っているわけでもない)主張立証しないが、被告企業の工場・事業所の窒素酸化物排出量は被告企業においてこれを把握しているはずであるから、被告企業が明示しない部分については、原告らの推計値(証人加藤邦興が原燃料使用量から計算上推認したもの)を被告企業の工場・事業所の窒素酸化物排出量と認める。

これによれば、被告企業の窒素酸化物排出量は次のとおりである。

(一) 被告企業の窒素酸化物排出量は、被告古河機械が別表三一<略>のとおりである。

(二) 加藤邦興の推計値は、被告関西電力の尼崎市立地の発電所の窒素酸化物排出量について別表三二<略>、被告旭硝子の窒素酸化物排出量について別表三三<略>、尼崎市立地の電気業(被告関西電力)、窯業(被告旭硝子、日本硝子)、鉄鋼業(被告住友金属、被告神戸製鋼ほか)、石炭業(被告関西熱化学)の窒素酸化物排出量について別表三四<略>のとおりである。

(<証拠>)

3 浮遊粒子状物質

被告企業の工場・事業所の浮遊粒子状物質の排出量について原告らは何らの主張立証をしない。

二本件各道路からの排出量

本件各道路からの排出量の実測値については、国道四三号線からの排出量が次のとおり認定されるほかには、これを認めるに足りる明確な証拠はない。

西淀川区出来島二丁目には、自動車排出ガス測定局として出来島小学校測定局が設置されており、その試料採取口は国道四三号線の車道端から五メートル、高さ2.8メートルの位置にあること、及び昭和四六年度から昭和六三年度にかけて、右出来島小学校測定局において、ザルツマン試薬を用いる吸光光度法(ザルツマン法)で二酸化窒素を測定した結果について、大阪市が公表している測定結果は別表四〇<略>のとおりである(<証拠>)。

三西淀川地域の大気汚染の原因

1 自動車排ガスの距離減衰

汚染濃度の道路端からの距離による減衰について、以下のとおりの測定結果が得られている。

(一) 国道四三号線沿道(一部地域については国道四三号線上に高架で構築されている阪神高速道路を含む)における測定結果

(1) 西淀川区出来島地区における測定結果(<証拠>)

近畿地方建設局大阪工事事務所が、昭和五二年一一月八日から一五日にかけて、西淀川区出来島地区において、ザルツマン法(吸光光度法、ザルツマン係数0.72)により測定した結果による一酸化窒素および二酸化窒素の一時間値の平均値は、別表四一<略>のとおりである。

右別表四一<略>をもとに、一酸化窒素の値と二酸化窒素の値の相加である窒素酸化物の一時間値の平均値(ザルツマン係数が0.72から0.84に変更されたことに伴う補正をおこなったのちのもの)を求めると別表四二<略>のとおりとなる。

(2) 西淀川区以外の地域における測定結果

ア 兵庫県公害研究所が、昭和四八年一〇月から一一月にかけて、芦屋市、西宮市及び尼崎市の各一地点において、国道四三号線に直角に交差し道路幅が六ないし九メートルの交通量の少ない道路を対象に、一酸化炭素についてはポリエチレン・テレフタレートバッグに採取後エナージティクス・サイエンス社製一酸化炭素メータ(エレクトロケミカル法)で、窒素酸化物についてはザツルマン法でそれぞれ一時間値を測定した結果のうち、西宮市における測定結果について、国道四三号線の風下方向の道路端(〇メートル地点)の濃度を一としたときの、国道四三号線からの距離と一酸化炭素及び窒素酸化物の各濃度の割合との関係は図表一一<略>のとおりである。

右測定結果に基づいて、窒素酸化物の中に占める一酸化窒素の割合を求めると図表一二<略>のとおりとなる(<証拠>)。

イ 兵庫県生活部環境局が、昭和四八年度及び昭和四九年八月一九日から九月一四日にかけて、尼崎市(西本町、東桜木町及び西桜木町)及び西宮市(馬場町、浜脇町及び本町)において、窒素酸化物及び二酸化窒素についてはザルツマン法で、一酸化炭素についてはNDIR法(非分散赤外線吸収法)及びエレクトロケミカル法でそれぞれ測定した結果に基づく、国道四三号線の道路端の濃度を一〇〇としたときの国道四三号線からの距離と窒素酸化物、二酸化窒素及び一酸化炭素の各濃度の割合との関係は図表一三ないし一五<略>のとおりである(<証拠>)。

ウ 兵庫県公害研究所が、昭和四九年八月から九月にかけて、芦屋市、西宮市及び尼崎市の各一地点において、国道四三号線に直角に交差した道路を対象に、調査期間中の主風向を南系に想定し、風下方向となる国道四三号線の北側に測量点を設け、南側にはバックグランド値用の測定点を設けて、一酸化窒素、二酸化窒素及び窒素酸化物についてはザツルマン法で、一酸化炭素についてはエレクトロケミカル法及びNDIR法で、それぞれ一時間値を測定した結果に基づき、各測定点の値からバックグランド値を差し引いた値を算出したうえで、尼崎市における測定結果について、国道四三号線の風下方向の道路端の濃度を一としたときの、国道四三号線からの距離と一酸化窒素、二酸化窒素、窒素酸化物及び一酸化炭素の各濃度の割合との関係は図表一六<略>のとおりである。

右測定結果に基づいて、窒素酸化物の中に占める一酸化窒素の割合を求めると図表一七<略>のとおりとなる(<証拠>)。

エ 環境庁企画調整局環境保健部が、昭和五〇年一〇月二一日から一一月二〇日にかけて、芦屋市(呉川町、西殿町、浜町、南宮町及び大東町)及び西宮市(中浜町、川西町、堀切町、川東町、荒戎町及び宮前町)において、調査期間中の主風向が北系で平均風速が毎秒2.7メートルとの条件のもとで、国道四三号線の南側の道路端、同道路端より五〇メートル及び二五〇メートル並びに北側の道路端より五〇メートルの四地点に測量点を設けて、二酸化いおう、一酸化窒素、二酸化窒素、窒素酸化物、一酸化炭素及び鉛を測定した結果は別表四三<略>のとおりである。

オ 西宮市、芦屋市及び尼崎市が、平成元年五月二九日から三一日にかけて、尼崎市(西本町五丁目及び東本町二丁目)、西宮市(鳴尾町一丁目、甲子園高潮町及び川西町)及び芦屋市(精道町及び若宮町)において、簡易測定(PTIO法)により、一酸化窒素、二酸化窒素及び窒素酸化物を測定した結果は別表四四ないし四六及び図表一八ないし二〇<略>のとおりである(<証拠>)。

(二) その他の地域における測定結果

(1) 三重県公害センターが、昭和四八年五月三一日から六月一日にかけて、三重県桑名市において、一酸化窒素、二酸化窒素及び窒素酸化物を測定した結果は図表二一<略>のとおりである(<証拠>)。

(2) 尼崎市が、昭和四九年八月一三日から一四日及び同月二〇日から二一日にかけて、尼崎市南武庫之荘において、県道尼崎宝塚線を対象に、一酸化窒素及び二酸化窒素を測定した結果は図表二二<略>のとおりである(<証拠>)。

(3) 大阪府が、昭和五一年度に、守口市及び岸和田市において、一酸化炭素及び窒素酸化物を測定した結果について、道路端の濃度を一としたときの、道路端からの距離と一酸化炭素及び窒素酸化物の各濃度の割合との関係は図表二三・二四<略>のとおりである(<証拠>)。

(4) 日本道路公団が、昭和五二年四月から七月にかけて、東名高速道路沿道において、盛土、高架、切土及び平面の各道路構造となっている地点を対象に、図表二五<略>のとおりの測定点を設け、風向が複数の測定点を持つ側が風下となる場合を風下、道路にほぼ平行に風が吹く場合を平行風、複数の測定点を持つ側が風上になる場合を風上、風速毎秒一メートル以下の場合を風向にかかわらず静穏として、盛土、高架及び切土の各地点においてはザルツマン法(ザルツマン係数0.72)で、平面の地点においては化学発光法で、それぞれ一酸化窒素、二酸化窒素及び窒素酸化物を測定した結果は、別表四七<略>及び図表二六<略>のとおりである(<証拠>)。

(5) 財団法人日本公衆衛生協会が、昭和五二年一二月一日から昭和五三年一月六日にかけて、川崎市川崎区貝塚において、国道一五号線を対象に、調査期間中の主風向が北系で平均風速が毎秒2.2メートルの条件のもとで、図表二七<略>のとおりの測定点を設け、一酸化窒素、二酸化窒素及び窒素酸化物を測定した結果は、別表四八<略>のとおりである。

右測定結果に基づいて、一酸化窒素、二酸化窒素及び窒素酸化物の各濃度の平均値と対象道路からの距離との関係を求めると図表二八<略>のとおりとなる(<証拠>)。

(6) 財団法人日本公衆衛生協会が、昭和五三年一月八日から二月一五日にかけて、横浜市神奈川区三ツ沢中町において、国道一号線を対象に、調査期間中の主風向が北系ないし西系で平均風速が毎秒1.8メートルとの条件のもとで、図表二九<略>のとおりの測定点を設け、一酸化窒素、二酸化窒素及び窒素酸化物を測定した結果は、別表四九<略>のとおりである。

右測定結果に基づいて、一酸化窒素、二酸化窒素及び窒素酸化物の各濃度の平均値と対象道路からの距離との関係を求めると図表三〇<略>のとおりとなる(<証拠>)。

以上のとおり、各調査における距離減衰率は必ずしも一定ではないが、右各調査結果を総合すると、自動車排ガスの窒素酸化物の濃度は道路端から一〇〇ないし一五〇メートル離れた地点でほぼ付近のバックグランド濃度に近くなるものといえる。

2 その他の汚染源

汚染源の詳細についての証拠は少ないが、

大阪市の西淀川地区大気汚染調査報告(昭和四三年三月)によれば、西淀川地区において昭和四〇年四月から昭和四一年三月までに重油二〇〇キロリットル以上使用した工場の数は八二余あり、右工場は区域の全域に分布しており(<証拠>)、また、大阪市が昭和四五年六月に「西淀川大気汚染緊急対策」を策定し、これを推進するため同年七月に特別機動隊を発足させ活動を始めたが、その報告書によれば、西淀川区内においては、昭和四五年当時、硫黄酸化物を排出していた工場・事業所は二九八か所あり、これらは区内全域に分布していた(<証拠>)。

西淀川区の西に隣接する尼崎市においては、大気汚染防止法及び兵庫県公害防止条例等の施行により、昭和四四年に市内に存在する事業所と大気汚染防止協定を締結したが、その事業所の数は、年間重油使用量が四五〇〇キロリットル以上の第一次協定対象工場が二三社・二七工場、年間重油使用量が五〇〇キロリットルから四五〇〇キロリットルまでの第二次協定対象工場が三九社・四二工場と三企業団地・五五工場であり、右工場は、尼崎市内の全域に分布していた(<証拠>)。

西淀川区及び尼崎市における工場の分布状況は、図表三一ないし三三<略>のとおりである。

3 各事業所の煙突高さと汚染物質の排出高さ

大気中に排出された汚染物質の到達については、これを排出する煙突の高さが関係することは前示のとおりである。

ところで、被告企業らの各事業所の煙突の数及びその高さは、昭和四五年当時においては別表五〇(煙突目録)<略>記載のとおりであり(<証拠>)、一〇〇メートルを超える高煙突は被告関西電力の事業所のみで、その内最も早くに設置されたのは昭和三九年一二月に操業を開始した堺港発電所の高さ一五〇メートルの煙突であり、同被告においては、その後、昭和四四年九月に尼崎第三発電所において従来八〇メートル程度の高さであったのを一五〇メートルの煙突に改造するなど順次高さ一五〇メートルを超える煙突を設置していった(<証拠>)。

有効煙突高は、煙突から煙が排出される際の煙の温度、吐出速度等に影響されるが、仮にこれを実煙突高の二倍と仮定してみても(<証拠>・窒素酸化物総量マニュアル)、被告関西電力の実煙突高は一五〇メートルであるから三〇〇メートルとなり、その他の被告企業らの実煙突高は、一〇〇メートル未満であるから二〇〇メートル以下となり、被告企業の汚染物質は、それぞれ右の高さに排出されることとなる。

昭和四五年当時、西淀川区内の主な一九四工場・事業所の各煙突の高さは、別表五一(西淀川区内煙突高表)<略>記載のとおりであり、約八割が二〇メートル以下のものであった(<証拠>)。したがって、前示に照らし、これらの煙突から排出された汚染物質は、高度の低いところに排出されることとなる。

4  南西型汚染の機構

南西型汚染は、風上発生源の活動に対応した風下汚染であり、淀中学校から西南西ないし南西を中心とした風上方向に存在する尼崎市から西淀川区にかけての臨海工業地帯の工場群がその汚染源である。

図面一の①ないし⑱<略>記載のとおり、被告企業の工場・事業所の殆どが臨海工業地帯に所在し、淀中学校から約五キロメートル内に隣接している。

被告企業も、被告企業の工場・事業所の排出した汚染物質が本件地域に到達したこと自体を争ってはいない。しかし、臨海工業地帯には被告企業の工場・事業所も存在するが、他にも中小発生源を含めた多数の発生源が存在するから、南西型汚染に対する被告企業らの影響を論じるについては、これら中小発生源の影響も考慮すべきであるという。

5 北東型汚染の機構

(一) 寒候期午前中の北東系の弱風時に高濃度が出現する北東型汚染の機構についての原告らの主張は明確なものではないが、北東型汚染は、冬の朝、接地逆転層が出現するなど下層大気が安定な状態の下で広範囲に高濃度汚染が発生する静穏スモッグであり、地上が北東系の陸風のときは上空に陸風の反流もしくは南西系の風が存在し、右上空の風により被告企業らの排出した汚染物質が運ばれ、三方を山に囲まれた大阪平野の地形的特徴から汚染物質が平野内にこもり、上空の汚染気塊を形成し、これが逆転層の崩壊時にフミゲーション作用により下層大気に取り込まれ西淀川地域を汚染し、あるいは、Uターンし、もしくは下降して西淀川地域に高濃度の汚染をもたらす旨主張するもののようである。

(二)(1) 前示のとおり、大阪における冬の陸風系時の接地逆転層の高さは、冬の移動性高気圧におおわれた弱風時には大体二〇〇ないし三〇〇メートルの間で、風向も二〇〇メートルまでの下層は陸風系で、逆転層より上空は南から南西の風となっており、したがって、大阪湾沿岸部の地上二〇〇メートルないし三〇〇メートル付近よりも上空に排出された汚染物質は、右風により内陸部に移送されることとなる。

(2) 豊中市は、大気汚染対策の指針とするため、豊中市周辺の気象状況等を把握するべく、財団法人日本気象協会に調査を委託して、その結果を報告している(<証拠>)。

右調査は、昭和四七年一二月一二日から同月一六日までの五日間行われた。

ア 右調査においては、昭和四七年一二月一五日九時ころ、同日一二時ころ、同月一六日九時ころの三回、同市南部の三国地区及び加島地区の二か所で、上空一〇〇メートル、三〇〇メートル、五〇〇メートルの硫黄酸化物濃度の鉛直分布測定、同市上空三〇〇メートル、五〇〇メートルの硫黄酸化物濃度の水平分布測定が行われたが、同月一五日一二時ころ、同月一六日九時ころの二回の水平分布測定は航空管制、悪視等のため途中で打ち切られた。その結果は、

① 水平分布測定では

同月一五日九時には、上空三〇〇メートルで2.5ppm、五ppm、五〇〇メートルで2.5ppm、五ppm、7.5ppm

同日一二時には、上空三〇〇メートルで五ppm、7.5ppm、五〇〇メートルで一〇ppm、一五ppm、二〇ppm

同月一六日九時には、上空三〇〇メートルで五ppm、7.5ppm、五〇〇メートルで一〇ppm、一五ppm、二〇ppm、

の濃度が観測され、一般的に豊中市南部で高濃度であった。

② 鉛直分布測定では

同月一五日八時から九時の平均値が

加島地区の地上一〇〇メートルでほぼ3.5ppm、三〇〇メートル及び五〇〇メートルでいずれもほぼ五ppm

三国地区の地上一〇〇メートルでほぼ5.5ppm、三〇〇メートルでほぼ一五ppm、五〇〇メートルでほぼ一〇ppm

同日一二時ころの値が

加島地区の地上一〇〇メートルでほぼ一〇ppm、三〇〇メートルでほぼ一六ppm、五〇〇メートルでほぼ一九ppm

三国地区の地上一〇〇メートルでほぼ6.5ppm、三〇〇メートルでほぼ一六ppm、五〇〇メートルでほぼ二〇ppm

同月一六日八時から九時までの平均値が、

加島地区の地上一〇〇メートルでほぼ15.5ppm、三〇〇メートルでほぼ一四ppm、五〇〇メートルでほぼ九ppm

三国地区の地上一〇〇メートルでほぼ二一ppm、三〇〇メートルでほぼ一六ppm、五〇〇メートルでほぼ九ppm

であった。

イ 上空の風向は、同月一五日は、地上一〇〇メートルでは、六時から一〇時ころまでは北部で北西系、南部で北東ないし東系、一一時から一六時までが全体的に南西系、地上三〇〇メートルでは、六時から一〇時までは北部で西系、南部で南東系、一一時から一六時までが全体的に南西系、地上五〇〇メートルでは、右時間中、全体的に南西ないし西系であり、同月一六日は、地上一〇〇メートルでは、六時から一一時ころまでは全体的に北東系、一二時から一三時までが南西系、地上三〇〇メートルでは、六時ころには北部で北系、南部で東系、七時ころには全体的に東系、八時から一三時までが全体的に南西系、地上五〇〇メートルでは、右時間中、全体的に西系であった。

ウ 同月一五日には、六時三〇分から八時三〇分ころまで、地上一〇〇メートル付近から二〇〇メートル付近の間に放射性逆転層が、地上五〇〇メートル付近から六〇〇メートル付近の間に逆転層が、終日地上一七〇〇メートル付近から一六〇〇メートル付近に沈降性逆転層がみられ、同月一六日には、六時三〇分ころに地上から二〇〇メートル付近までの間に放射性逆転層がみられ、これが地上付近から徐々に解消され一一時三〇分ころにはすべて解消され、終日地上八〇〇メートル付近から一三〇〇メートル付近までの間に沈降性逆転層がみられた。

との調査結果が報告され、豊中市において地上風の風上に汚染源がないにもかかわらず比較的高濃度をもたらす原因として考えられる現象として、「イ、逆転層の存在によるUターン現象、ロ、風向の高度変化によるUターン現象、ハ、風向の時間変化によるUターン現象」の三例を汚染モデルの典型パターンとして挙げ、複合現象も起こるものと考えられるとしている。

そして、調査のまとめとして「(1)、南西風が吹くと豊中市は高濃度となる。これは南西方向隣接他市域から汚染質が流入するためである。このとき、豊中市南部にピークが現れることが多い、これは上層に高濃度汚染層があって、同市付近で着地するためと考えられる。(2)、地上北東風の場合でも豊中市内で高濃度になることがあるがこれは主に風向の高度変化によるUターン現象のためである。特に夜間北東の陸風が吹いている場合は陸風循環によるUターン現象が起こっているものと推定される。(3)、放射性逆転の解消時にはヒュミゲーションが起り、豊中市で濃度が急上昇し高濃度となる。ヒュミゲーションが起る時刻まで陸風循環が発達していることが多く、内陸上空一〇〇ないし二〇〇メートルに高濃度層が存在しているためである。(4)(略)、(5)、豊中市内の排出源による地上濃度は排出源の風下極く近くでは割合高くなることもあるが、高濃度汚染領域はせまい。広範囲にわたる高濃度汚染は市内の排出源だけでは説明できない」と報告している。

右調査結果、豊中市の立地条件等に照らせば、右認定の豊中市上空の高濃度の汚染には、大阪湾岸部の被告企業らを含む阪神工業地帯に所在する工場等の排出した汚染物質が寄与したものと考えられないでもない。

原告らは、北東型汚染の機構は右豊中市の調査から裏付けられる旨主張する。

右調査報告では、同年一二月一五日二〇時から同月一六日一三時にかけて三つの汚染パターンが観察されたとしているけれども、一回限りの観察であるから、これだけから余り多くのことをいうことはできない。また、大気中に排出された汚染物質の移送、滞留、拡散等には、風向、風速、大気の安定度、逆転層の有無等の気象条件が深く関与しており(争いがない)、これを考慮すれば右一度の調査結果を一般化することもできない。

しかも、地上風の風上に汚染源がない豊中市と違って、西淀川区は区内全域に中小企業の工場が散在し、測定局である淀中学校の北東象限にその過半数が存在するなど、豊中市と西淀川区とでは、工場・事業所等の排出源条件が全く違い、地理的・気象的条件も全く同じというわけではないから、豊中市の調査の結果がそのまま西淀川区にも当てはまるものではない。

(3) 「無風時あるいは弱風時には北あるいは東部の山にさえぎられて汚染物質が平野内にこもる」「上空に汚染物質の気塊を形成する」「上層に汚染物質が滞留する」等の記述、供述があるが(<証拠>)、これらは、いずれも上層の汚染濃度を測定したものではなく、また、前示豊中市の調査以外に大阪市あるいはその周辺の上層の汚染濃度を測定した事実を認めるに足る証拠もなく、いずれも推測に過ぎず、上層に汚染物質が滞留する機構も解明されていない。しかも、原告らの主張する北東型汚染は、更にこの上層の高濃度層からの第二次汚染をいうのであるが、かかる間接的汚染の汚染機構は、現代科学の粋をもってしても解明されていない。

(4) 試みに、尼崎市所在関西電力発電所のSO2排出量と淀中学校局のSO2排出量は、昭和四四年度寒候期三万二五〇七トンから昭和四五年度寒候期一万二〇〇〇トンへと前年比三七パーセントに削減されているのに、淀中学校局のSO2濃度は昭和四四年度寒候期0.090ppm、昭和四五年度寒候期0.084ppmと殆ど低減していない(<証拠>)。

更に、北東風系(NからEまで)に限定してみると、むしろSO2濃度は上昇する傾向を示している(なお、<証拠>によれば、昭和四四年一一月から昭和四五年三月までは例年よりも弱風に偏っていることが分かるが、このことは昭和四四年度寒候期の方が原告ら主張の機構により強く働く筈であるから右認定の妨げとならない)。

(三)(1) 被告企業は、北東型汚染の機構は、接地逆転層の形成により、中小発生源から排出された汚染物質が接地逆転層内に閉じ込められ、これが、接地逆転層の崩壊過程において上部に残っている蓋(リッド)の役目をする逆転層により、上方への拡散が妨げられ、不安定である混合層の内部において撹拌されて、発生源から直接下方へ拡散した汚染物質と重合した形で地表付近に到達する。そのため、通常の拡散以上に高濃度をもたらす。しかも混合層高度が低い気象条件下で、煙突の低い発生源ほどこの効果が大きい。したがって、北東型汚染に寄与しているのは、淀中局の北東方位に位置する中小発生源であり、被告企業の工場・事業所の発生源は同方位に存在しないから全く寄与していない旨主張する。

(2) 西淀川区の寒候期朝方の北東風系の弱風時の高濃度汚染の気象的機構については、有光友治の解析がある(<証拠>)。これによれば、次のとおりである。

ア 西淀川区の寒候期朝方の北東風系の弱風時の高濃度汚染は接地逆転層の存在と密接に関わっている。

イ 接地逆転層形成下の汚染は、平均的にみると日の出後第二時から第三時に北東系弱風のもとで極大となり、それ以降は極少数の例を除き、同じ北東象限の風が継続する中で濃度が順次低減する。

ウ 日の出後の混合層高度は、時間の経過とともに高くなり、濃度との関係をみると、日の出後の同一時刻においては、混合層高度が低いほど濃度は高く、混合層高度が高まるほど低下していく。

(3) また、大気汚染現象の悪化をもたらす気象条件として、次のものが知られている(<証拠>)。

ア 大気が安定で鉛直方向の拡散が抑えられて、地上付近の発生源の風下で高濃度となる。

イ 風が部分的にあるいは全体的にみてごく弱いため、発生源周辺に高濃度をもたらす。

ウ 有風ではあるが、移送された物質の一部が再び元の位置近くに戻るため(風による吹き戻し現象)、なかなか領域外へ移送されない。

(4) 西淀川区では、淀中学校から北東象限に中小企業の工場の過半数が存在し、これら低煙源の排煙による大気汚染もまた無視しえない。

(5) 寒候期の放射冷却による接地逆転層は、地表面から二〇〇ないし三〇〇メートルの層を形成しているが、逆転層高度より有効煙突高さの高い高煙突の排煙は逆転層を突き抜けるため(被告企業の工場・事業所の煙突は五〇メートルを超える高煙突が多い)、接地逆転層内に閉じ込められやすいのは低煙突の排煙であろう。

(四)  右にみた、諸事情を総合すると、北東型汚染の機構としては、淀中学校から北東象限には個々の排出量は小さくとも排出条件の悪い低煙突が多数存在するために、それらから排出された汚染物質が混合層及び逆転層に閉じ込められ、地表に高濃度をもたらしているという被告企業主張の機構は、相当の説得力をもつ。

換言すれば、北東型汚染の機構は、原告ら主張の複雑な機構を想定しなくとも、被告企業主張のとおり北東系風下の汚染を風下汚染と考えても、合理的に説明できる。

また、原告らが疑問視する「北東系風下の汚染でも暖候期の汚染と寒候期の汚染とで濃度の差が著しいこと」は、暖候期と寒候期の風速の差と接地逆転層の有無により合理的に説明できる。

(五)  右のとおり、被告企業の工場・事業所は、南西型汚染の汚染源に含まれるけれども、北東型汚染の汚染源とは断定出来ない。

6 被告企業の汚染寄与割合

そこで、南西型汚染を構成する被告企業の工場・事業所が排出した汚染物質が、西淀川区の大気環境濃度にどの程度影響を与えているかにつき検討する。

(一) 被告企業の工場・事業所の汚染寄与割合を個別に明確にするためには、拡散モデルを用いて個々の発生源がもたらす濃度を算出する方法が考えられる。

(1)  地域総合シミュレーション

大阪市が、総量規制実施のために昭和四八年度を対象として初めて実施した地域総合シミュレーションは、総量規制マニュアルに従って実施されており、同マニュアルに適合し、充分な整合性を持つものとされている(大阪市は、右シミュレーションを用いて昭和五三年度の濃度予測計算を行い、これにより総量規制を実施して、予測した条件で環境濃度が改善された)ので、同シミュレーションの濃度再現の精度の信頼性は確認されているものといえる(<証拠>)。

同シミュレーションによる昭和四八年度の淀中学校局に対する被告企業の工場・事業所の計算濃度及び寄与率を計算すると図表三七・三八<略>のとおりであり、これによれば、被告企業別の寄与率は、最小が0.38パーセント、最大が4.59パーセント、被告企業一〇社合計で16.43パーセントとなる(<証拠>)。

同じ手法に準拠して昭和四五年度の淀中学校局に対する被告企業の工場・事業所の計算濃度及び寄与率を計算すると図表三九・四〇<略>のとおりであり、これによれば、被告企業別の寄与率は、大きくみても最小が0.6パーセント、最大が6.9パーセント、被告企業一〇社合計で31.5パーセントとなる(<証拠>)。

(2) パフモデルについて

原告らは、時間的・空間的に変化する気象条件や発生源条件を現実的にモデルに組み込んだ拡散計算の方法として提唱されたのがパフモデルであるとして、塚谷恒雄が京都大学計算機センターのスーパーコンピューターを用いてパフモデルによる大阪湾岸地域の大気汚染につき各発生源の寄与率を解析した<証拠>を提出した。

<証拠>によれば、パフモデルによる解析のためには膨大な量の計算が必要であり(例えば一時間に一〇個のパフが排出されるとして一〇時間後の地表濃度を求めるには一〇〇億回の拡散計算を行う、発生源が一〇〇個あれば一兆回の拡散計算を行うというものである)、計算量の多さがこれまでパフモデルの利用を妨げてきたが、スーパーコンピューターによりこの計算が可能になったので、大阪湾岸地域の大気汚染につき各発生源の寄与率解析を行うことが出来たというのである。

しかし、塚谷恒雄の右計算回数は明らかに間違っている。即ち、一時間に一〇個のパフが排出されるとして一〇時間後の地表濃度を求めるには九一〇回の拡散計算を行えば足り(<証拠>)、この程度の計算は通常のコンピューターでも可能でありスーパーコンピューターに頼る必要はない。

そうすると、スーパーコンピューターにより求められた解析結果は、塚谷恒雄の弁解にもかかわらずその前提が誤っている可能性が大きく、またモデルや計算手法の詳細を明示しない<証拠>もまた信用がおけない。

以上の次第で、右各証拠を基礎とした原告らのパフモデルによる寄与率解析は、その余について判断するまでもなく採用できない。

(二) まとめ

右のとおり、原告らのパフモデルは採用しえないが、被告企業らの地域総合シミュレーションも、総量規制マニュアルに適合するとはいえ、やはり机上のものであり幾分の誤差を含むことは免れない。

しかし、同シミュレーションは、総量規制マニュアルに従って実施されており、同マニュアルに適合し、充分な整合性を持つものとされているから、その誤差はほぼ一〇パーセント程度と考えられる。

そうすると、西淀川区の大気汚染に対する被告企業の工場・事業所の寄与率は、被告企業一〇社の合計で、昭和四五年度は約三五パーセント、同四八年度は約二〇パーセントを上回ることはない。

しかし、被告企業の工場・事業所において効果的な公害対策を始めたのは、後記認定のとおり、昭和四五年ころからであるから昭和四四年以前の西淀川区の大気汚染に対する被告企業の工場・事業所の寄与率はこれを下回ることはない。

7 まとめ

以上によれば、西淀川区の大気汚染全体については、主要汚染源といえるほどの排出源はなく、無数とも言える大、中、小の排出源から排出された汚染物質が複合した都市型複合大気汚染であるというべきである。

第三被告企業の工場・事業所の公害対策

被告企業は、次のとおり環境行政の規制に対応して汚染物質排出の公害対策を実施している。

一被告関西電力(<証拠>)

1 硫黄酸化物減少対策

(一) 燃料の低硫黄化

(1) リリック重油の使用

燃料の低硫黄化を推進するため昭和三八年運転開始の春日出発電所で最初に超低硫黄油(リリック重油)を使用した。

(2) 原油の生焚き

昭和三八年尼崎第三発電所において原油生焚きの実用化を完成し、同三九年尼崎第三発電所、堺港発電所で原油生焚きを本格的に実施し、昭和四一年堺港発電所で硫黄分0.1パーセントの超低硫黄油(ミナス原油)生焚きを開始した。

(3) ナフサ、NGL、LNGの使用

硫黄分0.03ないし0.08パーセントのナフサ、NGLを昭和四九年一月から堺港発電所において使用を開始し、硫黄分ゼロ、窒素分も殆ど含まず、燃焼時にばいじんの発生もない良質燃料であるLNGを昭和四八年度から堺港発電所において使用を開始した。

(二) 排煙脱硫装置の設置

昭和三八年尼崎東発電所で湿式実験プラント(処理能力三五〇〇KW相当)、同四三年姫路第二発電所において乾式実験プラント(処理能力三五〇〇KW相当)を設置し研究した。

昭和四七年三月尼崎東発電所二号機で湿式法脱硫装置(処理能力三五〇〇〇KW相当)を設置し実用化試験を開始し、昭和五〇年三月尼崎東発電所二号機に処理能力一二一〇〇〇KW相当を増設した。

大阪発電所三号機に昭和五〇年二月、同二号機に同年一二月、同四号機に昭和五一年一〇月、尼崎東発電所一号機に同年一二月それぞれボイラー排ガス全量を脱硫処理する排煙脱硫装置(湿式法)を設置した。

2 窒素酸化物対策

(一) 低窒素燃料の使用

硫黄酸化物減少対策としての良質燃料(低硫黄重原油、ナフサ、NGL、LNG)は窒素分も少なく、これらを発電用燃料とすることにより窒素酸化物の発生も減少する。

(二) 燃焼方法の改善

昭和四七年六月から同四九年六月にかけて大型ボイラーすべてに二段燃焼法および排ガス混合燃焼法を併用したボイラー改造工事をした。

昭和五四年三月から低NOxバーナーを春日出発電所を皮切りに設置した。

(三) 排煙脱硝装置の設置

昭和四九年一月堺港発電所五号ボイラーに実験プラント(一五〇〇KW相当)を設置し、昭和五三年七月から煙道組込脱硝装置につき大阪発電所、尼崎東発電所で研究し、昭和五四年以降本格的に設置した。

3 煤じん対策

(一) 石油系燃料の使用

昭和三八年原重油専燃火力発電所の先駆けとして尼崎第三発電所を建設した。

昭和四六年二月尼崎第二発電所、尼崎東発電所、同年三月大阪発電所で石炭の使用をやめた。

硫黄酸化物及び窒素酸化物減少対策での燃料の良質化が煤じん対策としても有効である。

(二) 集塵器の設置

昭和三八年一〇月運転開始の重油専燃の春日出発電所には、機械式集塵器を設置した。その後、新設原重油専燃火力発電所には建設当初から電気式集塵器を設置し、昭和四八年六月には全ての火力発電所に電気式集塵器の設置を完了した。

4 高煙突化

昭和三九年一二月運転開始の堺港発電所一号機で一五〇メートル煙突を採用し、既設発電所の煙突も昭和四四年から逐次高煙突化し、新設発電所は全て一五〇メートル以上のノズル付高煙突とした。

二被告合同製鉄(<証拠>)

1 硫黄酸化物対策

(一) 原料の低硫黄化

昭和三五年高炉建設時から同四〇年代半ばまで硫酸滓を使用してきたが、同四〇年前半からその使用比率を下げ、低硫黄原料に切り換えた。

(二) 排煙脱硫装置

昭和五〇年焼結炉に排煙脱硫装置を設置した。

2 煤じん対策

昭和三五年高炉建設時に、焼結炉、高炉に集塵装置を設置し、同三九年転炉に集塵装置を設置した。

三被告神戸製鋼(<証拠>)

1 硫黄酸化物対策

(一) 原・燃料の低硫黄化

低硫黄鉱石に転換し、昭和四五年度0.157パーセント、同四八年度0.059パーセント、同五三年度0.040パーセントと低下させた。

加熱炉等で使用する重油についても、C重油からミナス重油へと転換し、硫黄分含有率も昭和四五年度1.623パーセントから同四八年度0.575パーセントへと低下させ、同五三年度には極低窒素重油ハイケロシンを導入し0.110パーセントに低下させた。

高炉用熱風炉、ボイラーで使用するコークス炉ガスは硫黄分含有率0.26パーセントと低硫黄燃料であるが、昭和四九年七月以降は0.10パーセント以下に脱硫している。

(二) 排煙脱硫装置

排煙脱硫率九〇パーセントの排煙脱硫装置を独自に開発し、第一号機を昭和五一年四月に尼崎製鉄所第二焼結炉に完成稼働させた。

(三) 高煙突化

昭和四五年七月に大型工場加熱炉の五〇メートル煙突を六〇メートルに、同年一二月に第二焼結炉の四〇メートル煙突を八〇メートルに、同四七年七月には中小型工場加熱炉の21.1メートル煙突を30.1メートルにそれぞれ高煙突化した。

(四) 設備集約化

設備集約化により、昭和四一年小型工場操業停止から同五九年中小型工場操業停止を経て同六一年九月第一高炉停止により尼崎製鉄所は全面的に停止した。

2 窒素酸化物防止対策

(一) 低窒素重油

昭和五三年に全ての加熱炉の燃料を超低窒素重油に転換した。

(二) 低NOxバーナー

低NOxバーナーを独自に開発し、昭和五一年七月実用第一号を尼崎製鉄所中小型工場加熱炉に設置し、同五二年五月大型工場加熱炉に設置した。

3 煤じん対策

煤じん、粉じん対策として別表五二<略>記載のとおり散水、防塵カバー、集塵装置の設置をした。

四被告住友金属(<証拠>)

1 硫黄酸化物対策

(一) 燃料の低硫黄化

製鋼所では、昭和四六年度末までに、ボイラー、加熱炉、熱処理炉の燃料を、低硫黄重油(硫黄分含有率1.7パーセント)、ミナス重油(0.2パーセント)へ切替え、同四八年度には、ボイラーのLPG化、加熱炉、熱処理炉の灯油化(0.01パーセント)、熱処理炉の都市ガス化、乾燥炉の灯油化と燃料を転換した。

鋼管製造所では、昭和四五年一月にボイラー、加熱炉、熱処理炉の燃料を、ハイサルファC重油(硫黄分含有率2.5パーセント)から間接脱硫重油(1.55パーセント)に、大型徐冷炉、丸鋼軟化炉の燃料をローサルファC重油(1.26パーセント)に切り替え、同四六年一二月に東ボイラーの燃料をミナスブレンド重油(0.5パーセント)に切り替えた。また、昭和四七年一一月から同四八年九月にかけて重油についてはミナス重油に、同年四月から五月にかけて軽油(0.5パーセント)を灯油(0.04パーセント)に全面的に切り替えた。

(二) 排煙脱硫装置

昭和四八年五月、東ボイラーにモレタナ式排煙脱硫装置を設置した。

2 窒素酸化物対策

(一) 排煙脱硝装置

鋼管製造所では、昭和四八年一一月にモレタナ式のテストプラントを設置し、同五〇年一月から稼働した。

昭和五一年四月、回転炉床式加熱炉に排煙脱硫脱硝装置を設置した。

(二) 低NOxバーナー

低NOxバーナーを、昭和五一年九月焼入炉、焼戻炉に、同五二年六月ピット式鋼塊加熱炉に、同年九月東三号ボイラーに設置した。

3 煤じん対策

(一) バグフィルター式直接集塵装置

製鋼所では、昭和四〇年三月八〇トン及び二五トンの大型電気炉に対し一基、一五トン、八トン及び三トンの小型電気炉に対しバグフィルター式直接集塵装置を一基設置し、鋼管製造所でも、同年六月五〇トン電気炉に、同年七月八トン電気炉にそれぞれ同装置を設置し、同四六年一月大型電気炉の、同四七年五月小型電気炉の処理風量を増加した。昭和四七年九月ビレットグラインダー五台に対し、既設のサイクロン式集塵装置に替えてバグフィルター式直接集塵装置を設置した。

(二) 建屋集塵装置

製鋼所では、昭和四八年八月大型電気炉工場の八〇トン電気炉、二五トン電気炉それぞれにバグフィルター式建屋集塵装置を設置し、鋼管製造所でも、同年六月製鋼圧延工場にバグフィルター式建屋集塵装置を設置した。

(三) 散水機

製鋼所では、昭和四六年一二月石炭ヤードの防塵対策として散水機七基を設置した。

五被告中山鋼業(<証拠>)

1 煤じん対策

昭和三五年頃電気炉に湿式脱塵を行い、同四〇年四月ローカルフード式集塵装置を設置し、同四六年五月には更に一基増設した。

昭和四七年五月、二〇トン電気炉を五〇トン電気炉にリプレースしたとき直接吸引式集塵装置を設置し、建屋集塵装置を新設した。

2 二酸化硫黄対策

(一) 燃料の低硫黄化

昭和四五年四月から加熱炉、ボイラーの燃料の硫黄含有率を2.8パーセントから1.98パーセント以下の重油に転換し、同四六年一一月からは0.8パーセント以下の重油に転換した。

昭和四八年九月に棒鋼加熱炉の燃料を灯油(硫黄含有率0.001パーセント)に転換し、ボイラー、亜鉛メッキ加熱炉の燃料を0.5パーセント以下の重油に転換した。

昭和五三年一月ボイラー、亜鉛メッキ加熱炉に使用する重油の硫黄含有率を0.3パーセントに低減した。

(二) 高煙突化

昭和四七年七月棒鋼加熱炉の煙突を、三五メートルから五一メートルにした。

3 窒素酸化物対策

(一) 燃料改善

昭和四八年九月から棒鋼加熱炉の燃料を灯油(窒素含有率は0.0005及至0.01重量パーセント)へ転換した。

(二) 低NOxバーナー

昭和五四年八月棒鋼加熱炉に低NOxバーナーを設置した。

六被告旭硝子(<証拠>)

1 二酸化硫黄対策

(一) 原燃料の低硫黄化

軽油その他の低硫黄油への切替え、超低硫黄重油であるミナス重油の採用等により燃料の低硫黄化を図り、重油平均硫黄分を、昭和四四年2.2パーセント、同四五年二パーセント、同四六年1.5パーセント、同四七年一パーセントに削減した。

(二) 排煙脱硫装置

旭硝子独自に硝子溶融炉の排ガス中の硫黄酸化物を半乾式で苛性ソーダと反応させこれによって生成された芒硝を電気集塵機で取り除く半乾式排煙脱硫装置(脱硫率九〇パーセント)と湿式で苛性ソーダと反応させこれによって生成された芒硝を湿式集塵装置で取り除く湿式排煙脱硫装置エバーグリーン(脱硫率九八パーセント)を開発し、関西工場の硝子溶融炉五基の内、四基に半乾式排煙脱硫装置、一基に湿式排煙脱硫装置を設置することとし、昭和四七年一一月に第一号装置の運転を開始し、昭和四八年一一月には全部の硝子溶融炉で排煙脱硫を行うようになった。

2 窒素酸化物対策

(一) 低NOxバーナー

旭硝子独自に板状の炎をだす低NOxバーナーを開発した。

(二) 低空気比燃焼方法の開発

硝子溶融炉は、一般に空気のコントロールが難しいとされているが低空気比燃焼のノウハウを確立し、低減率四〇ないし五〇パーセントを達成できるようになった。

(三) 良質燃料の使用

昭和四九年からボイラー等の施設でA重油を使用することで窒素酸化物の排出の低減に成果をあげている。

(四) 排煙脱硫脱硝装置

排煙脱硫装置による脱硫工程においてアンモニアを添加することにより脱硝を行うという簡易脱硝装置を開発し、昭和五二年設置し、脱硝率三〇パーセントに至っている。

3 ばいじん対策

硝子溶融炉から排出されるガスには、溶融炉の高温により揮発される無水硫酸や芒硝が含まれており、これらの除去が技術的に甚だ困難であったが、ばいじんの性状に適合した集塵機を開発し、昭和四八年までに電気集塵機及び湿式集塵装置の設置を完了した。

4 着地濃度低減対策

昭和四七年一〇月に高さ一二〇メートルの高煙突を新設するとともに、拡散性の劣る煙突にはノズルキャップを取りつける等の改善をした。

七日本硝子(<証拠>)

1 二酸化硫黄対策

(一) 重油使用量の低減

ガラス一トン当たり重油使用量を昭和四四年度三〇六キログラムから同五四年度一七七キログラムに減少し、尼崎工場の重油使用量を昭和五〇年から同五四年の実績平均値は昭和四六年度対比三二パーセントに削減した。

(二) 燃料の低硫黄化

超低硫黄燃料への切替えで、昭和四五年度1.9パーセント、同四六年度1.7パーセント、同五二年度0.2パーセント、同五三年度以降は0.1パーセントに削減した。

(三) 電気集塵装置

昭和四八年七月から硝子溶融炉に脱硫調湿装置付電気集塵装置を設置した。

(四) 高煙突化

昭和四四年二月に五号溶融炉を七五メートルに高煙突化し、同四八年一〇月に四号溶融炉煙突を三八メートルから44.4メートルに嵩上げした。

2 窒素酸化物対策

(一) 低NOXバーナー

昭和四八年一〇月四号溶融炉にレイドロー・ドリュー・バーナーを設置し、五号、二号溶融炉にも同バーナーを設置し、昭和五五年二月二号溶融炉に超音波バーナーを設置し(同五六年二号炉休止後五号炉に転用)、同五七年四月三号溶融炉にも超音波バーナーを設置した。

(二) バーナーの配置の改善

三号溶融炉のバーナーの配置を改善してバーナー間のフレーム(炎)干渉を防止することにより一二ないし三五パーセント窒素酸化物濃度を減少できた。

(三) 電気ブースター

昭和四七年一月から同四八年一〇月にかけて、各硝子溶融炉に電気ブースターを設置し、使用エネルギー源の一部を重油から電力に転換し、硫黄酸化物排出量と窒素酸化物排出量の両方を減少させた。

(四) 硝子溶融炉の構造改善

溶融炉の構造改善によって窒素酸化物排出濃度と排出量の低減をした。

3 ばいじん対策

(一) 電気集塵装置

尼崎工場は昭和四八年七月から同四九年一一月にかけて順次各溶融炉にダストの捕集効率九五パーセントの乾式電気集塵装置を設置した。

(二) バグフィルター式集塵機

原料の受入れから調合作業を経て硝子溶融炉までの搬送を含む工程間で生じる粉じんは、バグフィルター式集塵機で集塵し、コンベアは防塵カバーの設置によって粉じんの飛散を防止している。

八被告大阪瓦斯(<証拠>)

1 二酸化硫黄対策

(一) コークス炉

加熱用燃料に都市ガスを使用する(硫黄酸化物の排出はない)。

(二) 増熱水性ガス発生設備

コークスを熱源とする(硫黄酸化物の排出は殆どない)。

(三) 原油ガス発生設備

加熱用燃料に原油を使用していたが、低硫黄化を図り、ミナス原油を使用するようになってから硫黄酸化物の排出は非常に少ない。

(四) ナフサガス発生設備

ナフサを熱源とする(硫黄酸化物の排出は殆どない)。

(五) 加熱炉

燃料に石油系燃料を使用していたが、順次低硫黄化を図り、都市ガスやLPGを使用するようになって硫黄酸化物の排出はなくなった。

(六) ボイラー

燃料に重油等を使用していたが、順次低硫黄化を図り、都市ガスを使用するようになって硫黄酸化物の排出はなくなった。

2 窒素酸化物対策

(一) 燃焼の軽質化

順次燃料の軽質化を進め、低硫黄油、ナフサ、LPG、都市ガス等への転換を進めC重油の場合に比べて三分の一以下となっている。

(二) 低空気比燃焼

空気比の見直しにより一〇ないし五〇パーセントの窒素酸化物排出量の削減を図っている。

(三) 低NOXバーナー

ボイラーに低NOXバーナーを採用した。

(四) 排ガス再循環

ボイラーに採用し、削減率二〇ないし四〇パーセント。

(五) 蒸気噴霧

燃焼排ガスにかえて水蒸気を供給することにより窒素酸化物を二〇ないし五〇パーセント程度削減する。ICI式ナフサガス発生炉に採用。

3 粉じん対策

(一) 石炭ガス製造設備

貯炭場、コークスヤードにレインガン式散水設備を設置し、コンベアには屋根付覆いを設置し、粉砕機室にはバグフィルター式集塵装置を設置し、配合槽は防じん建屋内に設置し、コークス炉周辺については、装炭車、ガイド車にロートクロン式集塵機を設置し、昭和四九年には固定ダクト式大型集塵機を設置した。

コークス処理に伴う発塵に対しては、コークスワーフへのスプリンクラー散水設備の設置コンベア上での散水装置等の防塵措置を取っている。

(二) 電気集塵機

昭和四八年酉島製造所及び北港製造所に電気集塵機を設置した。

4 高煙突

昭和四四年北港製造所の煙突を二五メートルから八〇メートルに、同四五年酉島製造所の煙突を二五メートルから七〇メートルに高煙突化した。

九被告関西熱化学(<証拠>)

1 粉じん対策

(一) 石炭関係

昭和三六年九月、門型クレーンに散水銃を設置、工場境界線側貯炭場擁壁に固定式スプリンクラーを設置し、散水用水に界面活性剤混入による防塵技術を開発し、昭和四〇年貯炭場防塵システムを完成した。

(二) コークス関係

昭和四二年六月無煙押出技術を開発し、同年一二月一号機を設置した。

2 ばい煙対策

(一) 二酸化硫黄対策

昭和四七年一〇月からコークス炉ガスの脱硫を実施し、昭和四五年度SO2計画排出量の六五パーセント削減をし、同五〇年以降コークス炉ガスの脱硫を強化した。

(二) 窒素酸化物対策

昭和五一年三月小規模プラントによるテストを開始し、同五二年八月には大浜地区コークス炉に実験プラントを設置した。

十被告古河機械(<証拠>)

1 硫黄酸化物対策

(一) 排煙脱硫装置

昭和四二年硫酸第二工場にアルカリ洗浄法による排煙脱硫装置を設置し、同四三年硫酸第一工場に同装置を設置し、同四六年には脱硫を強化した。

(二) 燃料の低硫黄化

昭和四六年酸化チタン焙焼炉使用重油をC重油からA重油へ転換し、同四八年にボイラー燃料を全部灯油化した。

(三) 湿式脱じん脱硫装置

昭和四四年に酸化チタン焙焼炉の全部に湿式脱じん脱硫装置を設置し、同四八年に酸化チタン焙焼炉の脱流を強化した。

2 ばいじん対策

(一) 排煙処理装置

昭和四四年に酸化チタン製造のイルメナイト溶解工程に排煙処理装置を設置し、酸化チタン焙焼炉の全部に湿式脱じん脱流装置を設置した。

(二) 電気集塵機

昭和五一年に酸化チタン焙焼炉に電気集塵機を設置し、イルメナイト溶解工程の排煙処理装置の排煙をこれに再導入し脱流脱じんを強化した。

3 高煙突

昭和四五年酸化チタン焙焼炉の煙突の建て替えに際し高煙突化した。

第二章西淀川地域の大気汚染と原告らの疾病との因果関係

第一本件疾病の概要

一慢性閉塞性肺疾患(<証拠>)

公健法による第一種地域の指定疾病として、慢性気管支炎、気管支喘息、喘息性気管支炎及び肺気腫並びにこれらの続発症が規定された。

指定四疾病のうち、慢性気管支炎、気管支喘息、肺気腫を一般的に慢性閉塞性肺疾患と総称している。

一九五八年に英国において、チバ・ゲスト・シンポジウムが開催され、これらの疾患を慢性非特異性肺疾患(CNSLD)という疾患群として総称することが提唱された。

一九六五年に、アメリカ胸部学会(ATS)が、米国では肺気腫と、英国では慢性気管支炎と呼ばれている慢性の気道閉塞に関する混乱を少なくするために、その臨床像と病理像との関連がもっと正確になるまでは、これをまとめてCOLD(慢性閉塞性肺疾患)と呼ぶことを提唱し、これが一般に承認された。

最近、医学の進歩により個々の疾患が臨床的に区別して診断されるようになり、慢性閉塞性肺疾患の概念はその存在意義を失い、かえって混乱をまねくとの見解もある。

我が国でも、各々が独立した疾病として診断されるべき慢性気管支炎、気管支喘息、肺気腫の三疾患についても、これらが互いに重なり合っている場合も実際にはあることなどから現在でも慢性閉塞性肺疾患の用語は使用されている。また、中央公害対策審議会環境保健部会「大気汚染と健康被害との関係の評価等に関する専門委員会」(以下単に「専門委員会」という)の報告も、右を理由とし、かつ前記各疾病を包括する上でこれに代わる適切な用語も現時点で見いだしがたいとして、慢性閉塞性肺疾患の用語を使用している。

二慢性気管支炎(<証拠>)

1 定義

慢性気管支炎とは、「肺・気管支及び上気道の限局性病巣によらないで起こる慢性或いは反復的な咳嗽・喀たんを主症状とする疾患であり、慢性或いは反復性とは一年のうち少なくとも三ケ月以上、殆ど毎日、少なくとも二年間連続して咳嗽・喀たんが存在する状態を意味する」と定義される(フレッチャーの定義)(争いがない)。

2 病態

慢性気管支炎の基本病態は、気道分泌構造の肥大、すなわち気管支腺及び気管支上皮の杯細胞の肥大に基づく気道分泌の亢進が慢性に存在することである。

3 症状

長期にわたるせき、たんであり、たんは、粘液性から増悪時には膿性となる。進展例では血たんもみられる。増悪時には呼吸困難、喘鳴もみられる。

4 発症機序、病因

気道粘膜上皮が障害され、線毛運動の低下、気管支腺の肥大、分泌亢進を起こす。

病因としては、内的因子として、年齢、性、人種、体質(アレルギー素因)、既往性、肺循環障害等があり、外的因子として、喫煙、気候、大気汚染、職業的暴露、ウィルス感染等があげられている。そして、後記肺気腫の病因とともに、環境要因として従来から注目されてきたのは、喫煙、大気汚染、職業性暴露、感染である。

(一) 喫煙

喫煙者は非喫煙者に比し、慢性気管支炎、肺気腫による死亡率が高い。また呼吸器症状の有症率が高く肺機能が低下しており、喫煙量増加につれて更に悪化する。呼吸器症状がなくても喫煙者は、末梢気道の機能異常を有する者が非喫煙者より多い。

(二) 大気汚染

呼吸器疾患症状の有症率と関連するとされている。

(三) 職業性暴露

ある種の職業性暴露が発生に関与するとされている。

三肺気腫(<証拠>)

1 定義

肺気腫とは、「肺胞壁の破壊的変化により終末細気管支から末梢の含気区域が異常に拡大していることが特徴の解剖学的変化」と定義される(アメリカ胸部疾患学会(ATS)の定義)。そして、小葉中心型(呼吸細気管支領域の破壊により小葉中心部の気腫がみられるもの)、汎小葉型(小葉全体の破壊、拡張を示すもの)及び分類不能型とに分けられ、不可逆的なものである(争いがない)。

2 病態

肺気腫の基本病態は、肺胞構造の破壊により肺胞の駆出力が低下する一方、肺内気道では周囲肺組織の支持が失われ、気道は潰れやすくなるから、特に、呼吸時においては容易に気道が潰れ、患者は息を吐こうと努力すればするほど息が吐きにくくなることである。

3 症状

進行性の呼吸困難(息切れ)であり、初期における労作時の息切れから、進行すると室内歩行も困難となる。チアノーゼをみることもあり、口すぼめ呼吸、努力性呼吸がみられる。気管支の慢性炎症を伴うことが多く、そのため慢性的なせき、たんを随伴することが多い。

4 発症機序、病因

肺組織障害の基盤の上に圧力負荷が加わって発生すると考えられている。

肺組織障害因子として、年齢、喫煙、環境汚染、感染、体質(特にα1アンチトリプシン欠損)があげられており、圧力負荷には、閉塞性障害、過換気、咳嗽、胸腔内圧の変化(隠圧度の増加)などがあげられている。

四気管支喘息(<証拠>)

1 定義

気管支喘息とは、「種々の刺激に対する気管及び気管支の反応亢進を特徴とし、広範な気道狭窄により症状を生じるが、その程度は自然にあるいは治療により変化する疾患である。しかし、広範な気管支の感染、たとえば急性及び慢性気管支炎、肺気腫などの肺組織の破壊、心血管性疾患により生ずる気道狭窄は含まない」と定義される(アメリカ胸部疾患学会(ATS)の定義)(争いがない)。

2 病態

気管支喘息の基本的病態は、気道が過敏であることである。そのため色々の物理的、化学的刺激に対して気道が異常に反応して、気道壁の平滑筋攣縮、分泌物、浮腫によって閉塞状態を起こし、その結果喘鳴が生じ自覚的に呼吸困難を認めるようになり、しかもこの閉塞状態は可逆的で自然に又は治療により短期間で改善することである。

3 症状

喘鳴を伴う呼吸困難であり、せき、たんを伴うこともある。これらの症状は、可逆的であり自然にあるいは治療により改善する。

4 発症機序、病因

気管支喘息の病因については、アレルギー説、自律神経失調症、内分泌説、感染説等諸説あるが、実際には各々が互いに関連しあい、全体として発症に関与するものと考えられ、特定病因のみで気管支喘息の発症原因を一元的に述べるのは難しいと考えられている。

(一) アレルギー説

アレルギー説によれば、ハウスダスト、花粉類、カビ類等の種々のアレルゲンが吸入により気管支粘膜中にあるマスト細胞上のレアギンと結合し、アレルゲンとレアギンの抗原抗体反応の結果、マスト細胞で脱顆粒現象を起こし、ヒスタミン等の化学伝達物質が遊離される。

これらの物質は気管支の諸細胞に作用して粘液分泌の亢進、血管壁透過性や血清成分浸出の亢進に伴う気道粘膜の浮腫及び気管支平滑筋の収縮を引き起こし気道狭窄が生じる。一方、寒冷や大気汚染物質等の刺激が気道に作用すると、迷走神経反射路を介し、アセチルコリンが遊離され、同様の機序で気道狭窄が起こると考えられている。しかし、レアギンが産生され抗原抗体反応の結果ヒスタミン等が遊離されたり、寒冷や大気汚染物質等の刺激でアセチルコリンが遊離されても喘息発作が起こるかというと必ずしもそうとはいえず、気管支喘息の発症には、気道の過敏性の存在が必要条件の一つと考えられている。

(二) 感染説

感染説としては、感染による気道粘膜の炎症性変化で気管支粘膜内にある受容体の感受性が亢進し、更に細菌自体がアレルゲンとして作用することなどが考えられている。

五喘息性気管支炎(<証拠>)

喘息性気管支炎は、反復性気管支炎、アレルギー性気管支炎、乳児期気管支喘息、初期小児期気管支喘息、慢性気管支炎を含むもので、これらの総称として我が国の小児科領域で用いられた診断用語であり、学術上も問題があるが、本邦で広く慣用されているため公健法の指定疾病に加えられた経緯がある。

第二大気汚染の健康影響に関する研究報告

一疫学調査

大気汚染と呼吸器疾患との関連を調査した疫学調査は、我が国を含めて各国で行われているが、本件において主張された我が国における主要な調査報告は次のとおりである。

1 千葉調査(<証拠>)

千葉県においては、昭和四六年から千葉県下五市一三地区(年平均値、二酸化窒素0.013ppm〜0.04ppm、二酸化硫黄0.009ppm〜0.042ppm、一酸化窒素0.050ppm〜0.043ppm)で、BMRC方式により四〇歳ないし五九歳の住民を対象として持続性せき、たんの有症率調査が行われた。

吉田亮ら(一九七六年)は、右の調査結果に基づき、持続性せき・たん有症率は一酸化窒素、二酸化窒素、窒素酸化物の年平均値との間に有意な相関がみられ、また、二酸化窒素、二酸化硫黄を含む大気汚染指標との間に有意な相関がみられたとの報告をしている。

2 大阪・兵庫調査(<証拠>)

大阪府衛生部は、昭和三九年度以降、大気汚染による地域住民の健康影響の実態把握を目的として、大阪府下六地域で四〇歳以上の地域住民を対象に慢性気管支炎に関する疫学調査(アンケート調査を実施し、せき・たん症状の記載のあるものを対象としてBMRC質問票を用いて面接調査、呼吸機能検査を実施)を実施してきた。

兵庫県赤穂市においても同様の調査が実施された。

常俊義三ら(一九七七年)は、右調査の内の昭和四七年から昭和四九年までの三年間の調査結果に基づき、大気汚染物質(年平均値、二酸化硫黄0.018ppm〜0.037ppm、二酸化窒素0.016ppm〜0.090ppm、浮遊粉じん四一μg/m3〜一六〇μg/m3)と慢性気管支炎有症率の検討を行い、慢性気管支炎有症率と大気汚染指標との関係については、単独汚染指標よりも複合汚染指標の方が慢性気管支炎有症率との間に高い相関があり、とりわけ、二酸化硫黄と浮遊粉じんの相加的な指標が、慢性気管支炎有症率によく対応する。持続性たんの有症率は、ほかの呼吸器症状に関する有症率よりも各種大気汚染指標との間に相関関係が強く大気汚染に最も鋭敏に対応することが明らかにされたとの報告をしている。

3 岡山調査(<証拠>)

岡山県衛生部は、昭和四九年度、同五〇年度、同五二年度に、岡山県南部一二地区(年平均値、二酸化硫黄0.015ppm〜0.032ppm、二酸化窒素0.016ppm〜0.030ppm、SPM0.040μg/m3〜0.063μg/m3)の四〇歳〜六〇歳の住民約四五〇〇名を対象に、BMRC質問票及び医師のチェックにより呼吸器症状の調査を行った。

坪田信孝ら(一九七九、一九八〇年)は、

(一) 右調査の昭和四九年、同五〇年の結果に基づき、大気汚染と呼吸器症状との間に関係があるか否かを明確にすることを目的として分析した結果を次のとおり報告している。

(1) 単回帰分析により、窒素酸化物及び硫黄酸化物を指標とした大気汚染と、持続性せき・たん訂正有症率及び平均呼吸器症状点数を指標とした呼吸器症状との間における解析結果において、両者間に関係がないとは言えない成績をえた。

(2) 重回帰分析の変数選択法により、第一位には、一八例中一六例で窒素酸化物に関する指標が、二例で硫黄酸化物に関する指標が選択された。第二位には、前者の一六例中一〇例で硫黄酸化物に関する指標が、五例で浮遊粒子状物質に関する指標が、一例で光化学オキシダントに関する指標が選択され、後者の二例では窒素酸化物に関する指標が選択された。また、これら第二位まで変数を使用した場合の、母重相関係数はすべての例でゼロとみなされた。

(3) 以上の成績により、呼吸器症状に与える大気汚染の影響は、統計学的見地から否定できないものと考えた。

(4) 岡山県における呼吸器症状に対する汚染物質ごとの寄与の程度は、窒素酸化物、硫黄酸化物の順と考えた。

(二) 前記調査の昭和四九年、同五〇年の結果に基づき、無作為再抽出により訂正因子を訂正し、x二乗による回帰分析を応用して分析した結果を次のとおり報告している。

(1) 岡山県南部地域の地区ごとの有症率には有意の差が認められ、この差を説明する因子として、窒素酸化物、硫黄酸化物を指標とした大気汚染が考えられた。また、これらの指標で表わされる大気汚染の増加に伴って有症率が増加する傾向は有意であり、かつ直線的なものとみなすことができた。

(2) 右成績は、窒素酸化物、硫黄酸化物を指標とした大気汚染と有症率に関係があると考えられた前記の成績と矛盾しないものであった。

(三) 前記調査の昭和四九年、同五〇年及び同五二年の結果に基づき、大気汚染と持続性せき・たん有症率との間にプロビットモデルを仮定した解析を行い、その結果を次のとおり報告している。

(1) 加重平均による訂正有症率を用いた回帰分析では前記の成績と矛盾しない成績がえられた。

(2) x二乗統計量によって検定をした結果、地区ごとの有症率には有意の差があり、窒素酸化物を大気汚染の指標とした場合には直線モデル・プロビットモデルともに容認され、その際、大気汚染の増加に伴って有症率が高くなる傾向は有意であった。したがって窒素酸化物と有症率との間には、量―反応関係があると考えられた。このときの二酸化窒素濃度は0.006〜0.030ppm(一〜三か年平均値、ザルツマン法、ザルツマン係数0.72)であった。

(3) 硫黄酸化物と有症率の関係は有意であった。しかしながら、この検定の基礎となったモデルは、直線モデル・プロビットモデルともに適合性が否定された。したがって、硫黄酸化物によって、現状の各地区間の有症率の差を説明することは困難であると考えられた。有症率の地区差を説明する指標としては、窒素酸化物の方が硫黄酸化物より、よりよい指標と考えられた。

4 六都市調査

環境庁は、昭和四五年度から同四九年度にかけて、千葉県、大阪府、福岡県内の六地区において、大気汚染物質として、硫黄酸化物、窒素酸化物、一酸化炭素、浮遊粉じん、降下煤じんの測定及びBMRC質問票による呼吸器症状の把握、胸部レントゲン、呼吸機能検査等の調査を行い、次のとおり報告している。

大気汚染の程度については、六地区間において差があった。五か年間の大気汚染の程度を経年的にみると、硫黄酸化物、浮遊粉じん及び降下煤じんについては漸次低下傾向が認められたが、窒素酸化物についてはこのような傾向は認められなかった。

呼吸器症状(せき、たん及び持続性のせき・たん)の有症率については、六地区間に差があった。同一の質問票を用いて質問を行った年度の女子についての有症率を経年的にみると、昭和四五年度から昭和四九年度にかけて低下傾向がみられた。

各大気汚染物質の濃度(又は量)と呼吸器症状の有症率の関係を統計学的に分析したところ、一部の例外を除き両者の間には順相関がみられた。これらの相関の内、いくつかの組み合わせについては統計学的に有意であったが、大部分は有意でなかった。

一方、大気汚染と呼吸機能検査の結果との相関については、一部の年度、一部の項目を除いて統計学的に有意な関係はみられなかった(<証拠>)。

鈴木武夫ら(一九七八年)は、右調査結果に基づく千葉県、大阪府及び福岡県の六都市の四〇歳〜六〇歳の女性を対象とした調査資料について検討を加え、持続性せき・たん有症率は、年平均値、二酸化窒素0.016ppm、二酸化硫黄0.03ppm、TSP一五〇μg/以下であれば二パーセント以下であり、右濃度を超える地域では四ないし六パーセントになるとの報告をしている(<証拠>)。

5 ばい煙等影響調査報告(五か年総括)(<証拠>)

近畿地方大気汚染調査会は、昭和三九年から同四四年にかけて、西淀川区を含む大阪府下二六地区で、四〇歳以上の住民総計九万五二五三名を対象に、アンケート法による慢性気管支炎に関する調査(BMRC標準質問票に準拠して作成したアンケート調査を行い、調査票で自覚症状のあるものを対象に問診及び臨床的諸検査が行われた)を実施し、次のとおり報告している。

(一) 大気汚染の住民に及ぼす影響

(1) 慢性気管支炎の有症者率は、男女とも、年齢及び喫煙量の増加と共に高くなる。

(2) 慢性気管支炎の地区別訂正有症者率は、亜硫酸ガス濃度(PbO2―SO3値)の高い地区程高率である。

(3) 慢性気管支炎有症者率度に対する年齢、喫煙量、大気汚染度の関係を数式化することができた。

(4) 慢性気管支炎の有症者率は、PbO2法による亜硫酸ガス濃度1.0mgの増加により約二パーセント増加する。

(5) ただし、風向による指向性の強い、高いピークをもった汚染を示す西淀川の一部地区では、有症者率がPbO2法の年平均値より予想されるよりも、著しく高率であった。このような質的に異なった汚染地区に前項の数式を適用するためには、汚染度の指標について考慮する必要がある。この点については検討中である。

(6) 慢性気管支炎の閉塞性障害者率は、年齢、喫煙量とともに高率である。

(7) 慢性気管支炎の閉塞性障害者率の地区間の比較では著明な差はみられなかった。

(8) 慢性気管支炎、肺気腫、喘息等特異性呼吸器疾患患者の症状悪化の頻度は、亜硫酸ガス濃度(日最高値及び平均値)の増加と共に高率となった。また、自覚症状の悪化だけでなく、亜硫酸ガス濃度の変化につれて、呼吸機能の悪化するもののあることが明らかにされた。

(二) 大気汚染の学童の肺機能に及ぼす影響

(1) 年間を通じて概ね2.0mgSO2/日/一〇〇cm3以上のSO2濃度を示す工業地区においては、年間を通じて概ね1.0mgSO2/日/一〇〇cm3以下を示す住宅地区に比し寒期に肺機能の低下が認められる。

(2) 大気汚染の年間平均値に著しい差は認められないが、年間を通じて0.5ppm以上のSO2濃度の汚染ピークがしばしば出現する工業地区と寒期にしばしば0.5ppmに近い汚染ピークが出現し暖期には概ね0.3ppm以下の汚染ピークが認められる商業地区の学童の肺機能を比較した場合、工業地区に低下する者が認められ、この場合その肺機能低下は慢性的傾向を示した。

(3) 肺機能低下時には最大呼吸気流量と肺活量比の関係から検討して、閉塞性様肺機能低下の傾向を示す異常低下者の出現率が増大する。

(4) PFR/Hは肺機能測定時のSO2濃度と逆相関の傾向を示すが、浮遊粉じん濃度との相関は明らかでない。

以上の結果により、大阪市内の大気汚染ことにSO2濃度の著しく増大している工業地区においては、寒期に学童の肺機能が低下し、その影響は急性的な影響のみならず慢性化の傾向を有するものと考える。

6 大阪府医師会調査(<証拠>)

大阪府医師会は、昭和四六年以降隔年に、府下全域の小学校児童の自覚症状調査を実施している。調査対象は府下全公立小学校児童で、昭和四六年度七一九校六〇万九一九〇名、同四八年度七八四校六六万二七七四名、同五〇年度八四八校七二万九〇四八名であり、全児童にアンケート調査票を配付し、保護者に児童の自覚症状の記入を求めたもので、調査項目は大気汚染の影響に主眼を置き、のど、眼、頭痛、せき、喘息様症状等の自覚症状である。その結果につき、次のとおり報告している。

(一) 大気汚染度の著しい地域ほど訴症率が高率で、地域差に関して各症状固有のパターンを示した。

(二) 年次的には、一般に昭和四八年の訴症率がもっとも高率であった。

(三) 大阪市内のビル商業地区では年次毎に「くしゃみがでやすい」「目が痛い」「ぜいぜいいう」などの訴えの増加がみられた。

(四) 大阪市内について、各校の訴症率は、二酸化硫黄推定値よりも固定発生源による窒素酸化物推定値との相関が強くみられた。

(五) 移動発生源による窒素酸化物推定値と訴症率との相関がとくに昭和五〇年に目立ってきた。

(六) 偏相関係数でみると、移動発生源による窒素酸化物推定値は、硫黄酸化物の場合と異なり「くしゃみがでやすい」「目が痛い」「ぜいぜいいう」の訴えと関連していた。

(七) 大阪南部七九校について推定汚染値と訴症率との回帰式を求め、窒素酸化物年平均値0.015(0.013〜0.017)ppm前後の地域から大気汚染との関連が表れる結果を得た。

7 学童の呼吸機能の経年変化に関する研究(<証拠>)

常俊義三ら(一九七九年)は、大阪府下の大気汚染濃度の異なる地域の学童を、昭和四九年から一年に一回三年間にわたり追跡調査した結果では、大気汚染濃度のもっとも高い地域(年平均値、二酸化窒素五〇ppb、二酸化硫黄二一ppb)の学童のFVC(努力性肺活量)、FEV0.75(0.75秒量)、FEV1.0(一秒量)と、これらのそれぞれの測定値の二年間の増加量/身長の伸びは他の二地域(中濃度地域:二酸化窒素三四ppb、二酸化硫黄一八ppb、低濃度汚染地域:二酸化窒素二六ppb、二酸化硫黄一四ppb)に比べ低値であったことを報告している。

8 環境庁a調査(<証拠>)

環境庁環境保健部は、群馬県から宮崎県までの太平洋側を中心とした九都道府県二八地域において、昭和57.58年度に、ATS方式に準拠した質問票を用いて、小学生の両親及び祖父母のうち居住歴三年以上かつ三〇ないし四九歳の者三万三〇九〇人を対象として調査し、同じく三三地域において、昭和五六年から昭和五八年度に、同方法により、居住歴六年以上の児童四万三六八二人を対象として調査し、その結果を次のとおり報告している。

(一) 成人

成人の調査区域における当該年度の一般環境大気測定局の年平均値は、二酸化窒素3.0〜38.0ppb、二酸化硫黄4.0〜13.5ppb、浮遊粉じん20.0〜63.0μg/m3である。調査校を、都市形態別に人口密度五〇〇〇人/km2以上の地域(U)、一〇〇〇〜五〇〇〇人/km2未満の地域(S)、一〇〇〇人/km2未満の地域(R)に分け、持続性せき・たん及び喘息様症状・現在の有症率を比較すると、Uで最も高く、Rで最も低い値を示したが、年度・性ごとにみると統計的に有意な差が認められる場合は少なかった。また、家族数、部屋密度、室内汚染、既往症、職歴及び喫煙に関する因子と有症率との関連をみたところ、既往症に関する因子については、有意な関連が認められ、喫煙に関する因子については一部に有意な関連がみられたが、室内汚染に関する因子等については有意な関連はほとんどみられなかった。

学校別の有症率と大気汚染濃度との関係については、せき・たん系症状と二酸化硫黄、浮遊粉じんとの間に有意な相関を示す場合が多く、二酸化窒素との間では比較的少なかった。喘息様症状・現在の有症率と大気汚染濃度との間には有意な関連はみられなかった。

(二) 児童

(1) 児童の調査区域における当該年度の一般環境大気測定局の年平均値は、二酸化窒素3.5〜34.0ppb、二酸化硫黄4.0〜16.0ppb、浮遊粉じん13.0〜69.0μg/m3である。

(2) 調査校を前記のとおりU、S、Rの三つに分け、喘息様症状・現在及び持続性ゼロゼロの有症率を比較すると、いずれもUで最も高く、Rで最も低い値を示し、統計的にも有意の差が認められた。

また、体質、過去の病気、現在の病気、過去の栄養、家族構成、部屋密度、室内汚染、遺伝的要因及び居住環境に関する因子と有症率との関連をみたところ、体質、過去の病気及び現在の病気に関する因子については有意な関連がみられた。そこで、これらの因子によって有症率の都市形態間の差を説明できるか否かをみるため、これらの因子を有している群と有していない群に分けて有症率の都市形態間の差を検討すると、いずれもU>S>Rの関係がみられ、少なくとも他にも有症率の差をもたらしている因子があることを示唆した。ただし、ここでみられた差は年度、性ごとにみると、有意なものと有意でないものとがあった。一方、室内汚染に関する因子等については、有症率と有意な関連はほとんどみられなかった。

(3) 学校別の有症率と大気汚染濃度との関係については、各年度とも男女を通じておおむね有意な相関が認められた。汚染物質別にみると、二酸化窒素>浮遊粉じん>二酸化硫黄の順で統計的に有意な関連性を示す場合が多かった。

9 環境庁b調査(<証拠>)

環境庁大気保全局は、北海道から鹿児島までの日本海側を含む全国の二八都道府県五一地域(一般環境大気測定局の三年平均値、二酸化窒素五〜四三ppb、二酸化硫黄五〜二四ppb、浮遊粉じん二〇〜九〇μg/m3)の小学校(一五〇校)において、ATS方式に準拠した質問票を用いて、昭和五五ないし五九年度に、小学生の両親・祖父母のうち居住歴三年以上かつ二〇歳代から六五歳以上の者一六万七一六五人を対象として調査し、右と同時に同地域同小学校において、同期間、同方法により、居住歴三年以上の児童九万八六九五人を対象として調査し、その結果につき次のとおり報告している。

(一) 成人

(1) 有症率と大気汚染との関係を主な組合せ症状でみると、男で喘息様症状・現在と浮遊粉じんで、女で持続性せき・たんと二酸化窒素、二酸化硫黄で、喘息様症状・現在と二酸化硫黄で有意な相関が認められた。

女では、持続性せき・たん、喘息様症状・現在等で他の大気汚染物質に比べ二酸化硫黄との相関が強く、また、この傾向は五〇歳未満の者に比べ五〇歳以上の者でより明瞭になった。

(2) 女で、持続性せき・たんと二酸化窒素との間にみられた有意の相関については、肺結核等の呼吸器疾患の既往の有無別に分けると両群とも相関が弱くなった。

喘息様症状・現在では、女の場合、アレルギー素因(両親の喘息又は本人のアレルギー性鼻炎の既往)ありの者で二酸化窒素との相関が認められた。

(3) 二酸化窒素との関連が最も強く認められたのは持続性たんであったが、その意義づけについては今後さらに検討する必要がある。

(二) 児童

(1) 有症率と大気汚染との関係を主な組合わせでみると、男で、持続性ゼロゼロ・たんと二酸化窒素、二酸化硫黄で、喘息様症状・現在と二酸化窒素で、女で、持続性ゼロゼロ・たんと二酸化窒素、二酸化硫黄で、喘息様症状・現在と二酸化窒素、二酸化硫黄で有意な相関が認められた。

(2) 持続性ゼロゼロ・たんでは男女とも、喘息様症状・現在では男で、アレルギー素因あり(父若くしは母に喘息様症状又はアレルギー性鼻炎の既往がある場合、祖父若しくは祖母に喘息がある場合、又は本人にじんましん、アレルギー性鼻炎又は湿疹の既往がある場合を指す)の群で有症率と二酸化窒素、二酸化硫黄との相関が有意になる傾向が認められた。家族の喫煙がある場合では、男では持続性ゼロゼロ・たん、喘息様症状・現在の有症率と二酸化窒素との相関がより強くなる傾向が認められた。排気型暖房の家屋では非排気型に比べ、男で喘息様症状・現在、女で持続性ゼロゼロ・たんの有症率と二酸化窒素、二酸化硫黄との相関がより明瞭になる傾向が認められた。

(3) 二酸化窒素濃度区分別有症率をみると持続性ゼロゼロ・たんでは、濃度区分が高くなるにつれて有症率が高くなる傾向が認められた。喘息様症状・現在では三一ppb以上で有症率が高率であった。

10 道路沿道調査(<証拠>)

東京都衛生局は、昭和五三年度から同五九年度にかけて、窒素酸化物を中心とする複合大気汚染の健康に及ぼす影響を明らかにするため、症状調査、患者調査、死亡調査、基礎的実験的研究の五分野に分けて調査研究を行い「複合大気汚染に係る健康影響調査総合解析報告書」を発表した。右調査の結果では

(一) 症状調査につき、昭和五四年調査においては、持続性せき、持続性たん、持続性せき・たん、たん、せき・たんの増悪、喘鳴、息切れ(軽度)等いくつかの有症率が沿道地域(道路端から二〇メートル以内)が後背地域(道路端から二〇ないし一五〇メートル)に比べ高率であった。

昭和五七年調査では、主婦の有症率をみると後背1(道路端から二〇メートルないし五〇メートルの地域)では沿道(道路端から二〇メートルの地域)と同程度かもしくはやや高率を示す症状項目もあり、結果からみると後背という表現は相応しくなかったということもできる。

昭和五八年調査においては、道路端からの距離によって、〇メートルから二〇メートルの地区(沿道)と二〇メートルから一五〇メートルの地区の二地区に分割して対象者を選んで、有症率の差の比較を行ったが、主婦に関しては、一部の項目を除いて沿道において有症率が高くなっていた。

昭和五七年調査と昭和五八年調査における結果を総合すると、昭和五七年調査の後背1における有症率が高率である点や統計的にみて有意差が認められた症状項目は一部に限られる点など、依然として考慮すべき点が残っているものの、多年度にわたり、複数の地域でほぼ一貫した結果が得られたことから考え、幹線道路からの距離に依存して呼吸器症状有症率に差が生じているとみなすのが妥当であろう。

(二) 昭和五七年環境調査結果からみると、二〇メートルないし五〇メートル付近の一酸化窒素濃度及び二酸化窒素濃度は〇メートルから二〇メートル付近の濃度よりも低く、五〇メートルから一五〇メートルの濃度に近い値となっていた。昭和五八年環境調査及び昭和五九年環境調査においても濃度の距離減衰に関して同様の傾向を示していることを考えあわせると、窒素酸化物の距離減衰のパターンはある程度一般化して考えることができると思われる。

また、昭和五八年環境調査及び昭和五九年環境調査で実施した浮遊粉じん濃度測定結果においても、濃度の距離減衰の傾向が示されたことは、有症率の差を自動車排出ガスと関連づけて考察する場合には窒素酸化物のみならず、浮遊粉じんなどの複数の自動車排出ガス成分を考慮する必要性を示唆するものと思われる。

(三) 幹線道路からの距離に依存してみとめられた有症率の差を自動車排出ガスの影響であるとみなし、排出ガス中のどのような成分が主な原因物質であるかに関して疫学的判断を下すためには、今後さらに周辺住民の自動車排出ガスへの暴露形態に関する調査・研究が必要であろう。

とされている。

11 四日市市国道一号線・名四国道沿道調査(<証拠>)

北畠正義らは、固定発生源による汚染が少なく、交通量の多い主要幹線道路が横断する四日市市北部の国道一号線(交通量・一日二万六四九一台)、名四国道(交通量・一日四万八三三三台)の沿道の住民につき、道路端からの距離別に昭和四八年三月から昭和五〇年一一月までの間の国民健康保険レセプトを使用して受診率を調査し、その結果につき次のとおり報告している。

急性型疾患(感冒、急性気管支炎、肺炎、流行性感冒)では、道路からの距離には殆ど関係なく受診していた。喘息型疾患(気管支喘息、喘息性気管支炎)では、第一ゾーン(国道一号線では道路端から三〇メートルまで名四国道では道路端から六〇メートルまでの地域)においてその受診率が高く、他のゾーン(国道一号線では道路端から三〇メートル以上一五〇メートルまでの地域、名四国道では道路端から六〇メートル以上一五〇メートルまでの地域)ではほぼ同程度であった。上気道型疾患(咽頭炎、喉頭炎、扁桃腺炎、アンギーナ、鼻炎)では、道路から距離を隔てるとともに受診率も低下し、慢性型疾患(慢性気管支炎、肺気腫、気管支拡張症)では、名四国道沿道の第一ゾーンに高い受診率を認め、道路に最も近いゾーンと他のゾーンとの間に著明な差を認めたが、国道一号線においてはその差を確認することができなかった。閉塞型疾患(気管支喘息、喘息性気管支炎、慢性気管支炎、肺気腫)では、各道路からの影響ともに第一ゾーンに高い受診率を認め、名四国道においてその差が著明であった。

12 国道四三号線沿道学童調査(<証拠>)

柳楽翼らは、国道四三号線の沿道の二小学校(芦屋市精道小学校及び尼崎市西小学校)と対象校である芦屋市山手小学校の全児童を対象として、上下気道症状、眼粘膜症状等に関する自記式問診調査を行い、その結果につき次のとおり報告している。

(一) 有訴率の三校比較では、各校区の大気汚染状況の差に対応した関係、即ち精道小>西小>山手小の順序がみられた。

(二) 汚染二校においては、学童の住居・国道二四号線間距離が大になるに従って、有訴率は低下する傾向(有訴率の距離減衰傾向)を示し、スコア法による検定によって、多くの項目について有意の線型傾向がみられた。

(三) 有訴率の距離減衰傾向と排気ガス汚染の距離減衰の間にはパターンの相似がみられた。(略)

(四)、(五)(略)

(六) 自覚症状多発と排気ガス汚染との関係について、病因論的考察を行った。二酸化窒素暴露による経気道感染への感受性の亢進、急性呼吸器疾患罹患の増加、アレルギー的感作の促進、気管支喘息患者における気道狭窄効果の増強などの作用に関する知見、二酸化窒素と粒子状物質、二酸化硫黄、オゾン等との共存効果に関する知見からみて、「喘鳴、喘息」症状、アレルギー性症状及び易感冒が、排気ガス汚染との間に強い関連性を有する点は、矛盾なく理解される。

13 守口市調査(<証拠>)

調査の詳細は明らかでないが、大阪府守口市内の半径2.5Km以内にある五小学校学童を対象としたATS―DLDの標準質問票を基に作成された質問票(環境庁・改定版)を用いた調査で、近畿自動車道、阪神高速道、国道一号線に囲まれた地域内にある二小学校と幹線道路がない三小学校とに分け、大気汚染濃度、有症率を比較すると、幹線道路に囲まれた地区の大気汚染濃度は幹線道路の関係のない地区に比べて高く、二酸化硫黄、粒子状物質で凡そ1.4倍、二酸化窒素で1.9倍、一酸化窒素で8.5倍であり、症状の組み合わせによる喘息様症状率は1.4倍と高く、喘鳴症状率は1.1倍であったとの報告がある。

二動物実験と人体負荷研究(<証拠>)

動物実験及び人体負荷研究についての証拠は少ないが、専門委員会の報告書にまとめられており、これによれば次のとおりである。

1 動物実験

(一) 肺形態学的影響

(1) 二酸化窒素

ア 二酸化窒素4.0ppm、0.4ppm、0.04ppmのラットに対する九か月間、一八か月間及び二七か月間暴露の結果、光顕的に、4.0ppm暴露群については、九か月目に二酸化窒素暴露において定型的な形態学的変化、すなわち、気管支上皮の肥大と過形成、杯細胞の増加、線毛上皮の異形成及び気管支肺接合部から肺胞道へかけての細胞浸潤を伴う壁肥厚とクララ細胞の増殖が明らかに認められ、これらは一八か月目に更に進行し、これに加え肺胞道近接肺胞に軽度の壁肥厚と局所的増殖が認められるようになり、二七か月目には気管支肺接合部から近接肺胞領域における線維化と上皮増殖が進行した。しかし、一般の肺胞壁には変化は明らかではなく、肺気腫像も認められていない。これらの変化は0.4ppm二七か月間暴露群についても軽度ながら認められたが、0.04ppm暴露群では認められていない。一方、電顕的形態計測的平均肺胞壁厚の増加傾向が、4.0ppm暴露群では九か月目から、0.4ppm暴露群では一八か月目から、0.04ppm暴露群でもより軽度ながら一八か月目から認められている。

イ 二酸化窒素0.04ppm、0.12ppm、0.4ppmの三、六、九、一八か月間暴露が上記実験の再実験として行われたが、光顕的には上記結果がほぼ支持された。

ウ ラットに対する二酸化窒素1.0ppm、0.5ppm、0.3ppmの三、六、一二、一八か月間暴露が行われ、0.3ppm群では、肺の形態学的変化は、三、一八か月で疑陽性であるが、全般としては確定的ではなく、一方、0.5ppm群では、一八か月後には軽度ながら定型的病変(気管支粘膜上皮の肥大や増殖等)が出現した。

エ ラットに対する二酸化窒素一〇ppm、三ppm、0.5ppm及び0.1ppmの一か月間暴露についても、全体として濃度依存的に、形態計測的平均肺胞壁厚が増加している。なお、この場合、反応の強さには月齢差が認められ、一月齢から一二月齢にかけては低下しているが、二一月齢では再び強まっている。

オ 二酸化窒素0.34ppm六週間(六時間/日、五日間/週)暴露のマウスにおいて、肺胞Ⅱ型細胞の数が増加した。

カ 二酸化窒素0.1ppm六か月間(ピーク濃度一ppm/二時間を含む)暴露をうけたマウス、また、二酸化窒素0.65ppmと一酸化窒素0.25ppmにおいて、更に二酸化窒素0.15ppmと一酸化窒素1.66ppmの混合ガス六八か月間暴露後三二か月間〜三六か月間清浄大気内におかれたイヌにおいて、肺気腫変化とみなしうる形態計測的変化が特に前者において認められた。

キ 二酸化窒素0.5ppm〜一ppm三か月間(五時間/日、五日間/週)暴露のマウスにおいて、特に鼻腔呼吸部上皮に炎症所見や線毛脱落が認められている。

(2) 二酸化硫黄

ア サルにおける二酸化硫黄0.14ppm、0.64ppm、1.28ppm及び5.12ppm七八週間暴露、また、イヌにおける二酸化硫黄5.1ppm六二〇日間暴露において、少なくとも光顕的には、暴露によるような異常は見いだされていない。

イ 高濃度二酸化硫黄暴露、例えば二酸化硫黄四〇〇ppm六週間暴露(三時間/日、五日間/週)を受けたラットにおいては、杯細胞の変化(特に中心部気道における数や大きさの増大や有糸分裂像)が顕著であり、慢性気管支炎のモデルとされている。

(3) 粒子状物質

ア サルに対する硫酸エーロゾル4.79mg/m3(MMD0.73μ)及び2.43mg/m3(MMD3.60μ)七八週間連続暴露によっては、細気管支上皮の増殖、呼吸細気管支及び肺胞壁の肥厚が認められているが、0.48mg/m3(MMD0.54μ)、0.38mg/m3(MMD2.15μ)の同期間暴露による影響は、ないか極めて軽度であった。

イ モルモットに対する0.9mg/m3(MMD0.49μ)及び0.1mg/m3(MMD2.78μ)の五二週間連続暴露においては、特別な異常は見いだされていない。

ウ 0.16mg/m3(MMD2.73μ)及び0.46mg/m3(MMD2.63μ)のフライアッシュ一八か月間暴露を受けたサルにおいては、肺内各所へのフライアッシュの沈着又はマクロファージの集合を除けば、光顕的に特別な異常は認められていない。

エ 硫酸エーロゾル(0.09mg/m3〜0.99mg/m3、MMD0.50μ〜4.11μ)、二酸化硫黄(0.11ppm〜5.29ppm)及びフライアッシュ(0.42mg/m3〜0.55mg/m3、MMD4.10μ〜5.89μ)の二種又は三種混合物のサルに対する七八週間暴露において、形態学的異常(杯細胞の肥大・増殖、局所的上皮化生)が認められたのは0.9mg/m3〜1.0mg/m3の硫酸エーロゾルを含む条件下のみであり、その他の組み合わせ条件下では異常は認められていない。

オ 濃度がほぼ一〇〇μg/m3でSUBMICRONのニッケル化合物エーロゾルのラット二か月間暴露(一二時間/日、六日間/週)において、酸化ニッケルはマクロファージ増加を、塩化ニッケルは気管支及び細気管支上皮の増生をきたし、一方、同一条件下の酸化鉛及び塩化鉛エーロゾル暴露では、マクロファージ数はむしろ減少した。

(4) その他

ア 自動車排出ガス(非照射:一酸化炭素九八ppm、炭化水素二八ppm、二酸化窒素0.05ppm、一酸化窒素1.45ppm、照射:一酸化炭素九五ppm、炭化水素二四ppm、二酸化窒素0.94ppm、一酸化窒素0.19ppm、オゾン0.20ppm)、硫黄酸化物(二酸化硫黄0.42ppm、硫酸0.09mg/m3)及び両者混合物の約六八か月間にわたるイヌに対する暴露において、照射排出ガスと硫黄酸化物混合群では近位の気腔拡大が、非照射排出ガス及びこれと硫黄酸化物との混合群では細気管支無線毛細胞増殖がそれぞれ強く認められている。

イ 排出ガス(一酸化炭素四〇ppm〜六〇ppm、炭化水素五ppm〜八ppm二酸化窒素+一酸化窒素0.6ppm〜二ppm)のマウスへの一か月間暴露(三時間/日、五日間/週)では、気管支周囲組織と肺胞壁の浮腫、肺胞壁血管の充血及び末梢気管支上皮細胞の増殖をきたしている。

ウ 重油燃焼生成物のラット生涯暴露において、粒子状物質濃度0.5mg/m3以上で、上皮増殖を伴った気管支炎及び汎細気管支炎並びに初期肺気腫像が生じている。

エ 米国ロスアンゼルス、RIVERSIDE地区における二年間のマウスの野外暴露においては、急性及び慢性肺臓炎の発生頻度が増加していた。

オ 大阪における約二年間のマウスの野外暴露においては、黒色粉じんの沈着、異物多核細胞の出現、鼻粘膜杯細胞や気管支腺の増加及び末梢気管支上皮の増殖が認められている。

(二) 肺生理学的影響

(1) 二酸化窒素

ア 二酸化窒素0.8ppm及び2.0ppmのラット生涯期間にわたる暴露中に、呼吸数が増加している。

イ 肺気流抵抗上昇とFRC増加が、二酸化窒素八ppm〜一二ppm三か月間暴露のウサギにて認められたが、二酸化窒素五ppm5.5か月(7.5時間/日、五日間/週)暴露のモルモット、二酸化窒素5.4ppm三〇日間(三時間/日)暴露のラットによっては認められていない。

ウ 末梢気道抵抗上昇は、二酸化窒素三〇ppm〜三五ppm七日間〜一〇日間暴露を受けたハムスターにより示されいるが、二酸化窒素5.4ppm三〇日間(三時間/日)暴露のラットでは否定的である。

エ 二酸化窒素四ppm、三か月間及び二酸化窒素0.4ppm九か月間暴露を受けたラットにおいて、動脈血酸素分圧の低下が認められているが、動脈血二酸化炭素分圧は変化していない。

二酸化窒素0.04ppm九か月間暴露によっては変化は認められていない。

オ 二酸化窒素0.64ppmと一酸化窒素0.25ppmの混合ガスのイヌに対する長期暴露において、一八か月目には肺機能に異常はなかったが、六一か月目には肺一酸化炭素拡散能と呼気ピーク流量の低下が認められている。これらのイヌは、その後二年間清浄大気内に置かれた場合、対照群とは異なり、肺一酸化炭素拡散能の低下傾向と動肺コンプライアンス増加の傾向を示している。

(2) 二酸化硫黄

ア サルにおける二酸化硫黄0.14ppm、0.64ppm、1.28ppm及び5.12ppm七八週間暴露によっては、肺機能(換気力学、換気分布、肺一酸化炭素拡散能、動脈血ガス分圧)に異常は認められていない。

イ 二酸化硫黄5.1ppm二二五日間暴露を受けたイヌにおいては、肺気流抵抗の上昇と動脈コンプライアンスの低下が、また、六二〇日間暴露によっては吸気分布の異常が認められている。

(3) 粒子状物質

ア サルの七八週間連続暴露においては、硫酸エーロゾル4.79mg/m3(MMD0.73μ)及び2.43mg/m3(MMD3.60μ)により、換気分布の悪化、呼吸数の増加又は動脈血酸素分圧の低下が認められているけれども、0.48mg/m3(MMD0.54μ)、0.38mg/m3(MMD2.15μ)によっては肺機能に変化は認められていない。

イ モルモットの0.9mg/m3(MMD0.49μ)、0.1mg/m3(MMD2.78μ)の五二週間連続暴露において換気力学や一酸化炭素摂取度に異常は観察されていない。

ウ イヌの0.9mg/m3(九〇%は0.5μ以下)二二五日間暴露では、肺一酸化炭素拡散能の低下が、六二〇日間暴露では、さらに加えて肺気流抵抗の上昇や肺気量の減少が認められている。

エ 前記形態学的影響の項での硫酸エーロゾル、二酸化硫黄及びフライアッシュの二種又は三種混合物のサルに対する七八週間暴露((一)(3)エの実験)によって、肺機能(換気力学、換気分布、肺一酸化炭素拡散能、動脈血ガス分圧)に異常は観察されていない。

オ 短期暴露の結果ではあるが、各種硫酸塩エーロゾルのモルモットの肺気流抵抗上昇作用は、硫酸を一〇〇とした場合、硫酸亜鉛アンモニウム三三、硫酸第二鉄二六、硫酸亜鉛一九、硫酸アンモニウム一〇であり、硫酸水素アンモニウム、硫酸銅、硫酸第一、硫酸ナトリウムでは極めて弱いか、認められない。

(4) その他

前記形態学的影響の項でみた自動車排出ガス(非照射:R、照射:I)硫黄酸化物(SOx)及び両者の混合物のイヌに対する長期暴露((一)(4)アの実験)において、六一か月目には、R群及びR+SOx群で残気量の増加、I群及びI+SOx群で呼気気流抵抗の上昇が認められているが、排出ガスとのSOxを混合しても各々の作用を増強することはなかった。

(三) 肺生化学的影響

二酸化窒素

ア 二酸化窒素五ppm一〇日間暴露のラットにおいて、肺における過酸化脂質の増加がTBA法によって認められた。

イ 二酸化窒素四ppmの九か月並びに0.4ppm及び四ppmの八か月間暴露のラットにおいて、肺のTBA値の増加が、二酸化窒素0.04ppm、0.4ppm及び四ppmの九か月間及び一八か月間暴露を受けたラットのすべての群において、呼気エタン濃度に基づく過酸化脂質はDOSE―DEPENDENTに有意な増加を示した。

ウ ラットに対する二酸化窒素0.4ppm、1.3ppm及び四ppmの暴露により、肺還元型グルタチオン(GSH)量は、四ppm暴露群でのみ一週間目より増加し始め、さらに、0.04ppm、0.4ppm及び四ppmの九か月間一八か月間及び二七か月間暴露によっても、四ppm群のみで有意な増加が示された。

エ 肺GPO活性は、二酸化窒素0.4ppm、1.2ppm及び四ppmの四か月間暴露を受けたラットでは、いずれの群でも有意ではないが、初期に増加傾向を示し、暴露の長期化につれて低下の傾向を示した。

オ マウスに対する二酸化窒素一ppmの一七か月間暴露により、GPO活性は各種臓器で低下しており、この傾向はビタミンE欠食摂取群で顕著であった。

カ ラットに対する二酸化窒素0.04ppm、0.4ppm及び四ppmの九か月間及び一八か月間暴露においては、肺GPO活性は、0.4ppm一八か月間、四ppm九か月間及び一八か月間暴露群において低下し、グルタチオンS―トランスフェラーゼ活性も、0.4ppm及び四ppm一八か月間暴露群において低下した。一方、GR及びG6PD活性は、四ppm暴露群において上昇した。

キ 肺のリン脂質脂肪酸組成の変化が、二酸化窒素四ppmの九か月間、一八か月間及び二七か月間暴露を受けたラットで認められ、0.4ppm及び0.04ppm群でも同様の傾向がみられている。

ク 二酸化窒素0.5ppmと一酸化窒素0.05ppmの混合ガス一二二日間間欠暴露(八時間/日)のモルモットにおいても、肺リン脂質組成変化が認められている。

ケ 肺レシチン又はその他のリン脂質画分への14C―酢酸の取り込みは、二酸化窒素0.15ppm暴露では変化がなかったが、二酸化窒素0.15ppmとオゾン0.15ppm混合ガスによつては、暴露一週間にわたり低下した。

コ モルモットに対する二酸化窒素1.1ppm一八〇日間間欠暴露(八時間/日)で、ヘキソサミンの減少、シアル酸の増加と共に肺コラーゲン量の減少が認められた。

サ 二酸化窒素1.21ppm+一酸化窒素0.37ppm、又は二酸化窒素0.27ppm+一酸化窒素2.05ppmをイヌに五年間暴露した場合、肺のプロリンヒドロキシラーゼ活性は顕著に増加したが、肺のコラーゲン含量は変わらなかった。

シ 二酸化窒素0.25ppmの二四日間〜三六日間間欠暴露(四時間/日、五日間/週)を受けたウサギにおいて、肺コラーゲン線維の構造変化が認められているが、これは中止後七日目では元に復している。

ス 尿中ヒドロキシプロリン排泄増加は、二酸化窒素1.1ppm一八〇日間間欠暴露(八時間/日)を受けたモルモットで認められ、ラットの二酸化窒素0.1ppm〜0.5ppm暴露においても一定期間は認められている。

(四) 気道感染抵抗性に関する影響

(1) 短期暴露

気道感染に対する抵抗性変化を直接的に示す報告の内、短期暴露下におけるものは極めて数多く報告されており、これらの内で最低濃度は以下のとおりである。

ア マウスに対する二酸化窒素3.5ppm二時間暴露、二酸化窒素1.5ppm八時間暴露において、肺炎かん菌感染による死亡率の増大をきたした。

イ マウスに対する二酸化窒素2.0ppm三時間暴露において、化膿性連鎖球菌感染による死亡率の増大をきたした。

ウ マウスに対する二酸化窒素2.3ppm一七時間暴露において、吸入黄色ブドウ球菌に対する肺殺菌能の低下をきたした。

エ 四mg/m3までの硫酸塩粒子のマウスへの三時間暴露時に、その後の化膿性連鎖球菌感染による死亡率は量―反応関係をもって増加したが、死亡率を二〇%増加させる濃度は、硫酸カドミウムでは0.2mg/m3、硫酸銅では0.6mg/m3、硫酸亜鉛では1.5mg/m3、硫酸アルミニウムでは2.2mg/m3、硫酸亜鉛アンモニウムでは2.5mg/m3、硫酸マグネシウムでは3.6mg/m3であった。

オ オゾン0.05ppm、0.1ppm及び0.5ppmと二酸化窒素1.5ppm、2.0ppm、3.5ppm及び5.0ppmのマウスに対する三時間間欠暴露時の化膿性連鎖球菌感染死亡率をみると、両ガスの作用は相加的であった。

カ オゾン0.1ppm三時間暴露、次いで硫酸エーロゾル0.9mg/m3二時間暴露を継続するとき、化膿性連鎖球菌感染死亡率は相加的に増加している。

キ 自動車排出ガス(照射)についての報告は、これまでのところ排出ガス(二酸化窒素0.2ppm〜0.3ppm、一酸化炭素二五ppm、オキシダント0.15ppm)四時間暴露によるマウスの連鎖球菌感染死亡率の上昇を除けば少ない。

(2) 長期暴露

同種の実験における長期暴露の影響としては以下の報告がある。

ア 二酸化窒素五ppm及び一〇ppmに一か月間又は二か月間暴露されたリスザルにおいては、肺炎かん菌の吸入感染を受けた場合、剖検時における菌の肺内残存例が増加し、また、インフルエンザウイルス感染を受けた場合には、対照群には見られなかった死亡例が発生した。

イ 二酸化窒素一ppm六か月間連続暴露を受けたモルモットでは肺炎双球菌による、また、二酸化窒素0.5ppmの三か月間連続又は六か月以上の間欠暴露(六時間/日、五日間/週)を受けたマウスでは肺炎かん菌による吸入感染死亡率が増加している。

エ 二酸化硫黄一〇ppm二〇日間暴露(六時間/日)のラットにおいては、大腸菌エーロゾル吸入時の肺内殺菌能に変化はない。

オ 二酸化硫黄五ppm一か月間〜三か月間連続暴露を受けたマウスにおいては、化膿性連鎖球菌による死亡率に有意の変化は認められない。

カ インフルエンザウイルスに感染せしめたマウスを二酸化硫黄に七日間暴露したとき、七ppm〜一〇ppmにおいてその肺炎の程度は増強する。

キ 二酸化硫黄一ppm二五日間間欠暴露(七時間/日)は、ラットにおける肺クリアランスを遅延せしめる。

ク 二酸化硫黄一ppm一年間間欠暴露(1.5時間/日、五日間/週)は、イヌにおける気道粘液流速を遅延せしめる。

ケ マウスに対する二酸化窒素2.0ppmとオゾン0.05ppmの混合ガス一週間〜四週間間欠暴露(三時間/日、五日間/週)では、化膿性連鎖球菌の感染死亡率を上昇せしめている。

コ また、二酸化窒素0.5ppmとオゾン0.1ppmの混合ガスへの一か月間〜六か月間間欠暴露(三時間/日、五日間/週)後、肺炎連鎖球菌を吸入感染させるとき、その死亡率は、感染後ガスに一四日間再暴露した場合が著しく高かった。なお、混合ガスに暴露していない二一時間に二酸化窒素0.1ppmに暴露した群と清浄空気に暴露した群とで感染死亡率を比較した場合、暴露三か月間以内では前者の方が低値であった。

サ 炭粉表面にSO3を凝縮したもの―ACID―COATED CARBON(H2SO41.4mg/m3+CARBON1.5mg/m3)―の間欠暴露(三時間/日、五日間/週)を受けたマウスのインフルエンザウイルス感染による死亡率は、四週間暴露では差は認められないが、二〇週間暴露では対照群三六%に対し四五%と上昇した。

(五) 免疫に対する影響

気道感染抵抗性に関する要因として免疫に注目した場合、特に長期暴露の影響としては以下のような報告がある。

ア マウスに対する二酸化窒素0.9ppm四〇日間暴露、また、0.4ppm、1.0ppm及び6.4ppm四週間暴露は、羊赤血球(SRBC)投与時の脾臓におけるPLAQUE形成細胞(PFC)数では6.4ppm亢進し、他は抑制を示した。一方、二次反応では、1.6ppmのみが亢進をしめした。

イ マウスに対する二酸化窒素0.1ppm(0.25ppm、0.5ppm、1.0ppmのピーク濃度を三時間/日付加)及び二酸化窒素0.5ppmの一二か月間暴露は、脾臓における植物性血球凝集素(PHA)反応をきたしている。

ウ マウスに対するシリカ四九三二μg/m3の三九週間暴露及びシリカ四七七二μg/m3の七日間〜三〇〇日間暴露は、大腸菌エーロゾル投与の脾臓におけるPFC数及び血清亢体値の低下をきたした。

エ 五五八μg/m3炭素粒子の一九二日間間欠暴露(一〇〇日間/週)も同様な影響をきたした。ただし、縦隔リンパ節の数の反応は必ずしも制御されていない。

オ 前記のACID―COATEDCARBON(H2SO41.4mg/m3+CARBON1.5mg/m3)の二〇週間間欠暴露(三時間/日、五日間/週)において、SRBC投与に対する脾臓のPFC数は暴露途中に変動はあったが、二〇週目には低下し、しかもその低下はCARBON単独暴露によるそれよりも大であった。

(六) 気道反応性に対する影響

(1) 二酸化窒素

ア 二酸化窒素7.5ppmの二時間暴露により、ヒツジのカルバコール・エーロゾルに対する気道反応性は一〇匹中五匹について上昇した。

イ モルモットに二酸化窒素七ppm〜一四六ppmを一時間暴露したとき、その直後にはヒスタミンエーロゾルに対する気道反応性が二酸化窒素濃度に比例して亢進している。ただし、この反応は二時間後にはほとんど認められていない。

(2) 二酸化硫黄

二酸化硫黄一ppm、二ppm、五ppm及び一〇ppmの一時間暴露は、イヌのアセチルコリン反応性を上昇せしめるが、最大効果は二ppmの暴露時であり、一〇ppm暴露の効果は最小であった。

(3) 粒子状物質

ア 硫酸エーロゾル四mg/m3〜四〇mg/m3に一時間暴露したとき、強く反応するモルモット(RESPONDER)とそうでないもの(NON―RESPONDER)が存在し、前者においてのみヒスタミン・エーロゾルに対する気道感受性が暴露後一九時間まで亢進していた。

イ ヒツジに四mg/m3の九種硫酸塩エーロゾルを四時間暴露したとき、カルバコールに対する気道反応性は、硫酸亜鉛アンモニウムと硫酸亜鉛によってのみ上昇している。

ウ 1.9mg/m3硫酸ミストに三〇分間、一四回の暴露と共に経気道アルブミン感作を受けたモルモットは、アルブミン感作のみの動物よりアセチルコリン・エーロゾル反応性が亢進している。

2 人への実験的負荷研究

(一) 自覚症状への影響

(1) 正常者

ア 二酸化窒素

① 臭いは、0.12ppmくらいから認められる。

② 咽頭痛、せき、胸部絞扼感や胸痛は、間欠的運動下での二時間暴露では1.0ppmくらいから認められる。

イ 粒子状物質

硫酸エーロゾルでは、1.0mg/m3くらいから咽頭の刺激感を認める。

(2) 呼吸器疾患患者

ア 二酸化窒素

① 二酸化窒素0.5ppmへの二時間暴露では、一三人の気管支ぜん息患者のうち、三人が胸部絞扼感、一人が運動中に呼吸困難、一人が軽度の頭痛、二人が目の刺激感を認め、七人の慢性気管支炎患者のうち、一人が鼻汁を認めたが、これらの変化が二酸化窒素への暴露によるものかどうかは疑問である。

② 二酸化窒素0.2ppmへの間欠的運動下での二時間暴露では、三一人の気管支ぜん息患者の呼吸器症状を主にした自覚症状スコアの増加が認められたが、この増加は二酸化窒素によるものとは思えない。

(二) 肺機能への影響

(1) 正常者

ア 二酸化窒素

① 間欠的運動下での二時間暴露では、二酸化窒素0.05ppmに暴露された一〇〜一二人の各種肺機能のうちで一部の指標で暴露濃度・影響関係からみて意義の不確かな変動がみられるようになる。

② 間欠的運動下での二時間暴露で、二酸化窒素1.0ppmに暴露された一六人では再現性に乏しいが、FVCの減少や一部に動肺コンプライアンスの減少がみられるようになる。

イ 粒子状物質

① 硫酸エーロゾルでは、間欠的運動下での二時間暴露では、0.4mg/m3くらいから各種肺機能のうちで一部の指標で暴露濃度・影響関係からみて意義の不確かな変動がみられるようになり、0.939mg/m3の濃度に暴露された一一人では、FEV1.0の減少がみられた。

② 0.98mg/m3の濃度のエーロゾルをマスクで一時間吸入した一〇人では、気道のクリアランスの増加がみられた。

③ 硝酸塩エーロゾルでは、間欠的運動下で0.295mg/m3濃度の硝酸アンモニウムに二時間暴露された二〇人では、各種肺機能に影響が認められない。

(2) 呼吸器疾患患者

ア 二酸化硫黄

① 気管支ぜん息患者が、アトピー患者(アレルゲン皮内反応検査で二つ以上のアレルゲンに陽性反応を示し、ぜん鳴の既往のない者)や正常者に比べ、より低い濃度への暴露で気道狭窄が起こることが示されている。

② 運動負荷下で経口吸入をさせた場合には、二酸化硫黄に反応を示す患者の一部では、0.10ppmの一〇分間の吸入でもSRawの有意な増加が起こることが示されている。

③ 二酸化硫黄0.1ppmでも乾燥冷気下での過換気状態での経口吸入は、乾燥冷気は気道狭窄の効果を高める可能性がある。

イ 二酸化窒素

気管支ぜん息患者を対象にした研究では、

① マスクで二酸化窒素1.0ppmを四時間吸入したときの六人の各種肺機能には変化は認められない。

② 間欠的運動下での二酸化窒素0.5ppmの濃度に二時間暴露された一三人の各種肺機能に変化は認められなかったが、七人の慢性気管支炎患者群を含めた患者グループとしてみると、静的コンブライアンス、TLC、RV及びFRCの増加を認めたが、これらの変化が二酸化窒素への暴露によるものかどうかは疑問である。

③ 間欠的運動下で二酸化窒素0.2ppmの濃度に二時間暴露された三一人では有意ではないが呼吸抵抗の増加とFEVの減少が認められた。

④ 二酸化窒素0.1ppmの濃度に一時間暴露された二〇人のうち、一三人ではSRawのわずかではあるが有意な増加が認められた。

⑤ 同濃度に同時間暴露された一五人では、有意ではないが小さな増加が認められた。

ウ 粒子状物質

① 硫酸エーロゾルでは、間欠的運動下で0.075mg/m3の二時間暴露された六人の気管支ぜん息患者の各種肺機能に変化は認められなかったが、個人別にみると二人がRtの増加を示した。

経口吸入では、硫酸エーロゾル0.5mg/m3の濃度を一六分間吸入させられた一五人の気管支ぜん息患者では、SRawの有意な低下が認められた。

② 硫酸エーロゾル1.0mg/m3の濃度を一〇分間吸入させられた六人の気管支ぜん息患者の各種肺機能に有意な変化は認められなかった。

③ 硫酸塩エーロゾルでは、0.0156mg/m3の硫酸亜鉛アンモニウムに間欠的運動下で二時間暴露された一九人の気管支ぜん息患者の各種肺機能で、いくつかの指標で有意な変化がみられたが、一定の傾向は認められなかった。しかし、個人的にみると、三人にFEVの減少がみられた。

④ 0.096mg/m3の硫酸第二鉄に間欠的運動下で二時間暴露された一八人の気管支ぜん息患者の各種肺機能には、有意な変化は認められなかったが、個人的にみると四人が肺機能において小さいが有意な減少が認められた。

⑤ 間欠的運動下で二時間、0.085mg/m3の硫酸水素アンモニウムに暴露された六人の気管支ぜん息患者及び0.100mg/m3の硫酸アンモニウムに暴露された五人の気管支ぜん息患者について、各種肺機能で有意な低下を示す変化は認められなかった。

⑥ 経口吸入では、1.0mg/m3の硫酸水素ナトリウム又は硫酸水素アンモニウムを一六分間吸入した一五人の気管支ぜん息患者では、硫酸水素アンモニウムでSRawとFEV1.0の有意な低下が認められた。

⑦ 硝酸塩エーロゾルでは、0.189mg/m3の硝酸アンモニウムに間欠的運動下で二時間暴露された一九人の気管支ぜん息患者の各種肺機能に、有意な変化は認められなかった。

⑧ 経口吸入では、1.0mg/m3の硝酸ナトリウムは硝酸アンモニウムを一〇分間吸入した一五人の気管支ぜん息患者では、各種肺機能に有意な変化は認められなかった。

(三) 血液生化学的分析値への影響

正常者

二酸化窒素

① 間欠的運動下で、二酸化窒素一ppmの濃度に2.5時間暴露された一〇人では、アセチルコリンエステラーゼ活性の有意な低下がみられた。

② 二酸化窒素0.3ppm濃度に二時間暴露された七人では、血漿ヒスタミンの有意な増加がみられた。

③ 二酸化窒素0.2ppmの濃度に二時間暴露された一九人ではGSHの有意な増加がみられた。

(四) 気道反応性への影響

(1) 正常者

ア 二酸化窒素

二酸化窒素五ppmの濃度で、二時間暴露では気道反応性の亢進はみられないが、一四時間暴露では亢進がみられる。

イ 粒子状物質

間欠運動下での、0.2mg/m3の硫酸エーロゾルに暴露された七人または0.14mg/m3の硝酸ナトリウムに暴露された八人では、アセチルコリン・エーロゾル吸入に対する気道反応性の亢進がみられない。

(2) 呼吸器疾患患者

ア 二酸化窒素

① 間欠的運動下で、二酸化窒素0.2ppmの濃度に暴露された三一人の気管支ぜん息患者は、約三分の二の患者にメサコリン・エーロゾルに対する気道反応性の亢進がみられた。

② 0.1ppmの濃度に一時間暴露された二〇人の気管支ぜん息患者では、一三人にカルバコール・エーロゾル吸入に対する気道反応性の亢進がみられたが、更に四人の患者を二酸化窒素0.2ppmの濃度に暴露したところ、0.1ppmの暴露時よりも強い気道反応性の亢進を示したのは一人のみであった。

③ 二酸化窒素0.1ppmの濃度に一時間暴露された一五人の気管支ぜん息患者では、グループとしてみるとメサコリン・エーロゾル吸入に対する気道反応性の亢進はみられなかったが、個人別にみると六人が気道反応性が幾らか亢進していた。

イ 粒子状物質

① 0.1mg/m3の硫酸エーロゾルを経口吸入で一六分間吸入した一五人の気管支ぜん息患者のうち、二人はカルバコール吸入に対する気道反応性の亢進が見られた。

② 1.0mg/m3の硫酸水素ナトリウム又はアンモニウムを経口吸入で一六分間吸入した一五人の気管支ぜん息患者では、カルバコール吸入に対する気道反応性の亢進はみられなかった。

(五) 気道クリアランス機構への影響

正常者

二酸化硫黄

三二人について五ppmの二酸化硫黄又は二酸化硫黄を含まない空気に四時間暴露後、RHINOVIRUSを含む液を鼻腔に接種された者の鼻粘膜の繊毛運動の速度を調べた報告によると、繊毛運動速度は、二酸化硫黄に暴露されず、また、感染を受けなかった者では有意な減少がみられなかったのに比べ、ウィルスに感染された者も感染されなかった者も二酸化硫黄に暴露された者では、五〇%近く減少した。感染されたが、二酸化硫黄に暴露されなかった者では、接種後二日目に減少し始め三〜五日目には五〇%近く減少した。

(六) 感染抵抗性への影響

正常者

二酸化硫黄

三二人を二グループに分け、五ppmの二酸化硫黄又は汚染のない空気に四時間暴露後、RHINOVIRUSを含む液を鼻腔に接種し、上気道感染率及び鼻洗浄液中のウイルス抗体価を測定したが、有意な差はみられなかった。

(七) 混合暴露の影響

オゾンに他の汚染物質を混合した場合や二酸化硫黄に二酸化窒素又は食塩エーロゾルを混合した場合の影響が主に肺機能の面から調べられているが、オゾンと二酸化硫黄の混合暴露以外は明確な増強効果は示されていない。

オゾンと二酸化硫黄の混合暴露では、各々0.37ppmのオゾンと二酸化硫黄の混合暴露及び0.15ppmのオゾンと0.15ppm又は0.3ppmの二酸化硫黄の混合暴露で、オゾン単独暴露に比し肺機能の有意な低下を引き起こすことが示されている。

第三大気汚染と健康被害との関係についての評価

大気汚染と健康被害との関係の評価に関する見解の最近のものは次のとおりである。

一世界保健機構(WHO)環境保健クライテリア専門委員会(以下「クライテリア委員会」という)報告(<証拠>)

クライテリア委員会は、WHOに設けられた機関であり、世界各国から専門家を集めて環境汚染物質の健康影響に関する知見、研究を検討、評価して、判定条件等をとりまとめ、これを世界各国に参考となる資料として提供しているものである。

1 クライテリア委員会は、昭和四七年、二酸化窒素の生物学的活性は、動物に対しても植物と同様に認められたが、決定的な疫学データがない状態で一定の大気の質についての指針を設定するには、不充分な情報しかないとして、二酸化窒素のガイドラインの提案を保留した。

2 クライテリア委員会は、昭和五一年、窒素酸化物に関するクライテリアレポートを発表した。これの窒素酸化物に対する暴露による健康影響の評価に関する部分は次のとおりである。

(一) 呼吸器疾患の一部は、汚染された空気を吸入することにより発病することもかなり明白な証拠がある。このような呼吸器疾患と大気汚染の関連性については、環境大気中に存在する二酸化硫黄、浮遊粒子状物質及び煤煙についてはかなり解明されている。

現在のところ、一酸化窒素については、環境大気中で、一般に見いだされる濃度で、注目すべき生物学的影響をどの程度有しているかいまだに証明されていない。したがって、公衆の健康を保護するための一酸化窒素暴露限界についてのガイドラインについては検討を行わなかった。

(二) 報告された疫学研究の結果それ自体では二酸化窒素の暴露についての健康影響を評価するための定量的な基礎データを示しえないとの結論に至った。

しかし、現在ある疫学データは、肺への影響が二酸化窒素暴露に関連しているという実験的知見とは矛盾はしていない。

(三) そのため、人の健康保護がはかられる暴露限界の指針値を勧告する上で、おもに動物実験及び人の志願者に対する研究からのデータに頼らざるを得なかった。二酸化窒素に対する短期暴露は、長期暴露と同様に約九四〇μg/m3(0.5ppm)を起点とする濃度で実験動物の呼吸器に好ましからざる影響を及ぼすものと評価した。人に対する好ましからざる影響もほぼ同程度の二酸化窒素濃度で起こっている。一九〇μg/m3(0.1ppm)の濃度の二酸化窒素に一時間暴露すると、喘息患者において化学エーロゾル(カルパコール)の気管支収縮効果が増加する。

(四) より決定的な疫学的知見を待つよりも利用可能な動物及び人についての実験室的研究データを用い公衆の健康保護がはかられる暴露限界についての指針値を提案するのが適当であり、賢明であると考えた。

短期間暴露によって観察された最低の影響レベルの評価として九四〇μg/m3(0.5ppm)の二酸化窒素レベルを選んだ。その理由は、この濃度では多くの動物及び人の志願者に関する研究において、影響が明らかにされてきたからである。より低濃度である一九〇μg/m3(0.1ppm)の二酸化窒素が喘息患者に好ましからざる影響を及ぼすことを示す一つの人の志願者に対する研究があることを承知している。

この研究は、さらに追試する必要があり、現時点においては、高い感受性を有する人に対する最低の好ましからざる影響のレベルは不明であり、さらに評価される必要がある。

最低の好ましからざる影響のレベルに関する不確定性と、二酸化窒素の高い生物学的活性に注目するならば、相当な安全係数が要求されるとの結論を得た。

ほぼ最低の観察された影響レベルである一時間で九四〇μg/m3(0.5ppm)と約五μg/m3(0.0025ppm)というバック・グランド濃度との差からして最大の安全係数は高々二〇〇程度であろう。

(五) どのような安全係数も恣意的なものであるにちがいないが、明らかに安全係数は大都市地域に住む住民の健康を守るのに充分なものであるべきである。あらゆる利用可能なデータを考慮して二酸化窒素の短期暴露に対しての最小の安全係数は三ないし五であると提案することを決定し、また公衆の健康保護がはかられる暴露限界は二酸化窒素について最大一時間暴露として一九〇ないし三二〇μg/m3(0.10ないし0.17ppm)の濃度が規定されるであろうということで一致した。この一時間暴露は一月に一度こえて出現してはならない。

二酸化窒素と共存する他の生物学的に活性のある大気汚染物質との相互作用に関する知見によれば、より大きな安全係数、つまり、より低い最大許容暴露レベルが必要となろう。さらに、現時点においてでも、より高い感受性を有する人々の健康を守るためにはより大きな安全係数を必要とするであろう。

健康影響の評価にあたり、二酸化窒素の人への長期間暴露による生物医学的影響は、公衆の健康の保護という観点から、勧告するに足りるほどには確かめられていない。したがって、長時間平均値に関する暴露限界は提案しない。

二中央公害対策審議会「窒素酸化物に係る判定条件等専門委員会報告」(<証拠>)

中央公害対策審議会は、環境庁長官から「二酸化窒素の人の健康影響に関する判定状況等について」の諮問を受け、大気部会に「窒素酸化物に係る判定条件等専門委員会」を設置して検討した。同委員会は、これまでの内外の動物実験、人に対する負荷研究及び疫学調査を検討して、昭和五三年三月二〇日「窒素酸化物に係る判定条件等専門委員会報告」をとりまとめた。その検討結果の評価と提案の大要は次のとおりである。

1 二酸化窒素の短期暴露による健康影響

動物実験、人の志願者に対する研究による短期暴露の影響を考察した場合、単一の知見のみから指針を直接的に導き出すことは困難である。したがって、動物実験から得られた0.5ppmを起点に人に対する知見を総合的に考察する必要がある。WHOの窒素酸化物に係る環境保健クライテリア専門家会議は二酸化窒素単独暴露の場合、動物実験の知見から0.5ppmを好ましくない影響の観察される最低レベルと考え、これの安全率を見込むことによって、公衆の健康保護に必要な暴露レベルは、一時間値0.10〜0.17ppm以下であるとしている。

現時点で短期暴露による影響を地域の人口集団について観察した報告はほとんどない。米国におけるTNT製造工場周辺の疫学調査で見いだされた学童の急性呼吸器疾患罹患率の増加が一時間濃度の年間九〇%値に相当する0.15ppm以上の濃度の二〜三時間くり返し暴露による可能性もあるとの指摘がなされていることを参考として利用できると思われる。

2 二酸化窒素の長期暴露による健康影響

疫学研究の結果を考察する場合、動物実験の結果との対応を評価する必要がある。しかし、疫学的研究と動物実験の結果を単純に対応させることは困難である。我が国の疫学的研究において利用されている持続性せき・たんの発生を直接的に説明しうる動物実験の知見は少ない。しかし、多くの動物実験で証明された二酸化窒素の呼吸器に対する作用から判断して、大気中二酸化窒素が、他の汚染物質と共に人口集団の内に見いだされる持続性せき・たんの発生に一定の役割を果たしている可能性を否定できないと考える。

3 指針の提案

地域の人口集団の健康を適切に保護することを考慮し、環境大気中の二酸化窒素濃度の指針として、①短期暴露については一時間暴露として0.1〜0.2ppm、②長期暴露については、種々の汚染物質を含む大気汚染の条件下において、二酸化窒素を大気汚染の指標として着目した場合、年平均値0.02〜0.03ppmを、参考としうる。

4 おわりに次のとおり述べている。

近年、二酸化窒素の測定及び人の健康影響に関する研究の進歩は著しく、多くの知見が集積されているが、なお不確定、未分明の因子をかかえており、今後の解明を待つべき課題が少なくない。

このことを充分認識しつつ、現段階での知見によって二酸化窒素の人の健康影響に関する判定条件等について判断し、提案を行った。

三中央公害対策審議会の専門委員会報告(<証拠>)

中央公害対策審議会は、昭和五八年一一月一二日、環境庁長官から、我が国の大気汚染の態様の変化を踏まえ公健法二条一項に係る対象地域の今後のあり方について諮問を受けた。

中央公害対策審議会は、環境保健部会で検討を行うこととなったが、同部会では本件の検討に当たっては、制度発足以降の科学的知見の進展を踏まえ、科学的な評価を行うことが必要とされ、部会に新たに大気汚染、公衆衛生、臨床医学等の分野の専門家からなる専門委員会を設置した。

専門委員会は、昭和五八年一二月以降二年四月にわたり四二回の会合を開き、これまでの動物実験、人体負荷研究及び疫学調査の報告等につき慎重な検討を重ね、大気汚染の態様の変化と汚染レベルの現状の評価、大気汚染と生体影響の関係に関する知見の現状の評価を行い、その上で大気汚染と健康被害との関係を総合的に評価し、昭和六一年四月、その結果を「大気汚染と健康被害との関係の評価等に関する専門委員会報告」にとりまとめた。専門委員会報告における大気汚染と健康被害との関係の評価は、大要次のとおりである。

1 各種影響評価研究の意義と考慮すべき因子

(一) 動物実験

動物実験は、暴露条件及び一定の限界はあるが、実験動物の条件を正確に、かつ、広範囲にコントロールし得る点に最大の利点を有する。動物実験結果を人に外挿入又は適用するに当たっての固有の諸問題、特に種差については留意しなくてはならない。

しかし、哺乳動物は、解剖学的・生理学的・生化学的に類似しており、その暴露実験結果は人における影響の機構の解明や量―影響関係の存否の判断の助けとなり、更には人における量―影響関係の推測を可能とする。

(二) 人への実験的負荷研究

人への実験的負荷研究の結果は、直接人を対象とした研究結果であり、疫学的調査で見出された大気汚染と健康影響の関係を、短期間の暴露下ではあるが直接的又は間接的に観察することが可能である。

しかし、暴露される人々は限定された志願者で、様々な大気汚染に暴露されている年齢層や健康状態の異なる地域住民や大気汚染の影響を受けやすいと考えられる慢性閉塞性肺疾患患者群を代表していないこと、暴露環境も現実の大気汚染物質や気象因子との組合わせや様々な生活環境を代表していないこと、また、通常の大気汚染の状態とは違い、一般に温湿度一定の清浄空気に特定の大気汚染物質を希釈した空気に暴露された急性の影響であることなどに注意して評価すべきである。

(三) 疫学的研究

大気汚染による影響を観察しようとする場合、一般にその影響は地域の人口集団に反映されており、その地域集団の中の個人ごとの評価のみでは大気汚染の影響を検出することは困難で、集団としての分布の偏りをみる疫学的評価に頼らざるをえず、大気汚染の程度が異なる地域間で性、年齢、喫煙歴、職業性因子、社会経済的因子、室内汚染等の因子がよく整理された集団を対象にした研究で大気汚染の影響の推測が可能になる。

疫学調査においては、問題としている影響に関与する因子が通常多種類にわたっているため、観察された影響と特定の大気汚染物質との関連を正確に判断することは困難な場合が多いことにも留意する必要があろう。

疫学的研究は、交絡について十分に調整した結果といえども、現在行われている疫学の大部分は基本的には関連や相関をみているのであって、因果関係を直接みているのではないことに留意していなければならない。

また、集団を対象にして得られる結果は、ある質の影響に関して異なった集団間の分布の差をみているのであって、一方の集団にその影響のみられたものの割合が有意に高いからといって、問題とする因子が直ちにその集団の中でみられるその影響を示す個人の病因とはなり得ないことにも注意すべきである。

2 大気汚染と慢性閉塞性肺疾患との関係

(一) 慢性閉塞性肺疾患の基本病態に対する大気汚染の関与の可能性の評価

(1) 気道粘液の過分泌

慢性気管支炎の基本病態は、持続性の気道粘液の過分泌であり、形態学的には杯細胞の増加や気管支腺の肥大が基本所見である。

動物実験の報告を総合すると、二酸化窒素長期暴露による杯細胞の増殖を含む気道病変は、動物実験の結果から説明可能であり、実験動物において0.4ないし0.5ppmで認められると評価される。

(2) 気道の反応性の亢進又は過敏性

気管支喘息の基本病態は、気道が過敏であることであり、そのため種々の化学伝達物質や物理的刺激に対して異常に反応して気管支平滑筋収縮による狭窄状態を来し、また、気道粘膜の浮腫及び炎症並びに気道分泌物、炎症性細胞、細胞破壊物等の気道内蓄積による気道閉塞を来す。

動物実験、人への実験的負荷研究の報告を総合すると、各種の汚染物質は一過性に気道収縮剤に対する気道反応性の亢進を来し、気道が過敏な気管支喘息患者については、二酸化窒素0.1ppmで気道反応性の亢進をもたらす可能性があると評価される。

(3) 気道感染

気道感染が慢性気管支炎や気管支喘息の自然史に具体的にどのような役割を演じているかは、十分に解明されていないが、慢性気管支炎や気管支喘息を含む慢性閉塞性肺疾患の発症・増悪因子として多かれ少なかれ関与している可能性は高く、大気汚染の健康影響として注目されるものの一つである。慢性気管支炎の分泌過多は必ずしも気道感染を伴わなくても起こりうるが、分泌過多があると細菌やウイルス感染を起こしやすくなり、また、感染は気道に形態学的、機能的変化を起こしやすいとも考えられる。気管支喘息に関しても、感染型が分類されているように、感染は気管支喘息の自然史で重要な役割を演じていることが考えられる。動物実験の報告を総合すると、長期暴露下では実験動物の気道感染抵抗性は二酸化窒素0.5ppmにおいて低下すると評価される。

(4) 気道閉塞の進展

気道閉塞は、慢性閉塞性肺疾患の基本的病態生理である。そのメカニズムしとては、①気管支収縮、②気道内における分泌物の貯留、③気道壁にかかる牽引力の減少が挙げられる。

二酸化窒素長期暴露を受けた実験動物の気道の形態学的所見は、その狭窄の存在を示している。

二酸化硫黄に関しては、異常を認める報告と変化なしとする報告があり、判断が難しい。

人への実験的負荷研究で見出される短時間暴露による軽度の一過性の、しかも暴露を繰り返すと適応がおこり反応が見られなくなるような影響が、持続性の気道狭窄の進展にどの程度関係しているかはよく分かっていない。しかし、暴露を繰り返すと適応がおこり気道狭窄が見られなくなることは、生体にとってはより多くの呼吸器刺激物質が気道に侵入しやすくなることを意味し、呼吸器に生化学的及び形態学的変化を引き起こす機会が多くなることも考えられる。

(5) 気腫性変化

肺気腫の分類の基本型は、小葉中心型と汎小葉型である。小葉中心型は肺気腫のうちで最も多く、比較的若年層に発症し、呼吸細気管支の破壊と拡張を主病変とする。二酸化窒素暴露による肺気腫は多くはこの型である。

二酸化窒素暴露による実験動物での肺の気腫性変化の成立は明らかであるが、暴露濃度がある程度高く、暴露期間がある程度長期間であることを必要とする。

(二) 大気汚染と慢性閉塞性肺疾患との関係の疫学的知見のまとめ

(1) 持続性せき・たん(成人)

慢性気管支炎の基本症状に対応する疫学的指標は持続性せき・たんである。

持続性せき・たんを指標とした疫学調査は、我が国においても以前から行われており、従来からBMRC方式に準拠した問診票、更に近年はATS方式に準拠した質問票を用いて調査が行われている。

昭和三〇年代後半から昭和四〇年代前半の調査においては、近年の調査程には交絡について考慮がされていないが、そのほとんどにおいて一致して持続性せき・たん有症率と二酸化硫黄及び大気中粒子状物質との間に強い関連性を認めている。

昭和四五年から昭和四九年にかけて行われた鈴木ら(一九七八)では、持続性せき・たん有症率は、調査の前半においては二酸化硫黄、TSP及び二酸化窒素と有意な相関を示し、一方、調査の後半、特に昭和四九年においては二酸化窒素と有意な相関を示している。また、昭和四〇年代後半の他の調査でもこの鈴木らの後半の結果と同様の結果が見られる。

環境庁調査(一九八六a)の結果は前示のとおりであり、持続性せき・たんの年齢喫煙訂正有症率と大気汚染との相関を見ると、二酸化窒素では男女とも有意な相関はなく、二酸化硫黄、浮遊粉じんでは男女とも有意な相関が認められた。ただし、大気汚染濃度を過去三年の平均値で見ると二酸化窒素においても男で有意な相関が認められている。

また、持続性せき・たん粗有症率を二酸化窒素を指標として一〇ppb間隔の濃度別に集計してみると、男女とも濃度の高い階級ほど有症率が高く、x二乗検定の結果、有意であることが認められている。

環境庁調査(一九八六b)の結果は前示のとおりであり、持続性せき・たんの年齢喫煙訂正有症率と大気汚染との相関を見ると、女で二酸化窒素及び二酸化硫黄との間に有意な相関が認められているが、男では有意な相関が認められていない。

持続性せき・たんの年齢訂正有症率を二酸化窒素を指標として一〇ppb間隔の濃度別に集計してみると、女では濃度の高い階級ほど有症率が高かったが、男ではそのような結果は得られていない。

環境庁の二調査において、大気汚染と持続性せき・たんの有症率の関連に着目すると、一部に有意な関連がみられるものの、両者は必ずしも一致した傾向を示していない。慢性気管支炎の基本病態の一つである気道粘膜の過分泌状態に関連する疫学的指標として持続性たんがあるが、その有症率は両調査において共に各汚染物質と有意な相関を示していた。

また、鈴木ら(一九七八)の最終年である昭和四九年に二酸化窒素と持続性せき・たんの有症率が強い相関を示していることと、最近の環境庁両調査の結果とが一致しないことに関しては、調査手法も異なり一概に論じえないが、少なくとも二酸化窒素濃度が同程度であるのに対して、二酸化硫黄及び大気中粒子状物質の濃度に差があること、鈴木ら(一九七八)においては、調査期間を通じて二酸化硫黄及び大気中粒子状物質が低下しつつあったのに対して、その後は大気汚染の動向が比較的安定していることが注目されている。

アメリカにおけるBMRC方式に準拠した問診票を用いて、地域間の有症率を比較した三調査では、持続性せき・たんの有症率に地域差を認めていない。

新田らが東京都内の二地域の幹線道路沿いで、三年以上居住する四〇〜六〇歳の女性を対象として行った調査では、持続性せき・たん有症率は、道路から二〇メートル以内の地区の方が高率であり、うち一地区では有意差が認められた。

国民健康保険診療報酬請求書を用いて全国八地域で受診率と大気汚染濃度との関連をみた調査では、四〇歳以上の成人の慢性気管支炎の受診率は、男女とも二酸化硫黄、浮遊粉じんの過去の最高濃度との間に有意な相関がみられているが、一方、全国一七地域の二年間にわたる調査で、慢性気管支炎の一年間の新規受診率をみたところ、大気汚染濃度との間には有意な相関はみられなかった(環境庁、一九八六c)。

過去に二酸化硫黄の高濃度汚染がみられた四日市市及びその周辺地域において、人工移動等は考慮に入れる必要があるが、二酸化硫黄汚染改善後、国民健康保険診療報酬請求書による慢性気管支炎等の新規受診率は数年で非汚染地域との差がなくなることが報告されている(今井ら、一九八二)。

(2) 喘息様症状・現在(児童)

近年、気管支喘息の基本症状に対応して児童の喘息様症状を指標とした調査が、ATS方式に準拠した質問票を用いて行われてる。なお、気管支喘息又は喘息性気管支炎に関するものとして、児童の持続性ゼロゼロ・たんも用いられているが、喘息様症状との合併が多く、現時点では健康影響指標として意義づけることは困難である。

環境庁(一九八六b)の結果は前示のとおりであり、喘息様症状・現在の有症率と大気汚染との相関をみると、二酸化窒素では男女とも、二酸化硫黄では女のみ、浮遊粉じんでは男のみ有意な相関が認められた。

持続性ゼロゼロ・たんの有症率と大気汚染との相関をみると、二酸化窒素、浮遊粉じんでは男のみ、二酸化硫黄では男女とも有意な相関が認められた。

喘息様症状・現在の有症率を二酸化窒素を指標として一〇ppb間隔の濃度別に集計してみると、個々の濃度階級に属する各地域の有症率にはかなりのばらつきがみられるが、男女とも濃度の高い階級ほど有症率が高く、x二乗検定の結果男女とも有意であることが認められている。

なお、この調査では一部の小学校について全員を対象にIgEの検査が行われ、IgE分布に学校間の差がみられなかった。

環境庁(一九八六b)においては、喘息様症状・現在の有症率と大気汚染との相関をみると二酸化窒素で男女とも、二酸化硫黄で女のみに有意な相関が認められた。

持続性ゼロゼロ・たんの有症率と大気汚染との相関をみると、二酸化窒素、二酸化硫黄で男女とも有意な相関が認められた。

持続性ゼロゼロ・たんでは男女とも、喘息様症状・現在では男で、両親の喘息、本人のじんましんの既往等でみたアレルギー素因ありの群はなしの群に比べ、二酸化窒素と二酸化硫黄との相関が有意となる傾向が認められている。喘息様症状・現在の有症率を二酸化窒素を指標として一〇ppb間隔の濃度別に集計してみると、個々の濃度階級に属する各地域の有症率にはかなりのばらつきがみられるが、男女とも三一ppb以上の地域では三〇ppb以下の地域より有症率が高率であり、x二乗検定の結果、有意であることが認められている。

環境庁の二つの調査において、児童については、喘息様症状・現在の有症率と大気汚染との相関は浮遊粉じんの男で異なる結果を示しているが、二酸化窒素で男女とも、二酸化硫黄では女のみ共通して有意な相関が認められた。

杉田(一九八一)らが神奈川県の小学生二三五八人を対象として、ATS方式に準拠した質問票を用いて行った調査では、喘息様症状・現在に類似した「喘息+呼吸困難」の有症率は高・中濃度汚染地域と低濃度汚染地域の間に有意の差が認められている。

加納ら(一九八一)が、同様の質問票を用いて、小学生一万二六三八人を対象として行った調査では、大気汚染濃度により三群に分けて、喘息様症状の有症率を比較するといずれも二酸化窒素濃度の高い地域ほど高率であった。

この他、気管支喘息の受診率を調査したものとして、環境庁(一九八六c)では、〇歳から九歳までの小児の気管支喘息の受診率及び一年間の新規受診率は、いずれも大気汚染濃度との間には有意な相関がみられていない。

(3) 喘息様症状・現在(成人)

環境庁(一九八六b)においては、喘息様症状・現在の有症率と大気汚染との有意な相関は男女とも認められていない。

環境庁(一九八六a)においては、喘息様症状・現在の有症率と大気汚染との有意な相関は二酸化硫黄で女において、浮遊粉じんで男において認められたが、二酸化窒素との間には男女とも認められなかった。また、五〇歳以上と五〇歳未満とに分けると女で五〇歳以上でのみ二酸化硫黄との間に、男では共に浮遊粉じんとの間に有意な相関が認められた。

この二つの調査において、成人については、喘息様症状・現在の有症率と大気汚染との間に有意な相関はほとんど認められず、特に二酸化窒素との間にはいずれも有意な相関が認められていない。

(4) 呼吸機能

呼吸機能調査は、有症率等を調べた調査とともに行われることが多いが、両者の関係は一致する場合もあるが、一致しない場合、すなわち有症率に地域差を認めても呼吸機能では認められないという結果も報告されている。

(三) 現状の大気汚染と慢性閉塞性肺疾患との関係の評価

(1) 慢性気管支炎の基本症状

慢性気管支炎の基本症状に対応する疫学的指標は持続性せき・たん症状であり、これはかつて我が国で広く用いられたBMRC方式に準拠した問診票で、最近ではATS方式に準拠した質問票で使用されている。

我が国で行われた持続性せき・たんを指標とした疫学調査を歴史的に比較すると、

ア 昭和三〇年代後半、いわゆるスモッグ時代の調査

イ 昭和四〇年代後半、すなわち二酸化硫黄の低下傾向の続いている時期の調査

ウ 昭和五〇年代後半、すなわち二酸化硫黄、二酸化窒素大気中粒子状物質の汚染動向が比較的安定した時の調査

の間に次のような傾向の差がみられる。

昭和三〇年代後半の化石燃料の燃焼に伴う硫黄酸化物と大気中粒子状物質が相当高濃度に存在していた頃の時代に行われたほとんどの疫学調査結果は、持続性せき・たん症状と硫黄酸化物や大気中粒子状物質の濃度との間に、量―反応関係を示唆するようなものを含む強い関連がみられている。

大気汚染対策により硫黄酸化物及び大気中粒子状物質の濃度が昭和四〇年代に顕著に減少し、昭和四〇年代後半の調査においてはほぼ右の関連が依然みられたものの、その末期においては持続性せき・たん有症率と二酸化窒素との間に有意な相関が認められるようになった。

昭和五〇年代後半に行われた環境庁の二つの疫学調査の結果は、その調査規模及び調査地域の大気汚染濃度からして、比較的安定に推移している我が国の大気汚染の現状を全体として反映しているものとみることができる。

先に見た、成人の持続性せき・たん有症率の状況、動物実験の結果から判断して、現状の大気汚染が地理的変化に伴う気象因子、社会経済的因子等の大気汚染以外の因子の影響を超えて、持続性せき・たんの有症率に明確な影響を及ぼすレベルとは考えられない。

(2) 気管支喘息の基本症状

気管支喘息において発作性呼吸困難、ぜん鳴等の臨床症状はかなり特徴的であり、これに対応する疫学的指標はATS方式に準拠した質問票の喘息様症状・現在で代表される。また、持続性ゼロゼロ・たんも児童の気管支喘息やぜんそく性気管支炎との関連で注目されている。

ア 児童の喘息様症状・現在

環境庁の二つの調査に共通した結果としては、児童の喘息様症状・現在の有症率は、男で二酸化窒素と、女で二酸化窒素と二酸化硫黄との間に、持続性ゼロゼロ・たんの有症率は、男で二酸化窒素と、女で二酸化硫黄との間に、それぞれ有意な相関を示した。

さらに、環境庁(一九八六a)によると、喘息様症状・現在及び持続性ゼロゼロ・たんの有症率は、人口密度別に三群に分けて検討すると人口密度の高い地域ほど、有意に高い有症率がみられた。さらに、この三群を受動喫煙の有無別、暖房器具等にみる室内汚染の有無別、家屋構造別等に検討しても、受動喫煙、室内汚染や家屋構造の有意な影響は検出されなかった。

一方、環境庁(一九八六b)によると、両親の喘息、本人のじんましんの既往等からみたアレルギー素因の有無別に大気汚染物質の有症率への影響を検討しているが、アレルギー素因ありの群はなしの群に比べて、持続性ゼロゼロ・たんは男女とも、喘息様症状・現在は男で二酸化窒素と二酸化硫黄との相関が有意となる傾向が示されている。また、受動喫煙の有無別、暖房器具等による室内汚染の有無別、家屋構造別等に層化して検討しても、男女とも持続性ゼロゼロ・たんは二酸化窒素との間に有意な相関が認められることが多かった。

気管支喘息の基本病態である気道過敏性に関しては、実験的にその短期間の持続を証明した報告はあるが、その過敏性はそれほど長く継続しないようである。一方、長期間持続して実験動物が気道敏感性を示すことの検討を目的とした研究例はない。

以上から判断して、現状の大気汚染が児童の喘息様症状・現在や持続性ゼロゼロ・たんの有症率に何らかの影響を及ぼしている可能性は否定できないと考える。しかしながら、大気汚染以外の諸因子の影響も受けており、現在の大気汚染の影響は顕著なものとは考えられない。

イ 成人の喘息様症状・現在

環境庁の二つの調査とも大気汚染との関連はほとんど認められない。なお、気管支喘息の有症率は老人期に増加することが知られているが、これに関し、環境庁(一九八六b)において五〇歳以上の女で二酸化硫黄との間に有意な相関が認められている。

以上から判断して、現在の知見から現状の大気汚染が成人の喘息様症状・現状の有症率に相当の影響を及ぼしているとは考えられない。

(3) 現状の大気汚染と慢性閉塞性肺疾患との関係の評価

ア 現在の大気汚染も、過去の大気汚染の場合と同じく、そのほとんどは化石燃料の燃焼によるものである。したがって、現在でも我が国の大気汚染は、二酸化硫黄、二酸化窒素及び大気中粒子状物質の三つの汚染物質で代表しておいても大きな過ちを来すことはないと考える。しかし、燃料消費事情、汚染対策、発生源の変化、特に交通機関の構造変化によって、我が国の最近の大気汚染は、二酸化窒素と大気中粒子状物質が特に注目される汚染物質であると考えられる。

イ 現在の大気汚染が総体として慢性閉塞性肺疾患の自然史に何らかの影響を及ぼしている可能性は否定できないと考える。しかしながら、昭和三〇〜四〇年代においては、我が国の一部地域において慢性閉塞性肺疾患について、大気汚染レベルの高い地域の有症率の過剰をもって主として大気汚染による影響と考えうる状況にあった。これに対し、現在の大気汚染の慢性閉塞性肺疾患に対する影響はこれと同様のものとは考えられなかった。

第四大気汚染と本件疾病との関係

一総論

民事訴訟においての因果関係は、ある事実とその結果との間に、前者が後者をもたらした関係を是認しうる高度の蓋然性が証明されることが必要であり、本件のような大気汚染による健康被害を理由とする損害賠償請求事件においても、何ら変わりはない。

大気汚染物質については、環境庁が環境基準を決定し、これを告示していることは先に述べたとおりであるが、右環境基準は、公衆への健康被害を未然に防止するため行政的見地から予防的な処置を講ずることを目的としたものであり、環境基準が決定されているからといって、直ちに、大気汚染と本件疾病との間に相当因果関係があるとはいえない。

ところで、慢性閉塞性肺疾患は、非特異的疾患であり、発病及び症状増悪の因子としては、大気汚染物質のほかにも内的因子として、加齢、性、人種、既往症等、外的因子として、喫煙(受動喫煙を含む)、気候、職業的因子、感染等がある。そのうちで、大気汚染と慢性閉塞性肺疾患の発症等との因果関係を判断するのは優れて医学的・公衆衛生学的専門分野の問題であり至難の業である。したがって、事実的因果関係についてはその道の専門家の研究、その見解に依拠しつつ、相当因果関係の有無を判断するのが相当である。

二因果関係

1  先に検討してきたところにより、次のことがいえる。

(一)  西淀川区は、事業活動その他の人の活動に伴って相当範囲にわたる著しい大気汚染の影響による疾病が多発している地域として特別措置法の指定地域に指定され、引き続き同趣旨の公健法の指定地域(第一種地域)とされた我が国でもトップクラスの大気汚染地域であること。

(二)  第一種地域における指定地域別の現在認定患者数と対象人口比は、西淀川区が全国一の高率であること。

(三)  公健法は、民事責任を踏まえた損害賠償制度として、疫学を基礎として人口集団につき因果関係ありと判断される大気汚染地域にある指定疾病患者は一定の暴露要件を満たしておればその疾病と大気汚染との間に因果関係がありとみなす制度的割り切りをしていること。

(四)  昭和三〇年代後半から昭和四〇年代前半の疫学調査においては、その殆どにおいて一致して持続性せき・たん有症率と二酸化硫黄及び大気中粒子状物質との間に強い関連性を認めていること、本件地域における疫学調査においても同様の関連性が認められていること。

(五)  大気汚染対策により二酸化硫黄及び大気中粒子状物質の濃度が顕著に減少した昭和四〇年代後半の疫学調査においてはほぼ右の関連が依然みられていること。

(六)  大気汚染以外に、認定患者数と対象人口比が全国一の高率である現象を説明しうる仮説が存在しないこと。

2  二酸化硫黄、浮遊粉じんと健康影響

右の事実と前記専門委員会報告の結論を総合すれば、昭和三〇年代から昭和四〇年代にかけての西淀川区における慢性気管支炎、気管支喘息及び肺気腫の原因は同地域の高濃度の二酸化硫黄、浮遊粉じんにあったと認めるのが相当である。

そうすると、昭和三〇年代から昭和四〇年代にかけて西淀川区に居住して相当期間高濃度の二酸化硫黄、浮遊粉じんに暴露され、同区の高濃度の二酸化硫黄、浮遊粉じんが大阪市内平均並に改善された昭和五〇年初期ころまでに発症している者については同区の高濃度の二酸化硫黄、浮遊粉じんによる本件疾病の罹患を推定することが相当である。

右にいう相当期間の暴露は、公健法に定める各疾病の暴露期間等を総合考慮して判断するのが相当である。

3  窒素酸化物と健康影響

二酸化窒素単独あるいは他の物質との混合のいずれかの場合においても、健康影響との関係を明確にする充分な知見が得られているとはいえない。また、クライテリアレポートにおいては、疫学的研究の結果から二酸化窒素による健康影響を評価するための定量的な基礎資料を示しえないとしており、その関係については明確にされておらず、二酸化窒素に係る判定条件等についての専門委員会報告においても、大気中二酸化窒素が、他の汚染物質とともに人口集団のうちに見出される持続性せき・たんの発生に一定の役割を果たしている可能性を否定できないとの評価をしているのみであり、積極的に因果関係を認めているわけではなく、専門委員会報告においても同様その関係は明確にされていない。このように、専門家の評価も未だ定まったものでない。したがって、現在、直ちに環境大気中の二酸化窒素単独あるいは他の物質との複合と本件疾病との相当因果関係を認めるには至らない。

4 喘息性気管支炎

また、本件疾病の内、喘息性気管支炎については、喘息性気管支炎に含まれる疾病の内、先に認定した慢性気管支炎等を除くその余の疾病と大気汚染との因果関係を認めるに足る証拠はない。

5 他因子について

タバコの煙には約四〇〇〇種類以上の化学物質が含まれ、そのうち約二〇〇種類が有害といわれており、その中には、一酸化炭素、窒素酸化物等が含まれている。その原因物質は明らかでないが、疫学調査、病理学上の知見、動物実験等から、喫煙が慢性気管支炎、肺気腫の病因となることが確認されている(<証拠>)。

しかし、喫煙が本件疾病に影響するからといっても、それにより大気汚染による影響がなくなるわけではなく、因果関係に消長をきたすわけでもないから、個別的に検討することとなる。

同様なことは、職業的暴露等他因子による健康被害についてもいえることである。

第五原告らの本件疾病罹患

一総論

原告らは、個々の患者原告らが本件疾病に罹患した事実の証明は、主治医の診断、公害健康被害認定審査会の審査を経た公健法の認定患者であることでもって立証に代えることができるとするもののようである(制度的因果関係論)。

公健法の認定は、主治医の診断書に基づき、医学その他公害に係る健康被害の補償に関し学識経験を有する一五名の委員で構成される公害健康被害認定審査会の審査を経て認定される。この限りでは、原告らの立論にも尤もな点がある。

しかし、公健法による認定は、行政上の救済を図ることを目的としており、一定の要件が整えば認定されるものであり、また、その運用の実態は、昭和五七年度全国平均で審査会一回あたり一四一件、大阪市では単純計算で一四一七件であり、充分な時間をかけた審査がなされたとはいえず、後記のとおり、現に、本来、小児の呼吸器疾患に用いられる小児科領域における診断用語である喘息性気管支炎との症病名によって認定を受けた成人が多数あり、認定の内容においても、必ずしも適切なものとは認め難い。したがって、公健法の認定を受けた認定患者の中にも、他疾病の者が紛れている可能性があることは否めない。

原告らは、いずれも公健法上の認定患者であるが、このことは、原告らが公健法上本件疾病に罹患したと認定された者であるということ、換言すれば主治医と認定審査会の専門医の二重のチェックを受けているという相当に重要な重みを持つ間接事実に過ぎず、本件訴訟のように原告らが本件疾病に罹患したか否かが重要な争点になっているケースにおいては、単に原告らが公健法による認定患者であるからといって、それだけで原告らが認定疾病に罹患したと認められるものではない。

したがって、本件においては、原告らは、公健法認定患者であるとしても、各疾病に罹患した事実を医学的に立証しなくてはならない。

二個別的認定

1 総論

然るに、原告らの本件疾病罹患の事実を証明する資料は極めて少ない。すなわち、原告らは、当裁判所の再三の勧告により、その内容において充分なものとはいえないが、診断証明書(あるいは診断意見書、診断書)、死亡診断書(あるいは死体検案書)を提出したけれども、被告側から具体的に他病疾病ないしその疑いを指摘された患者原告らについてさえ詳細な診断書、カルテ、公害病認定申請の際作成された検診書その他の資料を敢えて提出しなかったものであるから、立証不充分による不利益は、容易に証拠を提出できる立場にあった原告らが甘受すべきである。

原告らの、健康被害の立証としてほぼ共通のものは、主治医作成の「診断書(診断証明書、診断意見書)」、「死亡診断書(死体検案書)」、原告ら作成の「陳述書」、原告ら訴訟代理人作成の「陳述録取書」、大阪市長作成の「公健法に基づく認定等に関する証明書」、原告ら本人(法定代理人)もしくは近親者の供述である。

被告企業らは、一八症例につき梅田博道作成の「意見書」(<証拠>)を提出し、証人梅田博道の証言を援用した。

なお、原告らは、梅田証言後に梅田意見書に対抗する金谷邦夫医師ら作成に係る医師意見書(<証拠>)を提出した。

当裁判所は、後記2各論記載の原告らについては、同項記載の理由により本件疾病罹患の事実あるいは大気汚染との因果関係を認め難いが、その余の原告らの各個別事情は第三分冊認定のとおりであり、これらの原告は、第三分冊の「三 公害病認定状況」欄記載の本件疾病に罹患しており、居住歴等に照らし右各疾病と大気汚染(硫黄酸化物、浮遊粉じん)との間に相当因果関係があるものと認める。

2 各論

(一) 原告番号一 亡實藤雍徳(以下「亡実藤」という)

亡実藤は、昭和六年一〇月一五日生れの男性であり、愛媛県宇和島市で出生した後、昭和一一年一〇月から、昭和二〇、二一年ころ愛媛県に一時疎開した時期を除き、大阪市西淀川区福町に居住していたものであり、昭和四五年四月三日、特別措置法により気管支喘息との認定を受け、公健法により、昭和四九年一〇月気管支喘息一級、同五〇年一〇月同特級、同五一年一〇月同一級、同五八年一〇月同二級の認定を受けていたが、昭和六二年九月九日死亡した。亡実藤が昭和四五年四月二日以来受診していた大阪暁明館病院の診断証明書では、病名が気管支喘息、慢性腎炎とされ、気管支喘息の発作により死亡したとされている。

一方、亡実藤は、肺結核(肺浸潤)のため、昭和二八年一〇月九日から同三一年七月一五日までの約三年間、刀根山病院に入院治療し、退院後も肺結核の後遺症として気管支拡張症により、障害年金(障害等級三級)を受給していた(<証拠>)。

亡実藤の症状として、白い泡の痰が多量に出ていたというものであり(<証拠>)、右の症状は肺結核の後遺症としての気管支拡張症によっても生ずる症状であり(<証拠>)、右の症状からは、亡実藤が肺結核の後遺症としての気管支拡張症か気管支喘息か判然としない。この立証不十分の責任は原告中嶋において甘受すべきものである。

(二) 原告番号一〇 亡中尾郁子(以下「亡中尾」という)

亡中尾は、大正五年一一月一四日生れの女性であり、昭和四三年五月から昭和五四年六月一四日に死亡するまでの間、大阪市西淀川区姫島一丁目七番二一号―三三に居住していたものであり、昭和四九年五月七日特別措置法により、慢性気管支炎の認定を受け、公健法により、昭和四九年一〇月慢性気管支炎一級、同五〇年一〇月同二級、同五一年一〇月同一級、同五二年九月一日気管支喘息の追加認定により慢性気管支炎及び気管支喘息一級の認定を受けていたが、同五四年六月一四日死亡した(<証拠>)。

しかし、亡中尾については、医学資料として死亡診断書(直接死因として心不全、その原因として気管支喘息との記載があるのみ)のみしか提出されておらず、発症時期、病状、その経過等が判明せず、本件訴訟のように亡中尾が本件疾病に罹患したか否かが重要な争点になっているケースにおいては、右死亡診断書のみでは判断が困難であり、立証不十分との謗りを免れない。

(三) 原告番号一三 亡萬野正吉(以下「亡萬野」という)

亡萬野は、大正一年七月三一日生れの男性であり、兵役(呉市)についた昭和一九年から終戦までの間を除き、出生以来昭和五七年一〇月一一日に死亡するまでの間、大阪市西淀川区姫島二丁目六番二二号に居住していたものであり、昭和四五年八月一日に特別措置法により、気管支喘息の認定を受け、公健法により、昭和四九年一〇月気管支喘息特級、同五〇年一〇月同一級、同五二年九月一日の肺気腫追加認定、同年一〇月気管支喘息及び肺気腫特級の認定を受けていた(<証拠>)。

亡萬野は、昭和二五年ないし三〇年ころから症状のある若年発症であり、かつ、昭和五六年と同五七年の二度にわたり耳鼻科疾患により県立尼崎病院に入院しており、びまん性汎細気管支炎と考えることも可能な病歴であり、胸部レントゲン写真があればびまん性汎細気管支炎か否かの判断は可能であるが(<証拠>)、原告らは胸部のレントゲン写真すら提出しない。この立証不十分の責任は原告萬野にある。

(四) 原告番号一九 前田他七(以下「亡前田」という)

亡前田は、昭和五年一月三〇日生れの男性であり、富山県小矢部市で出生し、昭和三一年から大阪市西淀川区西福町二丁目(現・福町)に居住し、昭和五四年八月三一日死亡するまで同区福町二丁目七番三号―四〇八に居住していたものであり、昭和四九年五月九日に特別措置法により、喘息性気管支炎の認定を受け、公健法により、昭和四九年一〇月から同五〇年九月まで喘息性気管支炎一級、同五〇年一〇月から同五一年八月まで同特級、同五一年九月一日気管支喘息に認定され、同年九月気管支喘息特級、同年一〇月から同五四年八月三一日死亡(死亡起因率五〇%)まで同一級の認定を受けていた(<証拠>)。

亡前田は、当初、本来は小児の呼吸器疾患とされている喘息性気管支炎として認定されており、右認定内容に疑問があり、本件疾病のうち他の疾病であったとの証拠もなく、昭和五一年九月一日気管支喘息に認定されるところまでの疾病は明らかでなく、昭和五一年九月ころまでに本件疾病に罹患していたとは認めるに至らない。

また、亡前田は、肺結核で昭和四〇年頃西宮回生病院に入院し、同四一年頃神戸市民病院で手術し、その後西宮回生病院で約半年療養し、約一年自宅療養したものであり、同五四年八月三一日入院先の暁明館病院で死亡したが、死亡時にも両側性肺結核症があり、暁明館病院の死亡診断書には発病から死亡迄三か年と記載されていることからすると、昭和四五年頃から咳、痰が出はじめたという亡前田の病状の経過は、肺結核症の病状と渾然一体として判別しがたい病状であるにも拘わらず、原告らは胸部レントゲン写真すら提出しない。この立証不充分の責任は原告前田らにある。

(五) 原告番号三一 亡島田賢吉こと李賢鎬(以下「亡李」という)

亡李は、昭和二年一月一五日生れの男性であり、朝鮮全羅南道で出生後、昭和三年から山口県、同九年から大阪市西淀川区佃、同二五年七月から同市都島区で居住した後、昭和四〇年四月から昭和六二年一月九日に死亡するまでの間、同市西淀川区佃三丁目一四番一号に居住していたものであり、昭和四五年三月九日特別措置法により、慢性気管支炎の認定を受け、公健法により、昭和四九年一〇月慢性気管支炎一級、同五二年一〇月同二級、同年一二月同一級、同五六年一二月同二級、同五七年一月同一級、同五八年一月同二級の認定を受けたものであり、昭和四五年九月四日以降治療を受けていた西淀病院でも、慢性気管支炎との診断をしている(<証拠>)。

しかし、亡李の慢性気管支炎の発症は、亡李が西淀川区に転居した昭和四〇年頃であり(<証拠>)、他方、亡李は、昭和三九年ころまでは、ヘビースモーカーであったことから(<証拠>)、亡李の右疾病の病因は喫煙とも考えられ、亡李の右疾病と西淀川区における本件大気汚染との因果関係は認め難い。

(六) 原告番号三二 亡黒田利春(以下「亡黒田」という)

亡黒田は、明治四五年三月二八日生れの男性であり、広島県呉市で出生し、昭和二〇年ころから大阪市西淀川区花川町、同三二年ころから同市東淀川区塚本に居住し、同四二年から昭和五四年三月二八日に死亡するまでの間、同市西淀川区佃三丁目一五番二八号に居住していたものであり、昭和四六年五月一七日特別措置法により、慢性気管支炎の認定を受け、公健法により、昭和四九年一〇月慢性気管支炎一級、同五〇年一〇月同特級、同五一年一〇月同一級の認定を受けていたものである(<証拠>)。

亡黒田については、当初、医学資料としては死亡診断書のみが提出されていた。亡黒田は、昭和四三年ころの発症とされているところ、亡黒田の死亡診断書の死亡原因欄には「慢性気管支炎兼肺繊維症」、発病から死亡までの期間が約一〇年と記載されている。

肺繊維症は、間質性肺炎のことであり、病変の主座は肺胞にあるのに対し、慢性気管支炎の病変の主座は気管支にあるという根本的な相違があり、両者は全く別のものであって、慢性気管支炎から間質性肺炎への移行、合併は考えられない。死亡診断書と梅田証言後作成された診断意見書だけでは、亡黒田が慢性気管支炎に罹患していたことの証明としては不充分である。

(七) 原告番号四〇 原告福田美津子(以下「原告福田」という)

原告福田は、昭和一七年三月一日生れの女性であり、愛知県名古屋市にて出生後、昭和四〇年まで同市に居住し、同年から豊中市庄内に居住した後、同四三年から大阪市西淀川区野里、次いで同四七年二月から同区大和田三丁目七番七号で居住しているものであり、昭和四八年九月七日特別措置法により、慢性気管支炎の認定を受け、公健法により、昭和四九年一〇月慢性気管支炎一級、同五〇年一〇月同三級、同五一年一〇月同二級、同五三年一〇月同三級、同六〇年一〇月同等級外の認定を受けたものである。

原告福田は、昭和四五年三月ころ発症したという。昭和四九年九月一級に認定されたことは、いわゆる慢性閉塞性気管支炎との判断を意味するが、これは不可逆性の病態を呈する疾患であり病状は改善しがたい。ところが、原告福田は、翌年に三級となり、最終的には級外となっている。長期間にわたり微熱が観察されていること等を総合すると慢性気管支炎の経過としては極めて不自然であり、何らかの他疾患の存在が疑われる(<証拠>)。提出された診断書三通(<証拠>)の記載では、右の点の説明がつかず、レントゲン写真その他の資料を提出しないことによる立証不充分の責任は原告福田にある。

(八) 原告番号五三 原告丸石市子(以下「原告丸石」という)

原告丸石は、昭和一四年一月一三日生れの女性であり、徳島県美馬郡にて出生し、昭和三五年四月から同四三年ころまで大阪市西淀川区佃、同年ころから同五一年ころまで同区大和田、同五一年ころから同五八年ころまで同区姫島、同五八年以降同区佃で居住しており、昭和四五年七月一七日特別措置法により、慢性気管支炎の認定を受け、公健法により、昭和四九年一〇月慢性気管支炎の認定を受け、公健法により、昭和四九年一〇月慢性気管支炎一級、同五〇年一〇月同二級、同五六年一〇月同三級の認定を受けたものであり、昭和六一年一一月二五日から治療をうけている吉富医院においても、慢性気管支炎との診断をしている(<証拠>)。

原告丸石は、多量の膿性痰の喀出、血痰がみられ(<証拠>)、慢性気管支炎よりも気管支拡張症の可能性を疑わせる(<証拠>)。

胸部X線写真その他の資料を提出しないことによる立証不充分の責任は原告丸石にある。

(九) 原告番号六四 原告貞安ハルミ(以下「原告貞安」という)

原告貞安は、広島県賀茂郡で出生し、昭和一四年八月以降、現在に至るまで大阪市西淀川区福町で居住しており、昭和四五年六月一五日特別措置法により、喘息性気管支炎の認定を受け、公健法により、昭和四九年一〇月喘息性気管支炎一級、同五〇年一〇月同二級、同五一年九月一日肺気腫の変更認定により肺気腫二級、同六〇年一〇月同三級の認定を受けたものであり、原告貞安が治療を受けている姫島診療所においては、肺気腫との診断をしている(<証拠>)。

原告貞安は、当初、本来は小児の呼吸器疾患とされている喘息性気管支炎として認定されており、右認定内容に疑問があり、本件疾病のうち他の疾病であったとの証拠もなく、昭和五一年九月ころまでの疾病は明らかでなく、昭和五一年九月ころまでに本件疾病に罹患していたとは認めるに至らない。また、慢性肺気腫は不可逆性の閉塞性障害を特徴とし、症状の改善は考えにくいところ、原告貞安は認定等級の変遷から症状の改善が推定され、慢性肺気腫の診断に疑問があり、胸部X線写真、肺機能検査所見等の資料を提出しないことによる立証不十分の責任は原告貞安にある。

(十) 原告番号七六 原告里邑吉雄(以下「原告里邑」という)

原告里邑は、明治四二年一〇月三一日生れの男性であり、兵庫県氷上郡で出生し、昭和二三年頃から大阪市西淀川区に居住しており、公健法により、昭和五〇年二月一五日慢性気管支炎二級の認定を受けたものであり、昭和四年から藤永田造船にて溶接工、昭和九年からイマシロ機鋼にて溶接工、昭和二〇年から汽車製造株式会社にて機械設備の保守・修理、昭和二二年から同三九年定年退職まで淀川製鋼大阪工場にて溶接工、昭和三九年から同五〇年まで笹倉機械製作所の下請山崎株式会社にて溶接関係の仕事と溶接工の経歴が長く、溶接じん肺の可能性が高い。結核の疑いで、結核菌の検査をしたことからレントゲン上異常陰影が認められたものと推測され、胸部X線写真、肺機能検査所見等の資料を提出しないことによる立証不充分の責任は原告里邑にある。

(一一) 原告番号七七 原告上原秋夫(以下「原告上原」という)

原告上原は、大正元年一〇月二一日生れの男性であり、広島県で出生し、昭和二六年から同三七年まで大阪市西淀川区佃に、同三七年から現在まで同区花川に居住しており、昭和四五年一一月四日特別措置法により慢性気管支炎の認定を受け、公健法により昭和四九年一〇月から現在まで慢性気管支炎二級の認定を受けたものであり、昭和二六年から三晃亜鉛精練株式会社で工員、昭和三〇年から大五金属で工員、昭和四一年から山根金属で工員、昭和四四年から同四五年まで大亜工業株式会社で工員の職歴を有する(<証拠>)。

原告上原は、長期にわたり石灰や重油で再生亜鉛を溶解する釜を炊く精練工場の現場で稼働しており、その間に咳・痰症状が発現している。直接刺激性ガスに暴露される環境下で就業していたころから、慢性気管支炎とすれば、原因は職場汚染である。職場環境基準はNO2五ppmであり(<証拠>)、大気汚染とはオーダーが異なる高濃度である。また、二〇歳から七七歳ころまで喫煙しているから、その影響も無視できない。

(一二) 原告番号九三 原告佐井稔(以下「原告佐井」という)

原告佐井は、昭和四〇年九月一八日生れの男性であり、大阪市西淀川区大和田四丁名二番一四号にて出生し、以来同所に居住し、昭和六〇年四月同区大和田四丁目二番一七号に転居し、以来同所に居住しており、昭和四五年一二月一六日特別措置法により、気管支喘息の認定を受け、公健法により、昭和四九年一〇月気管支喘息一級、同五一年一〇月同三級、同五二年一〇月同二級、同五四年一〇月同三級の認定を受けたものであり、昭和四五年ころから治療をうけている吉富医院においても、気管支喘息との診断をしている。

原告佐井は、一歳半ころに喘息を指摘され、湿疹、鼻水、鼻詰まり等の症状があり、主治医から原っぱや草むらに行かないよう生活指導を受けていた。五歳ころから発作を見るようになり、小学二、三年ころが最も悪く、その後は軽快している。母と妹が喘息患者であり家族的素因もある(<証拠>)。

右事実から、典型的な小児喘息の経過を辿っているケースであり、アトピー型の小児喘息といってよく(<証拠>)、西淀川区における本件大気汚染との因果関係を有するものとは認め難い。

(一三) 原告番号九五 原告生熊耕治(以下「原告生熊」という)

原告生熊は、昭和四九年一〇月一六日生れの男性であり、大阪市淀川区三国本町にて出生後、同所で居住し、昭和五二年一月に大阪市西淀川区姫島六丁目に転居し、次いで同五九年六月同二丁目に転居し、以来同所で居住しており、公健法により、昭和五二年九月三〇日気管支喘息、同一〇月同三級、同六二年一〇月等級外、同六三年一〇月同三級の認定を受けたものであり、昭和五二年九月から治療を受けている西淀病院においても気管支喘息との診断をしている。

原告生熊は、二歳ころから鼻水が流れて止らず、咳が続くようになり、喉がヒュー、ヒューと鳴り、咳込んで吐くこともあった。昭和五九年九月二九日に喘息発作が起こり、西淀病院に入院し、以後、月に二、三回喘息発作を起こすようになった。アレルゲンテストは陽性(ハウスダスト・家ダニ)であり、減感作療法をうけており、医師から、ペットやぬいぐるみをやめるように指導されている。そして、症状は寛解の方向に向かっている(<証拠>)。

右の事実から小児喘息の一般的経過を辿っており、原告生熊は、アトピー型の小児喘息といってよく(<証拠>)、西淀川区における本件大気汚染との因果関係を有するものとは認め難い。

(一四) 原告番号九六 原告宮野繁和(以下「原告宮野」という)

原告宮野は、昭和四〇年九月一五日生れの男性であり、大阪市西淀川区姫島にて出生し、姫島内で二回転居し、昭和六一年五月以降、同市西淀川区姫島六丁目五番三号に居住しており、昭和四五年三月九日特別措置法により、気管支喘息の認定を受け、公健法により、昭和四九年一〇月気管支喘息三級、同五三年一〇月同等級外の認定を受け、同五八年九月非認定となった。昭和五八年九月ころまで治療を受けていた姫島診療所においても気管支喘息との診断をしている。

原告宮野は、二歳を過ぎたころから鼻水を流し、咳が止まらず、ゼー、ゼー鳴るという状態が続き、喘息発作が始まった。その後、三歳ころから小学生の間が最も症状がきつかったが、中学校卒業ころから発作の回数が減り、年をおって発作の程度や頻度は軽減し、昭和五八年九月の段階で肺機能検査を含めて自覚的にも他覚的にも有意の所見を得ておらず、その後は気管支喘息の治療を行っていない(<証拠>)。

右事実から、原告宮野は、アトピー型の小児喘息であり、既にアウトグロウしたと考えてよく、(<証拠>)、西淀川区における本件大気汚染との因果関係を有するものとは認め難い。

(一五) 原告番号九八 亡永野猛則(以下「亡永野」という)

亡永野は、昭和四四年九月二〇日生れの男性であり、大阪市此花区にて出生し、昭和四四年一一月ころから昭和五四年八月一五日に交通事故で死亡するまでの間、同市西淀川区出来島に居住していたものであり、昭和四六年三月二五日特別措置法により、喘息性気管支炎の認定を受け、公健法により、昭和四九年一〇月喘息性気管支炎三級の認定を受けたものである。

亡永野は、西淀川区へ転居後六か月経たころから咳、痰が出るようになり、一歳半ころから痰がからんでヒィーヒィー、ゴロゴロ、ゼーゼーいわせながら咳をするという状態が続き、喘息発作が始まった。その後、小学校入学ころから夜中に咳、痰が出る頻度が減り、若干症状は軽減し、昭和五四年八月ころには理学所見上も特に問題はなくなり、その後は治療を行っていない(<証拠>)。

ところで、喘息性気管支炎は小児の呼吸器疾患に用いられる診断用語であり、数種の疾病の総称であることは前示のとおりであり、右認定の事実から、亡永野は、アトピー型の小児喘息のようにみえ(本件疾病の内のその他の疾病であるとの証拠もない)、症状はアウトグロウの経過をたどっていたと考えてよく(<証拠>)、西淀川区における本件大気汚染との因果関係を有するものとは認め難い。

(一六) 原告番号九九 亡網城千佳子(以下「亡網城」という)

亡網城は、昭和三〇年一月二四日生れの女性であり、大阪市西淀川区大和田にて出生し、昭和五〇年五月二四日に死亡するまでの間、同所に居住していたものであり、昭和四五年二月四日特別措置法により、気管支喘息の認定を受け、公健法により、昭和四九年一〇月気管支喘息二級の認定を受けたものである(<証拠>)。

しかし、亡網城については、医学資料としては、直接死因として窒息死、その原因として気管支喘息(重積発作)との記載ある死体検案書のみしか提出されておらず、発症時期、病状、その経過等が判明せず、死体検案書の性格からして、右書面を作成した医師が病状等を診察して記載したものとは考えられず、本件訴訟のように亡網城が本件疾病に罹患したか否かが重要な争点になっているケースにおいては、右死体検案書のみでは判断が困難であり、立証不充分の謗りを免れない。

(一七) 原告番号一〇〇 亡西尾よし子(以下「亡西尾」という)

亡西尾は、大正三年三月一九日生れの女性であり、岩手県一ノ関市にて出生し、昭和二三年ころから大阪市西淀川区内に居住し、その後同二九年九月から同三一年五月まで尼崎市で居住し、昭和三一年に西淀川区佃二丁目に転居し、以来昭和四七年一二月一八日に死亡するまでの間、同区内で居住していたものであり、昭和四五年七月八日特別措置法により、喘息性気管支炎の認定を受けて死亡するまでの間、右認定に変更はなかった。亡西尾は、昭和四五年五月二五日から西淀川病院で治療を受けていたが、同病院も喘息性気管支炎と診断している(<証拠>)。

ところで、喘息性気管支炎は小児の呼吸器疾患に用いられる診断用語であり、数種の疾病の総称であることは前示のとおりであり、右認定及び診断の症病名に疑問があり、後日作成された昭和六三年一一月一〇日付医師の補充意見書(<証拠>)では、病名は気管支喘息が適当であるとされているが、苦しそうであるならば、なぜ当初から気管支喘息と診断しなかったのかとの疑問が残り、症状、検査結果等によっても気管支喘息診断しえなかったのではないかとの疑問を払拭しえず、<証拠>によっても気管支喘息と認めるには至らず、本件疾病の内のその他の疾病であるとの証拠もない。

第三章共同不法行為

第一民法七一九条一項前段の共同不法行為

一関連共同性

原告らは、被告らの共同不法行為を主張する。民法七一九条一項前段の共同不法行為が成立するためには、各行為の間に関連共同性があることが必要である。

共同不法行為における各行為者の行為の間の関連共同性については、必ずしも共謀ないし共同の認識あることを必要とせず、客観的関連共同性で足りると解されている。

民法七一九条一項前段の共同不法行為の効果としては、共同行為者各人が全損害についての賠償責任を負い、かつ、個別事由による減・免責を許さないものと解すべきである。このような厳格な責任を課する以上、関連共同性についても相当の規制が課されるべきである。

したがって、多数の汚染源の排煙等が重合して初めて被害を発生させるに至ったような場合において、被告らの排煙等も混ざり合って汚染源となっていることすなわち被告らが加害行為の一部に参加している(いわゆる弱い客観的関連)というだけでは不充分であり、より緊密な関連共同性が要求される。

ここにいうより緊密な関連共同性とは、共同行為者各自に連帯して損害賠償義務を負わせるのが妥当であると認められる程度の社会的に見て一体性を有する行為(いわゆる強い関連共同性)と言うことができる。

その具体的判断基準としては、予見又は予見可能性等の主観的要素並びに工場相互の立地状況、地域性、操業開始時期、操業状況、生産工程における機能的技術的な結合関係の有無・程度、資本的経済的・人的組織的な結合関係の有無・程度、汚染物質排出の態様、必要性、排出量、汚染への寄与度及びその他の客観的要素を総合して判断することになる。

二汚染物質の一体性

原告らは、被告ら工場・道路が立地・操業・供用される尼崎市、西淀川区及び此花区の臨海部がまとまった一つの工業地域を形成し、被告ら工場・道路が右工業地域の訴外工場群とともにいわゆる汚悪物質を排出し、合体した汚悪物質が一体として原告ら居住地を侵害しているから、被告らの侵害行為の一体性が認められ、関連共同性が認められると主張する。

しかし、不特定多数の排出源が被告らとの間のいわゆる強い関連共同性は概念の性質上も認めがたい。また、実際上も本件地域は我が国有数の大工業地帯である阪神工業地帯にあるが、阪神工業地帯はその成り立ちからして、それぞれの企業が各別の判断で立地することによって諸工業が偶然集積して形成された工業地帯であって、もともと各企業間の結びつきが希薄であるから、訴外の臨海工業地域の不特定多数の工場群と被告らとの間にいわゆる強い関連共同性の存在は到底考えられず、またその立証もないから、その余について判断するまでもなく失当というべきであろう。

被告企業らについてこれを見ても、明治時代から昭和三一年迄の長期間に、広大な工場用地、海運の便、労働力等を求めてばらばらに立地操業したものに過ぎず、対象工場・事業所も大阪湾岸沿いの東西約七キロメートル、南北約二〇キロメートルの地域に散在しており、業種も鉄鋼業四社、窯業二社、ガス・電力・化学・コークス各一社と様々であり、被告企業らの生産工程における機能的技術的な結合関係、原材料・製品の取引関係、資本的・人的・組織的結合関係については、関西熱化学をめぐる関連のほかに見るべきものはなく、その結合関係は希薄というほかない。

三被告関西電力を通じての一体性

原告らは、電力を生産する被告関西電力と、電力を消費する他の被告企業らの間に電力の供給関係を通じての一体性がある旨主張する。

しかし、電力は、国民生活上不可欠のエネルギーであり、一般的エネルギーである電力の供給関係は、連帯して損害賠償義務を負わせるのが妥当と認められる程度の社会的一体性の有無を判断する関連性の指標としては不適当である。

しかも、電気事業法により地域独占形態をとるから、近畿地方の電力供給業者は被告関西電力しかない。被告関西電力は、申込みがあれば電力を供給せざるを得ず、被告企業らの工場・事業所といえども被告関西電力からしか電力の供給を受けられない関係にあり、鉄鋼業等の電力多消費型産業も例外ではない。被告企業らの工場の使用する電力が工場用の特別に加工されたものであれば格別、原告らのいう技術的一体性とは被告企業らの工場が多くの電力を使用していることに尽きるから、かような電力需給関係は、訴外工場はもとより原告らを含む一般市民生活における需給関係と異なるところはない。

また、原告らは、尼崎地区の火力発電所が被告企業らを含む工業地帯の工場向けに建設された旨主張するけれども、被告関西電力は、一般電気事業者として、近畿一円の需要に応じ安定した電力を供給する社会的責務を負っているのであるから、特定地域の産業向けに発電所を建設するものではなく、原告らをも含む近畿一円の需要の増大に対処するために発電所を建設していると見るべきであろう。

四被告関西熱化学をめぐる関連性

被告関西熱化学は、昭和三一年に被告神戸製鋼(旧尼崎製鉄、神戸製鉄所、加古川製鉄所)にコークスを供給することを目的として設立された会社で、資本構成は、設立時資本金五億円で、三菱化成六〇パーセント、旧尼崎製鉄二〇パーセント、被告神戸製鋼二〇パーセント、現在は資本金六〇億円で、三菱化成五一パーセント、被告神戸製鋼三九パーセント、被告大阪瓦斯一〇パーセントであり、役員一六名中被告神戸製鋼が五名、被告大阪瓦斯が一名を派遣しており、製品は、主製品のコークスを被告神戸製鋼に供給し、副製品のコークス炉ガスを被告大阪瓦斯に都市ガス用として、被告旭硝子に徐冷炉燃料として、被告神戸製鋼に熱風燃料として(昭和六二年九月神戸製鋼尼崎工場休止まで)供給し、タール類を三菱化成に供給している(<証拠>)。

したがって、被告関西熱化学、被告神戸製鋼及び被告大阪瓦斯の三者間には、民法七一九条一項前段に定める共同不法行為が成立する。

五環境問題での関連性

公害に対する公的規制の拡充強化に伴い、従来互いに無縁のものと考えられていた各企業の活動が、公害環境問題の面では互いに関連していることが認識されてくるし、また認識すべきである。

大気汚染についていえば、昭和三七年ばい煙規制が制定され、個別的なばい煙排出濃度規制を図ったが、これでも事態に対応しえず、公害が深刻化し、昭和四二年公害対策基本法、続いて昭和四三年大気汚染防止法が制定され、いわゆるK値規制方式が導入され、季節変化に対応した燃料使用規制が実施され、それでもなお大気汚染が深刻化するなかで、昭和四四年六月大阪府はブルースカイ計画を発表し、昭和四五年六月大阪市は西淀川区大気汚染緊急対策を策定した。

右に見た大気汚染防止法の制定から西淀川区大気汚染緊急対策策定に至る経過の中で、いわゆる大企業である被告企業らは各企業の活動が、公害環境問題の面では互いに強く関連していることを自覚し、または自覚すべきであったということができる。

そうすると、被告企業らは、遅くとも昭和四五年以降は、少なくとも尼崎市、西淀川区及び此花区の臨海部に立地する被告企業の工場・事業所から排出される汚染物質が合体して西淀川区を汚染し、原告らに健康被害をもたらしたことを認識し、または認識するべきであったということができる。

したがって、遅くとも昭和四五年以降においては、被告企業間には民法七一九条一項前段に定める共同不法行為が成立する。

第二民法七一九条一項後段の共同不法行為

一関連共同性

民法七一九条一項後段の共同不法行為においては(右後段の共同不法行為は、共同行為を通じて各人の加害行為と損害の発生との因果関係を推定した規定であり)、共同行為者各人は、全損害についての賠償責任を負うが、減・免責の主張・立証が許されると解されている。後段の共同不法行為についても、関連共同性のあることが必要であるが、この場合の関連共同性は、客観的関連共同性で足りる(いわゆる弱い関連共同性で足りる)と解すべきである。

二加害者不明の共同不法行為

西淀川区の大気汚染は、南西型汚染と北東型汚染とが全体として西淀川区の大気を汚染したいわゆる都市型複合汚染であるが、被告企業らの工場・事業所の排煙が昭和四〇年代前半までの南西型汚染の主要汚染源の一翼を担っており、また、原告らが右大気汚染により本件疾病に罹患し、その症状が維持・増悪したものである。

先にみたとおり、西淀川区の大気汚染は、南西型汚染と北東型汚染とが拮抗し、両者相まって原告らの疾病罹患に寄与したもので、昭和四〇年代前半の南西型汚染における被告企業の寄与度は不明であるが、この場合にも民法七一九条一項後段の共同不法行為が成立する。

三分割責任

西淀川区の大気汚染は、南西型汚染と北東型汚染とが拮抗したもので、先にみたとおりその寄与度はほぼ互角である。また、昭和四四年以前の南西型汚染に対する被告企業各自の寄与度を認定するに足りる立証はない(排出量が西淀川区の大気汚染に対する寄与度を決するメルクマールでないことは被告企業の持論とするところである)。したがって、被告企業は、昭和四四年以前の損害については二分の一の限度で責任を負うべきである。

昭和四五年以降については、地域総合シミュレーションにより、被告企業各社の西淀川区の大気汚染に対する寄与度が明らかとなった。しかし、昭和四五年以降は、先にみたとおり被告企業各社の間に環境問題でのいわゆる強い関連性が認められるから、被告企業各社の寄与度に応じた分割責任を許すことはできない。したがって、被告企業は、昭和四五年以降においては、前示被告一〇社合計の寄与度に基づく責任を負うべきである。

第三主観的関連共同性

また原告らは、被告らの間には主観的関連共同性さえも認められる旨主張するが、右事実を認めるに足りる証拠はない。

第四章被告らの責任

第一被告企業らの責任

一注意義務

1 注意義務の基礎

大気は、人類の存在にとって必要不可欠の重要資源であるから、その正常な成分の維持は、人類共通の義務であり、重大関心事である。従って、これに人為的に異常な変更を加えることは、既にそれ自体危険性があるといえ、多量の汚染物質を排出する事業の事業者は、危険な業務を行う者として高度の注意義務を負担するものというべきである。

2 調査研究義務(予見義務)

被告企業らの工場・事業所のように、その操業にあたって、製造過程で大量の大気汚染物質を大気中に排出する事業の事業者は、危険な業務を行う者として、排出物質の有害性、被害を発生する量・排出方法につき、事前にあるいは排出継続中に常時調査研究して認識(予見)すべき注意義務がある。

(しかし、汚染物質の排出が多量であるか否かは絶対量で決まるのではなく、その物質の有害度と着地濃度等の関係で相対的に定まるものである)

3 結果回避義務

大気の浄化能力にも限界がある以上、大気汚染による健康被害発生の危険が生じたならば、大量の大気汚染物質を大気中に排出する事業の事業者は、被害を生じない程度にまで排出量を減少させ健康被害の発生を防止する適切な措置を取る義務がある。

排出量の減少は、単に自治体の指導に従ったというだけでは足らず、自ら被害を発生する量・排出方法につき常時調査研究して認識すべき義務がある。

被告企業らは、いずれも大量の大気汚染物質を大気中に排出する事業を営む大企業であり、その資力・施設・人材をもってすれば相当の調査研究ができた筈である。

(しかし、大気汚染の健康に与える影響の研究は、現在未だ発展途上にあり、未知の部分が多く、被告らの責任を判断すべき基準は、大気汚染状況と右研究の成果の如何により相対的に決定されるべきである)

二大気汚染の危険性に関する社会的認識

我が国では、銅精錬工場の硫黄酸化物による煙害として、明治二三年頃の足尾銅山事件とともに同二六年頃から住友鉱業別子銅山精錬所のばい煙による農作物・呼吸器疾患の被害が深刻化し、同四三年政府が斡旋に乗り出した別子銅山事件が有名である(<証拠>)。

訴訟事件としては、古くは大正五年の大阪アルカリ事件(上告審大審院判決大正五年一二月二二日、差戻審大阪控訴院判決大正八年一二月二七日)が、最近では四日市ぜんそく損害賠償請求事件(津地裁四日市支部判決昭和四七年七月二四日)が著名である。

諸外国における亜硫酸ガスによる大気汚染事件としては、昭和五年頃の農場・森林被害が米国・カナダ間の国際紛争となったトレイル事件、急性呼吸器病患者が急増したミューズバレー事件、昭和二三年頃の米国公衆衛生局の大規模調査で大気汚染の健康影響が明確にされたドノラ事件、昭和二七年頃の英国政府の調査により亜硫酸ガスと呼吸器疾患との関係が明らかにされたロンドンスモッグ事件が著名である(<証拠>)。

昭和二九年三月七日、厚生大臣は日本公衆衛生協会に対し「ばい煙ならび各種化学物質による空気汚染の許容限度」について諮問し、同協会は、昭和三〇年一一月一九日、厚生大臣に対し、亜硫酸ガスの生活環境許容値として、0.1ppmを超えてはならないとの答申をした。

大阪市では、硫黄酸化物について、昭和三三年一〇月以降二酸化鉛法(PbO2法)による測定が行われ、西淀川区でも大和田東小学校(昭和四三年淀中学校に引継ぎ)等が測定点になり、昭和三九年一二月以降溶液電気伝導率法による二四時間常時測定が始まった。

三故意責任

原告らは、昭和三四年に国立公衆衛生院の鈴木博士が被告企業らが加盟する尼崎経営者協会で講演し、尼崎市における深刻な大気汚染の状況と大気汚染対策の緊急性及び具体的対策について指摘しているから(<証拠>)、遅くとも昭和三五年以降は被告企業らに確定的故意があったと主張する。

しかし、本件大気汚染は、南西型汚染と北東型汚染とが競合し、かつ、被告企業らの排煙と訴外企業らの排煙とが複合して原告らに損害をもたらしたものであり、被告企業らの工場・事業所はそれぞれ排出基準を遵守していることが窺われることからしても、被告企業らが、故意をもって排煙を継続していたとは認め難く、また、被告企業らが原告らの被害の発生を容認していたとまで認めるに足る証拠もない。

四過失責任

1 立地上の過失

被告企業らの工場・事業所は、被告関西熱化学、被告中山鋼業を除きいずれも第二次世界大戦以前の創業であるから、原告らの健康被害との関係で立地上の責任を問題にする余地はない。また、敗戦後の操業再開についても、いずれも大気汚染が問題になる前であるから、同様に問題にならない。

被告関西熱化学は、昭和三一年創業とはいえ、その実は戦前立地の尼崎製鉄の既設コークス炉を承継して操業したものであるから実質的には新規立地といえないから、立地上の責任は問題にならない。

被告中山鋼業は昭和三一年五月、当時既に大工業地帯の形をなしていた阪神工業地帯の西淀川区出来島地区へ工場進出したものであるが、同年一二月の操業開始当時の設備は一五トン電気炉一基であり重油使用設備もなく、硫黄酸化物の排出は殆どなく、煤煙の排出もさして多くなかったのであるから、立地上の責任は問題にならない。

2  操業継続の過失

大気汚染の危険性に関する社会的認識と被告企業らの規模・資力・施設・人材等を併せ考えると、被告企業らは、遅くとも昭和三二年頃には亜硫酸ガスの生活環境濃度が0.1ppmを超えると硫黄酸化物による健康被害が問題になるということが認識可能であったというべきであるし、先にみたとおり、被告企業らの工場・事業所の立地する湾岸地区の周辺地域は、既成市街地の人工密集地であり、その中で設備規模を拡大し、生産を増大したものであるから、排出条件・気象条件によっては被告企業らの工場・事業所の排煙が訴外工場の排煙と複合して原告ら居住地に到達し、地区住民に健康被害を発生せしむることの予見可能性はあったものと認められる。

三無過失責任

1  大気汚染防止法二五条一項の規定により、同法施行期日である昭和四七年一〇月一日以降の排出行為については、被告企業らは、これによって生じた損害については、無過失でもこれを賠償する責任を負う。

2 責任額軽減

同法二五条の二は、損害の発生に関しその原因となった程度が著しく小さいと認められる事業者について賠償額の斟酌を規定する。

この点について、此花区所在の被告大阪瓦斯は、その気象条件により、西淀川区に対する汚染寄与度が極めて低いので、この規定の適用が問題となるところ、前判示のとおり、被告大阪瓦斯は、関西熱化学と製品の取引関係、資本的・人的・組織的結合関係について強い関連共同性を有することに照らすときは、減責を許すのは相当でない。

第二被告国・同公団の責任

先にみたとおり、二酸化窒素と健康被害との間に因果関係が認められないから、被告国・同公団の責任を判断するまでもない。

第五章損害賠償請求

第一損害論総論

一原告らの主張(包括一律内金請求)

原告らは、本件疾病に罹患したことにより、身体的被害を中心として日常生活、家庭生活、社会経済生活上被害を被ったとし、原告らの各疾病発症時から本件口頭弁論終結時までの間に被った社会的、経済的、精神的被害の全てを包括したもの(総体としての被害)を損害として、死亡者(起因死亡)につき金五〇〇〇万円、公健法により認定された等級の内、特級及び一級患者につき金四〇〇〇万円、二級及び三級患者につき金三〇〇〇万円、未成年者につき金二〇〇〇万円の四類型に分けて一律請求し、右金額は、全損害の内から公健法等の行政上の給付金額を除いた損害の更に内金として請求するものである旨主張する。

二一部請求について

原告らは、全損害の内から公健法等の行政上の給付金額を除いた損害の更に内金として請求する旨主張するけれども、損害の全額を何ら明示していないのであるから、内金として請求するとはいっても、講学上のいわゆる一部請求とはいえず、本件における審判の対象は、原告らの本件口頭弁論終結時までの間に発生した損害賠償請求権全部の存否であり、請求額は、判決による認容額の上限を画するに過ぎないものというべきである。従って、原告らは、後に別訴によって残額の請求をすることは許されないこととなる。

三包括請求について

被告らは、損害賠償請求訴訟における損害の主張は、被告の侵害行為の結果を具体的に金銭に評価算定した上その主張をなすべきであり、損害についての個々の費目、すなわち、治療費、逸失利益、慰謝料といった費目について個別的に算定すべきであって、包括請求は許されない旨主張する。

なるほど、右の如き請求は、個別積算による損害額算定の方式からすると、その算定の根拠が曖昧で、恣意的になる危険もあるといえる。しかし、従来の個別積算による損害額算定の方式も、損害額算定の一つの法技術に過ぎず、唯一絶対のものというほどのものでもない。一見客観的かつ合理的であるかに見えて、これも現に慰謝料の補完作用が行われていることを考慮すると、結局個別積算で満たされない損害を補って、総額としての損害額の社会的妥当性を図っているものと解される。

原告らの請求が全部請求であり、後日、別訴により残額の請求をすることが許されないことは前示のとおりであり、かつ、本件疾病のごとく発症以来長期間継続する症状の経過は必ずしも一様ではなく、被害は物心各種多方面にわたっており、これらすべての被害を個別に細分しないで、固有の意味の精神的損害に対する慰謝料、休業損害、逸失利益等の財産的損害を含めたものを包括し、これを包括慰謝料として、その限度に応じ社会観念上妥当な範囲内で損害額をある程度区分定額化して算出することも充分合理的で、法律上許されるものと解され、このような意味で包括請求もこれを否定すべき理由はない。特に本件のごとく類似被害の多発している事案においては、右のごとき請求をなす必要があるのみか、むしろ、このような方法での損害額の算定には、公平で、実体にも即しており、より合理性が認められるものといえる。

四一律請求について

原告らは、死亡者、公健法による等級別及び成人か未成年者かの区分にしたがって四類型に分け、その類型の該当する者ごとに一律の損害額の賠償請求をしている。

原告らの被った損害については、疾病の内容、程度など被害の内容が、被害者ごとに異なるものであり、被害者ごとの個別的事情を考慮して算定されるべきものである。しかし、原告らが、原告らが被った損害につき、その態様にしたがって類型化して、それに応じた損害額を算定して一律に請求することは、何ら違法なものではない。

ただ、当裁判所としては、原告らが被った損害額を算定するにあたり、原告らの一律請求に拘束されるものではないから、各人ごとの個別的事情を考慮して損害額を算定することとする。

五その他

1 原告らの損害額の算定にあたっては、各人ごとの個別的事情を考慮すべきところ、その事情の主なものは、罹患した疾病の種類、症状の程度及びその推移、入通院期間、発症後の期間、疾病の発症及び増悪に影響を及ぼした原因、年齢、職歴、他疾患の有無、死亡原因等である。

2 ところで、立証不充分による不利益は原告らにおいて甘受すべきであることは前示のとおりであるところ、原告ら本人及び近親者の供述、陳述書、陳述録取書の各供述内容も、診断証明書(あるいは診断書)、前掲公健法に基づく認定証明書等と齟齬する部分が多々あり、少なくとも、発症時期、初診日、入院歴については、右供述内容のみによって確定することはできず、第三分冊では、これを確定できない者については、「不詳」とし、初診日に関しては診断証明書(あるいは診断書)によって認められる年月日を括弧書で記載することとする。そして、損害額の算定にあたっては、公害病の認定時期あるいは右初診日のうち、遅くともその時期の早い日ころに発症したものとして取り扱うこととする。

第二損益相殺

原告らは、公健法の認定患者であって、その認定等級に応じて、公健法・大阪市規則の定めるところにより各種の補償給付を受けたことは前示のとおりである。そして、原告らは、精神的損害に対する慰謝料のほか、休業損害及び逸失利益等の財産的損害に対する賠償を含めた包括慰謝料を請求しているものであるから、公健法等による給付のうち、補償一時金(過去分補償)、障害補償費、児童補償手当、遺族補償費、遺族補償一時金、遺族補償金は、右の損害を補填するものに当たるものと解される。

したがって、原告らに生じた損害は、右の各給付の限度において補填されたものというべく、原告らの損害賠償額からこれを控除すべきである。

第三個別的損害

一損害額

原告ら各人の個別事情は第三分冊記載のとおりである。

右各事情その他の事情を考慮すれば、原告らの本件口頭弁論終結日である平成二年四月一八日までに生じた各損害総額は別紙損害額表の損害額欄記載のとおりとなる。なお、亡鎌倉時子、亡矢上ウメ、亡小角岩一及び亡西田ミネは、本件疾病によって死亡したものではないので、右被害者に関する損害額算定に当たってはこれを考慮しない。そして、右各金額から補償金(同表給付額欄記載の金額)を控除すれば、その残額は同表残額欄記載のとおりとなり、したがって、原告塚口アキエ、同今川末四、同今川三次、同江島勝美、同坂口正雄、同石川タミ及び同小笠原只吉については、その損害はすべて填補されたこととなる。

二被告企業の負担額

被告企業の西淀川地域の大気汚染に対する寄与割合は、前示のとおり、昭和四五年までが五割、それ以降昭和四八年までが三割五分、それ以降が二割であり、被告企業は右寄与割合にしたがって右損害を負担すべきところ、暴露期間や前示発症時期についての取扱い等を考慮して、被告企業の負担割合は、昭和四六年中までに発症として取り扱った原告らについては右の五割、それ以降昭和四九年中までに発症として取り扱った原告らについては右の三割五分、それ以降に発症として取り扱った原告らについては右の二割の各割合とする。

そこで、前項算定の残額を基礎に右各割合にしたがって算定すれば、被告企業が負担すべき額は、別紙損害額表の被告負担額欄記載のとおりとなる。

なお、被告神戸製鋼は、尼崎製鉄所での操業を昭和六二年九月をもって中止しているが、その後本件口頭弁論終結日までの期間は、約二年半であり、原告らの疾病が同被告の長期にわたる汚染物質の排出により発症したものであり、その健康被害も一〇年を超える長期にわたっていることに照らせば、右短期間の操業中止をもって、同被告の負担額を軽減するまでの必要はないものと解する。

三日本硝子に対する更生債権の額

原告らは、更生裁判所に対して、本件訴えが提起された昭和五三年四月二〇日までに生じた損害金について更生債権の届出をしたものであり、本件においても被告更生会社日本硝子管財人との間では右の範囲において更生債権の確定を求めているから、被告更生会社日本硝子管財人に対する請求については、前項の損害額の内、右期日までに生じた損害額を確定することとなる。そこで、右損害額については、次の方法により算定することとする。

死亡者を除くその余の原告らについては、前項の被告企業負担額を基礎として、本件疾病発症から本件口頭弁論終結日までの期間に対する本件疾病発症から本件訴え提起までの期間の割合にしたがって算定した金額を日本硝子に対する更生債権とする。

死亡した被害者の内、亡野村光雄は、本件訴え提起前に死亡し、その損害額全額につき更生債権の届出をしているから、同人にかかる更生債権は、前項算定の被告企業負担額全額となる。死亡した被害者の内、その死亡が本件疾病に起因しない亡鎌倉時子、亡小角岩一及び亡西田ミネにかかる更生債権は、前項の被告企業負担額を基礎として、本件疾病発症から各死亡日までの期間に対する本件疾病発症から本件訴え提起までの期間の割合にしたがって算定した金額とする。死亡した被害者の内、その余の者の更生債権は、七項で算定した損害総額から死亡による損害額相当額(亡三好澄子については金二八〇〇万円、亡吉本孝については、金四三〇〇万円、亡岡前敏雄については金一〇〇〇万円、その余の者については各金二〇〇〇万円)を控除した金額から、支給を受けた補償金から死亡に起因する遺族補償金、遺族補償一時金及び葬祭費を控除した金額を控除し、その残額を基礎として、二項のとおりの寄与割合にしたがって算定し、その金額を基礎として、本件疾病発症から各死亡日までの期間に対する本件疾病発症から本件訴え提起までの期間の割合にしたがって算定した金額とする。右算定方法により算定した更生債権の額は、別紙損害額表<略>の更生債権額欄記載のとおりとなり、亡今井イクエにかかる更生債権は、填補されたこととなる。

四弁護士費用

原告らが、原告ら訴訟代理人弁護士らに対し本件訴訟の提起及び遂行を委任し、原告ら訴訟代理人弁護士らがこれを受任して訴訟手続を遂行したことは、訴訟上明らかである。

原告らが、被告らに対し本件不法行為と相当因果関係のある損害として賠償を求めうる弁護士費用は、各認容額の約一割に相当する額の限度で相当と認める。

五個別損害総額

そこで、右弁護士費用を加えた損害額は、別紙損害額計算表記載<略>のとおりとなり、被告更生会社日本硝子管財人を除くその余の被告企業については、同表損害総額欄記載のとおりであり、日本硝子に対する更生債権の額は同表更生債権総額欄記載<略>のとおりとなる。

そして、死亡した患者の内、相続人が複数の原告につき、その相続分にしたがって算定すれば、別紙認容債権一覧表<略>記載のとおりとなる。

第四消滅時効

一不法行為による損害賠償の請求は、被害者またはその法定代理人が損害及び加害者を知りたる時より三年間これを行わざるときは時効により消滅する旨定めており(民法七二四条)、大気汚染防止法二五条の四も、右同趣旨の規定を定めている。

二原告らは、昭和五三年四月二〇日に被告らが排出する大気汚染物質により健康被害を受けたとして、その損害賠償を求めて本件訴えを提起した。

その後、亡中野マツエ及び亡中尾郁子及び早川健三を除くその余の原告らが平成元年六月五日に、早川健三が平成元年八月三〇日に、亡中野マツエ及び亡中尾郁子の相続人が平成元年一二月一日に、それぞれ、被告日本硝子株式会社更生管財人岸星一を除くその余の被告らに対して、請求の趣旨第三項記載の支払いを求めて請求の拡張をした。

その要旨は、亡實藤雍徳、亡三好澄子、亡前野朝男、亡吉本孝、亡萬野正吉、亡岡前敏雄、亡前田他七、亡今井庄次郎、亡山田千恵子、亡寺脇千代子、亡南竹照代、亡黒田利春、亡寺井春枝、亡今井イクエ、亡松本成人、亡大島義夫、亡網城千佳子、亡西尾ヨシ及び亡野村光雄の相続人である原告らについては、発症時から死亡までに被った一切の損害および死亡によって被った一切の損害の内金であるとして、亡鎌倉時子、亡矢上梅枝、亡島田賢吉、亡小角岩一、亡西田みね及び亡永野猛則の相続人である原告らについては、発症時から死亡までに被った一切の損害の内金であるとして、その余の原告らは、発症時から口頭弁論終結時までの一切の損害の内金を請求するというものである。

三被告らは、原告らが特別措置法あるいは公健法に基づく公害病の認定を受けた日に、病名、病因、発症時から認定時までの間に生じた損害及び損害賠償を請求すべき相手につき改めて確たる認識を持ち、同時に、将来にわたりその損害が日々継続することを基本的に予見するに至ったから、認定時までの損害は認定の日から、それ以後の日々発生した損害はその発生の日から消滅時効は進行し、本訴提起日である昭和五三年四月二〇日から三年以前(昭和五〇年四月二〇日以前及び前記請求拡張の日から三年以前)の各損害賠償請求権については、民法七二四条前段の消滅時効が完成している旨主張する。特に、亡西尾ヨシ及び亡野村光雄両名の相続人である原告らの請求については、本件訴が提起されたのが、右両名が死亡した日から三年を経過した後であるから、全額について消滅時効が完成している旨主張する。

四ところで、本件の如きいわゆる大気汚染公害による損害についてみると、原告らの損害は、被告らの汚染物質の排出という侵害行為によってもたらされた本件疾病の発症、症状の継続、増悪という健康被害に基づくものである。被告らは、各事業所の操業により右侵害行為を継続してきたものであり、他方、原告らの健康被害は、今もなお継続しており(但し、死亡者については死亡の日まで)、このような健康被害に基づく損害は、包括して一個の損害と見るべきものであると解され、その間、消滅時効は進行しないものと解される。

五被告らは、原告らが特別措置法あるいは公健法に基づく公害病の認定を受けた日から消滅時効が進行する旨主張するが、民法七二四条にいう「加害者を知りたるとき」あるいは大気汚染防止法二五条の四にいう「賠償義務者を知ったとき」とは、加害者に対する賠償請求が事実上可能な状況のもとに、その可能な程度にこれを知ったときと解すべきところ(最高裁第二小法廷昭和四八年一一月一六日判決参照)、本件西淀川地域における大気汚染は、南西型汚染と北東型汚染とが競合し、かつ、被告企業らと訴外企業らとが排出する汚染物質によるものであることは前示のとおりであるから、原告らが公害病の認定を受けた事実のみによって、原告らが、自己の被った本件損害についての加害者あるいは賠償義務者が被告企業であることを具体的に知ったものとは認められない。

六しかし、原告らは、遅くとも本件訴訟を提起した昭和五三年四月二〇日の時点においては右加害者あるいは賠償義務者が被告企業であることを認識していたものと認められる。したがって、本件訴訟の提起前に死亡した亡西尾ヨシ及び亡野村光雄両名の相続人である原告らの請求については、本件訴訟提起時である昭和五三年四月二〇日から、また、本件訴訟の提起後に死亡した亡中野マツエ、亡三好澄子、亡前野朝男、亡吉本孝、亡鎌倉時子、亡矢上ウメ、亡岡前敏雄、亡今井庄次郎、亡山田千恵子、亡寺脇千代子、亡南竹照代、亡小角岩一、亡西田ミネ、亡寺井春枝及び亡今井イクエの相続人である原告らの請求については、いずれも死亡の日の翌日からそれぞれ消滅時効が進行するものと解される。

けれども、原告南竹田鶴子を除いては、いずれも認容額が、請求の趣旨拡張前の金額の範囲内であるから、これら原告らの債権については消滅時効により消滅することはない。しかし、亡南竹照代は、昭和五六年八月二日に死亡しており、同人にかかる損害賠償請求債権は、同月三日から消滅時効が進行し、同人の相続人である原告南竹田鶴子が請求拡張の申立てをした平成元年六月五日当時においては消滅時効が完成していることとなり、従って、同原告の債権は、請求拡張前の請求額である金二四〇〇万円を超える部分は消滅時効により消滅しており、同原告については、金二四〇〇万円の限度で認容することとなる。

第六章差止め請求

一原告らの本件差止め請求は、被告国、同公団は、本件各道路を走行の用に供することにより、被告企業は、前記各事業所において操業することにより、原告らの居住地において一定の数値を超える汚染物質を排出してはならないというものである。

訴訟上の請求は、審判の対象であり、被告にとっては最終的な防御の対象となるものであり、また、判決の既判力の客観的範囲を明確にするためのものであり、かつこれに対応する判決がなされた場合は、強制執行にまで至るものである。したがって、請求は、一義的に特定されていなければならない。

原告らの右請求は、一定の結果を生じさせないこと、即ち、被告らが何らかの措置を行うこと(作為)により、原告らの居住地においての汚染濃度を一定の数値以下の状態となること(結果)を求めるものであり、結局、被告らに対して、右何らかの措置、即ち、作為を求めるものに他ならないものと解される。

そして、原告らが求める結果を実現させるための手段としては多数の方法が考えられるところ、右原告らの請求では、被告らにおいて如何なる行為をなすべきか明確でなく、被告らが履行すべき義務の内容が特定されているとはいえない。

したがって、原告らの差止め請求は不適法であるから、却下を免れない。

(裁判長裁判官寺﨑次郎 裁判官渡邊雅文 裁判官田中健治)

別紙 第三分冊

原告番号二(証拠<略>)

一 氏名(生没年・性別)

中野 マツエ (大正三年七月一一日生、昭和五七年四月二三日没)(女)

二 居住歴

徳島県三好郡井内谷村にて出生

昭和一四年八月から徳島市住吉島町に居住

同三三年ころから西淀川区花川町、同区塚本に居住

同五四年七月から約二か月間徳島に居住した後、死亡するまで西淀川区大和田一丁目二番一〇号に居住

三 職業歴

大正一二年から紡績工場(徳島県)、昭和八年から同一三年までダム工事現場(徳島県)、昭和三三年から西淀川区内のプレス工場及び帝国鋳鋼の食堂、昭和三九年から同四六年まで西淀川区内のプレス工場

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四六年二月二日気管支喘息及び肺気腫認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五〇年九月まで気管支喘息及び肺気腫特級

同五〇年一〇月から同五四年九月まで同一級

同五四年一〇月から同五七年四月二三日死亡まで同特級

五 発症時期

昭和四五年暮れころ

初診日

昭和四六年一月一八日姫島病院で受診し、同日千北病院を紹介され即日入院。病名気管支喘息、肺気腫

入院歴

昭和四六年一月一八日から同月二〇日まで

同五〇年一月二〇日から同年二月二八日まで

同五一年八月三〇日から同年一〇月三日まで

同五二年七月一八日から同五四年七月(日不詳)まで

同五四年九月二四日から同五七年四月二三日死亡時まで(西淀病院)

六 病状の経過等

昭和四五年暮ころから咳、痰、喘息発作及び息切れがあり、同四六年千北病院に入院したのを始めとし、前記のとおり入院を繰り返す。同五二年七月一八日から同五四年七月まで入院し、一旦退院して郷里の徳島に戻ったが、発作が止まらず、西淀川区に戻り、同五四年九月から死亡するまで西淀病院に入院した。入院中は、いつもベッドの上に両手を前について体をささえ、前かがみの姿勢でじっとうずくまるようにして座っていた。歩くのも苦しくて、病院内でも歩行器を使って歩いていたが、一〇メートル位歩くのも休まなければならない状態であった。

七 その他

喫煙歴

若い時から昭和四六年ころまで一日一箱程度

原告番号三(証拠<略>)

一 氏名(生没年・性別)

三好澄子 (大正一三年二月四日生、昭和五七年九月二〇日没)(女)

二 居住歴

大阪市西淀川区大野町にて出生

昭和一一年から同四〇年まで西淀川区福町に居住

同四〇年四月から死亡するまで西淀川区大和田二丁目四番一号―三〇六に居住

三 職業歴

昭和一一年から同一四年まで西淀川区内で女中、同一七年から同二〇年まで淀川製鋼所、同三〇年から同三二年まで継手株式会社

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四六年一〇月二二日気管支喘息認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五〇年九月まで気管支喘息一級

同五〇年一〇月から同五二年九月まで同特級

同五二年一〇月から同五五年九月まで同一級

同五五年一〇月から同五七年九月二〇日死亡まで同二級(死亡起因率一〇〇%)

五 発症時期

不詳

初診日

昭和四六年一〇月一四日千北病院

病名・気管支喘息

入院歴

昭和四七年一〇月一八日から約一週間を始めとして、同五〇年九月二七日まで一週間ないし二〇日程度の短期入院七回。同五六年に約三か月、同五七年に約四か月半入院。

六 病状の経過等

昭和四〇年ころから咳、痰及び喘息様発作が出始め、同四八年ころから非常に悪くなった。喘息様発作は、毎日、夜の一時ころから四時ころまでの間に起こり、夜が明けるころにようやく治まる。昭和四七年から前記のとおり入院した。毎日通院しており、昭和五七年九月二〇日、重症発作を起こし、救急車で搬送中に死亡した。

原告番号四(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

山口ヤスノ (大正一〇年三月二八日生)(女)

二 居住歴

愛媛県宇和島市にて出生

昭和一五年三月から大阪市港区呉服町に居住

同二〇年二月から宇和島市に居住

同二八年五月から西淀川区大和田三丁目七番七号に居住

三 職業歴

昭和八年から同一五年まで店員見習、家事手伝い、昭和二八年から同三五年まで電器コード加工内職

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四八年一一月二九日気管支喘息認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五〇年九月まで気管支喘息二級

同五〇年一〇月から同五四年九月まで同一級

同五四年一〇月から現在まで同二級

五 発症時期

昭和三六年二月ころ

初診日

昭和三六年二月ころ、大島橋診療所病名・気管支喘息

入院歴

なし

六 病状の経過等

昭和三五年一一月ころから咳が出るようになり、同三六年二月激しい喘息発作におそわれた。以来、毎年一回は激しい発作が起き、軽い発作は毎日のように、中等度の発作は毎月三〜五回は起こるようになった。中等度の発作が起こると、長い時で一週間から一〇日間、短くても三日間位は続く。発作が起こると、息を吸うのが困難となって、寒い時でも体中汗びっしょりとなり、唇も爪も紫色になってしまう。

原告番号五(証拠<略>)

一 氏名(生没年・性別)

近江善太郎 (大正元年九月一〇日生)(男)

二 居住歴

佐賀県神崎郡城田村字下黒井にて出生

昭和二年四月から大阪市此花区に居住

同一九年五月から和歌山市宇須に居住

同三二年一月大阪市浪速区に転居、火災のため同三三年から西淀川区佃町に居住

同三四年二月から同区大和田に居住

同五三年八月から西淀川区出来島一丁目二番五号―一一三に居住

三 職業歴

大正一四年から昭和二年まで農業(佐賀県)、昭和二年から同一二年八月まで油谷工作所、昭和一二年八月から同一三年三月まで兵役、昭和一九年五月から同三二年二月まで山東鉄工所(和歌山市)、昭和三二年二月から同四三年七月まで竹中鉄工所、昭和四三年七月から同五〇年一一月まで井原製作所でタイヤ製造機械の製作修理工

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四七年一月七日慢性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五〇年九月まで慢性気管支炎一級

同五〇年一〇月から同五一年九月まで同二級

同五一年一〇月から同五三年九月まで同一級

同五三年一〇月から同五七年九月まで同二級

同五七年一〇月から現在まで同三級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(昭和四八年一〇月二日千北病院 病名・慢性気管支炎)

入院歴

なし

六 病状の経過等

昭和四〇年ころから咳と痰が出るようになる。同四四年ころから、年中咳と痰が出るようになり、同四六年ころから同五三年ころまでは、特に症状が重く、咳と痰のため息苦しくなり、時には頭が痛くなることもあった。咳きこんだ時は、顔を真っ赤にし、胸から腹にかけて痛んだ。現在も、咳と痰は季節や昼夜を問わず出ており、息切れは少し改善されたが、一〇〇メートル位歩くと休まねばならない。

七 その他

喫煙歴

昭和一二年ころから一日一〇本程度の喫煙を継続し、昭和四九年慢性気管支炎一級に認定されて、初めて禁煙した。

入院

肺炎で昭和五〇年一〇月二五日から一九日間入院

原告番号六(証拠<略>)

一 氏名(生没年・性別)

辻井博司 (昭和一一年三月八日生)(男)

二 居住歴

西淀川区福町にて出生

昭和四九年から西淀川区大和田五丁目に居住

三 職業歴

昭和二六年四月から同三八年まで家業(干物屋)従事する傍ら金魚行商、昭和三九年から同四四年まで家業(干物屋)に専念

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四五年三月二八日気管支喘息認定

公健法

昭和四九年一〇月から現在まで気管支喘息一級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(昭和四〇年ころ 千北病院)

入院歴

昭和四八年から一年間、同四九年羽曳野病院に一か月、同四九年千北病院に一か月、同五〇年から同五四年まで姫島病院に二〇日ないし三か月三回、昭和五五年二月から昭和六三年一二月まで一九日程度の短期から一七七日の長期まで一一回西淀病院に入院(その他の入院歴は詳細不詳)

六 病状の経過等

昭和四〇年ころから、風邪をひきやすくなると共に、頻繁に咳が出るようになり、喘鳴も激しくなる。同四四年ころから、終日喘鳴があり、身体を動かすと、咳きこみ、息ができなくなる。同四八年千北診療所に一年間入院する。その後も現在に至るまで、前記のとおり入院治療を余儀なくされる。喘息発作が起きた時は、ひどい呼吸困難になる。同六〇年以降、中度ないし重症の喘息発作を繰り返している。

原告番号七(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

佐藤幹夫 (昭和一六年一一月六日 生)(男)

二 居住歴

西淀川区にて出生(戦時中一時徳島へ疎開)

昭和二一年から西淀川区大和田に居住

同二三年から同区千舟東に居住

同四三年暮から西淀川区千舟二丁目一五番三二号に居住

三 職業歴

昭和三二年から同三五年まで高木鉄工所、昭和三五年から同四一年までOM製作所大阪工場で機械工、昭和四二年から同四七年まで三器工業で機械工

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四七年一二月一六日気管支喘息認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五〇年九月まで気管支喘息二級

同五〇年一〇月から同五一年九月まで同一級

同五一年一〇月から同五二年九月まで同二級

同五二年一〇月から同五六年九月まで同一級

同五六年一〇月から平成元年八月まで同二級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(昭和四九年八月一三日西淀病院 病名・気管支喘息)

入院歴

昭和四九年八月一八日から同五〇年一月一八日、同五二年一月二一日から同五四年八月四日、同五四年八月一二日から同月二九日、同五五年八月一六日から同月一八日、同五七年三月二九日から同年九月二九日、同五八年一一月二八日から同五九年一〇月三〇日いずれも西淀病院

六 病状の経過等

昭和四三年一月ころから、連続した咳やしつこい痰が出るようになった。同四四年に最初の発作が起こる。同四九年八月から西淀病院で治療を受けるが、重い喘息発作のため、同年八月一八日から同五〇年一月一八日まで約五か月間入院し、以後同五九年一〇月までに六回の入院を繰り返し、一回の入院期間も長い。同五九年一〇月以降入院はしていないものの、通院治療は続けており「咳嗽、喀痰、喘息発作は四季を問わず」という状態である。

七 その他

既往症

昭和三〇年、肋膜炎で半年間自宅療養

原告番号八(証拠<略>)

一 氏名(生没年・性別)

前野朝男 (明治四四年五月一二日生、昭和五七年一一月六日没)(男)

二 居住歴

大阪市西淀川区にて出生

一時期京都居住、昭和一六年から布施(現・東大阪市)に居住

昭和一八年から満州にて兵役に就き、同二〇年からシベリア抑留

同二二年引き上げ後数か月間和歌山県伊都郡かつらぎ町に居住

その後死亡するまで西淀川区姫島一丁目二番二三号に居住

三 職業歴

大正一三年から昭和三年まで友禅職人(京都)、昭和三年から同四年まで牛馬による荷物運び(大阪)、昭和四年から同七年まで島田硝子、昭和七年から同一五年までセルロイド加工、昭和一八年から同二二年まで兵役、その後同四一年まで東洋印刷でプレス工、昭和四一年から一年間東洋印刷嘱託

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四五年四月一五日慢性気管支炎及び肺気腫認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五一年五月まで慢性気管支炎及び肺気腫一級

同五一年六月から同五七年一一月六日死亡するまで同特級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(昭和四五年四月一三日姫島病院 病名・肺気腫及び慢性気管支炎)

入院歴

昭和五一年五月三日から同年八月まで姫島病院、同病院閉鎖により西淀病院に転院し同年一一月六日死亡するまで入院

六 病状の経過等

昭和四〇年ころから咳や痰が出始め、同四二年ころから、症状が悪化し、夜寝ていても息苦しく、息切れがすることがあった。その後、症状は悪くなる一方で、同五一年五月、自宅で意識不明となり、救急車で姫島病院に入院した。同五四年八月に姫島病院から西淀病院に転院し、同五七年一一月六日の死亡日まで同病院に入院したままであつた。入院中は、トイレに行くこともできなかったり、気を失ったりして重篤な症状であった。

七 その他

喫煙歴

若いころから一日一〇本程度の喫煙を続け、症状の悪化した昭和五三年一二月当時医師に隠れて喫煙を続けた。

原告番号一一(証拠<略>)

一 氏名(生没年・性別)

大戸孝行 (昭和二三年一二月二六日生)(男)

二 居住歴

西淀川区姫島にて出生、昭和五三年五月まで同所に居住

昭和五三年五月から豊中市小曽根に居住

同五五年から大阪市西成区千本北二丁目一八番二五号に居住

三 職業歴

昭和四三年から同四五年一〇月まで国民金融公庫、昭和四五年一〇月から同五五年三月まで広畑海運株式会社、昭和五八年一〇月から同五九年三月まで大阪府職業訓練校、昭和六〇年一月から共和建物管理株式会社

四 公害病の認定状況

公健法

昭和四九年一二月一〇日気管支喘息認定

同五〇年一月から同五二年一二月まで気管支喘息二級

同五三年一月から現在まで同一級

五 発症時期

昭和四八年六月ころ

初診日

昭和四八年六月ころ姫島病院 病名・気管支喘息

入院歴

昭和四九年短期入院二回、同五二年一か月半程度の入院二回、同五三年一回姫島病院に入院、昭和五四年八月から同六一年四月までの間に合計一三回の入院を繰り返す(最短四日間から最長三三八日間)西淀病院。

六 病状の経過等

昭和四八年五月ころ、風邪をひいたのがきっかけで咳がひどくなり、同年六月姫島病院で気管支喘息と診断される。それ以降、二、三か月に一回の割合で喘息発作が起こるようになり、同四九年には姫島病院に二回短期入院し、同五二年には二回、同五三年にも一回入院した。同五四年に西淀病院に移ってから同六一年四月まで、一三回にわたって入退院を繰り返している。喘息発作は、発症以来、四季、時間を問わず起こるようになり、症状は、同五五年から同五八年が特重く、発作により意識不明となり、救急車で病院に運び込まれることがあった。現在は、薬によって大発作への進展を防いでいる状態である。

七 その他

既往症

気管支喘息(昭和二九ないし三〇年)(六歳)

原告番号一二(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

吉本孝 (昭和七年一一月五日生、昭和五四年四月六日没)(男)

二 居住歴

兵庫県尼崎市にて出生

昭和一四年ころから西淀川区姫島五丁目に居住

同四九年から死亡するまで西淀川区姫島一丁目二三番二九号に居住

三 職業歴

昭和二〇年から同三一年まで昭八鉄鋼所で旋盤工、昭和三一年から同三九年まで自動車運転手、昭和三九年から同四〇年まで配送アルバイト、昭和四〇年から同四五年まで自宅で自動車部品製作の内職

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四五年一〇月六日気管支喘息認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五四年四月六日死亡まで気管支喘息一級(死亡起因率一〇〇%)

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(昭和四八年七月二九日姫島診療所 病名・気管支喘息)

入院歴

昭和五四年四月五日から同月六日死亡まで姫島診療所入院(その余の入院歴は不詳)

六 病状の経過等

昭和三二年から風邪をひきやすくなり、同三三年には一週間に一度位の割合で喘息様発作が起こるようになる。同四一年に大発作を起こし、同四五、六年になると一か月に四ないし五回、一週間も続くような大きな発作が起こるようになる。同四七年以降は毎晩夜中に発作が続くようになる。同五四年三月二〇日に大発作を起こし、四月五日に姫島病院に入院したが、呼吸困難となり翌日死亡した。

七その他

他疾患

慢性肝炎

ステロイド剤禁忌の疾患

原告番号一四(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

鎌倉時子 (大正七年七月三日生、昭和五七年六月六日没)(女)

二 居住歴

高知県高岡郡須崎町(現・須崎市上分)にて出生

昭和四一年から死亡するまで西淀川区姫島四丁目五番三号に居住

三 職業歴

昭和二〇年から同四〇年まで四国木材(高知県)、昭和四一年から同四五年まで村上プラスッチック会社

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四八年五月二八日気管支喘息認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五二年八月まで気管支喘息一級

同五二年九月一日慢性気管支炎追加認定

同年九月から同五七年六月六日死亡まで気管支喘息及び慢性気管支炎一級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳

入院歴

昭和五二年一月二三日から同年四月一〇日、同五四年三月一二日から同月二二日(急性気管支炎併発)まで入院。

六 病状の経過等

昭和四四年ころから咳、痰が出るようになった。その後、症状は次第に悪化し、昭和五五年ころからは毎日のように喘息発作を起こすようになる。喘息発作を起こすと、汗びっしょりになり、唇の色は変わり、失禁することもあった。同五二年一月、喘息発作を起こし、呼吸困難となり意識を失って同年四月まで入院した。同五七年六月六日耳鼻科疾患で入院中の県立尼崎病院にて死亡。

七 その他

喫煙歴

若いころ最高一日五本程度喫煙した。

原告番号一五(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

矢上ウメ(通称・梅枝) (大正八年九月一五日生、昭和五三年一〇月二九日没)(女)

二 居住歴

鹿児島県大島郡知名町(沖永良部島)にて出生

昭和三一年から死亡するまで西淀川区姫島五丁目八番三三号に居住

三 職業歴

昭和八年から農業手伝い、昭和三一年から同五三年まで菓子小売業

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四八年二月六日気管支喘息認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五二年八月まで気管支喘息一級

同五二年九月一日慢性気管支炎追加認定

同年九月から同五三年一〇月二九日死亡まで気管支喘息及び慢性気管支炎一級(死亡起因率〇%)

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(昭和四八年八月一日姫島診療所)

入院歴

昭和五三年九月一一日から同年一〇月二九日死亡まで姫島病院入院(併発・クリプトコッカス髄膜炎)。

六 病状の経過等

昭和三六年ころから、咳、痰が出るようになり、風邪を引きやすくなり、同三七年ころから、喘息様発作が起こるようになり、咳、痰も続く。昭和五二年四月からは、重症発作はないものの、咳、痰が続き、また、四、五〇メートル歩くと休まなければならない。同五二年九月には慢性気管支炎も追加認定された。同五三年九月一一日症状悪化のため姫島病院へ入院したが、同年一〇月二九日、クリプトコッカス症で死亡した。

七 その他

他疾患

クリプトコッカス症

原告番号一六(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

真鍋昭夫 (昭和二年一月六日生)(男)

二 居住歴

愛媛県西条市大野にて出生

昭和三〇年から西淀川区御幣島町に居住

同三七年から同姫島に居住

同五一年から西淀川区姫島五丁目一三番八号に居住

三 職業歴

昭和三一年から都島近畿運輸株式会社運転手、昭和三六年から同五七年まで大阪名鉄タクシー運転手、昭和六〇年から喫茶店自営

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四七年四月二四日気管支喘息認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五四年九月まで気管支喘息一級

同五四年一〇月から同五八年一〇月まで同二級

同五八年一一月から現在まで同一級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(姫島診療所)

入院歴

昭和四七年以降多いときには年三・四回入院を繰り返す。

六 病状の経過等

昭和四二年ころから咳、痰が出るようになり、同四五年ころから喘息様発作を起こすようになる。同四七年一月、仕事を終えて社宅にいた時に喘息発作を起こし、会社の同僚が車に乗せて姫島病院に連れて行く。以来入退院を繰り返し、夜中にしょっちゅう発作を起こすようになる。同五八年に大きな発作を起こし、呼吸困難となり、死にかけたが、病院にて四〇分間心臓マッサージをして回復した。

原告番号一七(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

岡前敏雄 (大正七年二月二日生、昭和六一年六月二九日没)(男)

二 居住歴

大阪市西成区にて出生

大正八年から神戸市灘区に居住

昭和三二年から死亡するまで西淀川区福町二丁目四番一〇号に居住

三 職業歴

神戸一中中退後、昭和一二年まで散髪屋見習、昭和一二年から船員、昭和二〇年から看板屋、昭和二五年から同四八年まで看板屋に加えて建築請負業

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四八年九月一一日慢性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五二年八月まで慢性気管支炎一級

同五二年九月一日気管支喘息追加認定

同年九月から同五八年九月まで慢性気管支炎及び気管支喘息一級

同五八年一〇月から同六一年六月二九日死亡まで同二級(死亡起因率五〇%)

五 発症時期

慢性気管支炎・不詳

気管支喘息・昭和五二年ころ

初診日

昭和四八年九月ころ杉浦福町診療所病名・慢性気管支炎

入院歴

昭和五八年一月ころから約四か月、同六一年六月一六日から同月二九日死亡まで名取病院

六 病状の経過等

昭和四〇年ころから年中咳をするようになった。白っぽいねばねばした痰が出て切れないため、いつも吐くような声で、えづいていた。同四八年ころから、症状は悪くなり、喘息様発作も起こるようになる。発作のときは、脂汗が出、チアノーゼで顔全体が紫色となる。同五八年一月から四か月間程重症発作のため入院した。

七 その他

既往症

高血圧症で昭和四六年から四年近く入院、その後も治療継続

喫煙歴

若い時から昭和五五年まで喫煙を続けた、量は不詳(家庭では一日二、三本)

原告番号二〇(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

水谷ハルコ (大正二年三月二〇日生)(女)

二 居住歴

西淀川区福町にて出生

昭和一九年ころから西淀川区福町二丁目一一番四六号に居住

三 職業歴

なし

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四五年三月九日気管支喘息認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五〇年九月まで気管支喘息二級

昭和五〇年一〇月から同五一年九月二日まで同一級

同五一年九月三日慢性気管支炎追加認定

同年九月三日から同五二年九月まで気管支喘息及び慢性気管支炎一級

同五二年一〇月から同五四年九月まで同二級

同五四年一〇月から同五五年九月まで同一級

同五五年一〇月から現在まで同二級

五 発症時期

昭和四三年ころ

初診日

不詳(昭和四九年一月一一日原田医院)

入院歴

不詳

六 病状の経過等

昭和三八年ころから咳、痰が出だした。同四八年ころから同五一年ころまでは、症状が最も重症であり、週に三、四回も喘息発作が起こり、発作中は強い呼吸困難となる。現在でも、喉がヒューヒューという発作が毎日あり、ひどい発作も月に四、五回は起こる。同六三年一一月一六日の西淀川簡易裁判所での原告本人尋問の前夜も、午後一〇時半から発作が起こり夜に医師に来てもらい、午前五時ころまで起きていてその後出廷した。

原告番号二一(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

今井庄次郎 (大正七年六月一八日生、昭和六〇年一一月九日没)(男)

二 居住歴

大阪市西淀川区福町にて出生

昭和一四年ころから終戦まで満州にて兵役に就く

終戦後から死亡するまで西淀川区福町二丁目一三番六号(出生地に同じ)に居住

三 職業歴

昭和一三年まで魚屋、昭和一四年から召集、終戦後から住友プロペラ、昭和二三年から同五〇年まで川魚商大巳

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四八年一二月六日慢性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五二年八月まで慢性気管支炎一級

同五二年九月一日気管支喘息追加認定

同年九月から同五四年九月まで慢性気管支炎及び気管支喘息一級

同五四年一〇月から同五五年八月まで同二級

同五五年九月一日気管支喘息及び肺気腫認定

同年九月から同六〇年一一月九日死亡まで気管支喘息及び肺気腫二級(死亡起因率一〇〇%)

五 発症時期

慢性気管支炎 不詳

気管支喘息 昭和五〇年ころ

肺気腫 昭和五五年八月ころ

初診日

不詳(名取病院)

入院歴

昭和五八年三月ころから同六〇年一一月九日死亡まで名取病院(その余の入院歴は不詳)

六 病状の経過等

昭和四二、三年ころから咳や痰が出る。同四八年ころになると、仕事を休む日が多くなり、同四九年には、毎日咳や痰が出て、全く仕事ができなくなった。同五〇年ころから喘息発作がしばしば起こるようになり、気管支喘息が重症化していった。息切れの症状は、初期はそれ程強くなかったが、次第に重くなり、同五五年ころには、高度の呼吸困難、息切れを訴えるようになった。

七 その他

喫煙歴

昭和一八年ころから同四八年ころまで一日二〇本程度

原告番号二二(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

高田トメノ(昭和五年九月一五日生)(女)

二 居住歴

徳島県阿波郡市場町にて出生

昭和四〇年から西淀川区福町二丁目二五番八号を経て、同二丁目一二番四号―三〇四に居住

三 職業歴

昭和四〇年まで家事専従、農作業、土木作業

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四九年八月二三日慢性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五一年八月三〇日まで慢性気管支炎一級

同五一年八月三一日気管支喘息追加認定

同年八月三一日から現在まで慢性気管支炎及び気管支喘息一級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(昭和四九年八月二三日杉浦福町診療所)

入院歴

不詳

六 病状の経過等

昭和四二年ころから咳、痰が出だし、同四七年ころから喘息様発作も始まる。同五〇年から同五三年ころまでは症状悪化した。喘息発作は毎日のように起こり、発作の持続は数時間から数日に及ぶ。夜に喉がヒューヒューと鳴りだし、呼吸困難となる。喘息発作が起こると、喘息用エアゾルを口に吸入し、布団を高く積んでそれにもたれている。現在も、咳、痰は常時あり、中程度から高度の喘息発作が毎日のように起こり、チアノーゼ、起座呼吸、浮腫気味となり、肺機能の著しい低下がみられ、症状は悪化傾向にある。

原告番号二三(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

山田千恵子 (大正七年六月一〇日生、昭和五九年八月五日没)(女)

二 居住歴

大阪市西区四貫島にて出生

昭和三二年から西淀川区福町二丁目内に居住、同町二丁目三〇番三一号、同二〇番一号を経て、最終住居地西淀川区福町二丁目二〇番一八号に居住

三 職業歴

昭和一四年から同一五年まで砂糖会社、昭和二五年から同二六年まで飲食店自営

昭和二七年から同四二年までパートを転々とする

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四六年五月一〇日気管支喘息認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五二年九月まで気管支喘息特級

同五二年一〇月から同五三年九月まで同一級

同五三年一〇月から同五四年四月まで同二級

同五四年五月から同五五年四月まで同一級

同五五年五月から同五九年八月五日死亡まで同二級(死亡起因率一〇〇%)

五 発症時期

昭和四六年四月ころ

初診日

不詳(昭和四七年九月一日杉浦福町診療所 病名・気管支喘息)

入院歴

昭和五八年五月ころから同五九年八月五日死亡まで名取病院

六 病状の経過等

昭和三五年ころからゼーゼーというようになり、同四二年ころから喘息様発作で仕事もできなくなった。発作が起こると、一晩中眠れず、苦しさに失禁することもあった。同四八年ころ症状が重く、重症発作がしばしば起こる。喘息発作のため体重も、同三五年ころは七三キロあったが、同四四年には五〇キロになった。同五八年五月ころ、喘息持続状態となり名取病院に入院。入院中は寝たきりで尿は管を通していたが、同五九年八月五日死亡した。

原告番号二四(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

寺脇チヨ子 (大正三年一一月二六日生、昭和五四年三月二三日没)(女)

二 居住歴

兵庫県川西市戸内にて出生

昭和一四年から死亡するまで西淀川区大野三丁目四番一三号に居住

三 職業歴

なし

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四五年三月四日気管支喘息認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五〇年九月まで気管支喘息二級

同五〇年一〇月から同五二年九月まで同特級

同五二年一〇月から同五四年三月二三日死亡まで同一級(死亡起因率一〇〇%)

五 発症時期

昭和四五年二月ころ

初診日

不詳(昭和四九年九月二日原田医院・福診療所 病名・気管支喘息)

入院歴

なし

六 病状の経過等

昭和三七年ころから、咳、痰が頻繁に出るようになり、おなかの底から「エヘン、エヘン」という咳を、うつむいて背中を丸くしたような感じでするようになった。同四五年ころには、症状がひどくなり、深夜に、咳をしながら起きあがって、座って背中を丸くして、おなかの底から力を入れるような声で咳き、顔は真っ赤になって、息がつまるような状態となる。同四九年以降は、咳と咳との間隔も縮まり、咳の回数も増えた。平地で五〇メートルも歩けば息切れがする状態であった。同五四年三月二三日喘息発作を起こし、病院に運び込まれたが死亡した。

原告番号二五(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

寺脇輝芳 (昭和一〇年二月一一日生)(男)

二 居住歴

西淀川区大野三丁目四番一四号にて出生、以来、同所に居住

三 職業歴

昭和二二年三月から同四一年五月まで鳶職、昭和四一年五月から土木作業員、昭和四二年から鳶職(週1.2回)、昭和四七年から同四八年まで伊藤梱包、昭和六一年一二月からビル清掃

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四九年三月五日慢性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五〇年九月まで慢性気管支炎一級

同五〇年一〇月から同五一年七月五日まで同二級

同五一年七月六日気管支喘息追加認定

同年七月六日から同年九月まで慢性気管支炎及び気管支喘息二級

同年一〇月から同六一年九月まで同一級

同六一年一〇月から現在まで同二級

五 発症時期

慢性気管支炎 不詳

気管支喘息 昭和五一年ころ

初診日

昭和四八年(日不詳)杉浦福町診療所 病名・慢性気管支炎

入院歴

不詳

六 病状の経過等

昭和三七年二月ころから咳、痰がよく出るようになる。同五〇年ころから、喘息様発作も起こり、冬は少なくとも月一回は出るようになる。発作の時は、息がつまりそうになり、冷や汗が出て唇が紫色になる。階段は、手すりがないとしんどくて登れないこともあり、着物を着脱するのも息が切れ、風呂も冬は週一回しか入れない。同五〇年以降、咳、痰及び喘息発作のため、毎日通院している。

七 その他

喫煙歴

昭和二九年四月から同五八年三月まで一日一二・三本、発病後は一日一〇本程度喫煙

原告番号二六(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

早川健三 (昭和二年二月一八日生)(男)

二 居住歴

西淀川区大野三丁目七番一〇号にて出生、以来、同所に居住

三 職業歴

昭和一九年から消防士、昭和二〇年から旋盤工として転々とする、昭和五五年ころから旋盤工

四 公害病の認定状況

公健法

昭和五〇年三月五日慢性気管支炎認定

同五〇年四月から同五一年三月三日まで慢性気管支炎二級

同五一年三月四日気管支喘息追加認定

同年三月四日から同月末まで慢性気管支炎及び気管支喘息二級

同年四月から同五四年三月まで同一級

同五四年四月から同五五年三月まで同二級

同五五年四月から現在まで同三級

五 発症時期

慢性気管支炎 不詳

気管支喘息 昭和五〇年一一月ころ

初診日

不詳(昭和五〇年三月ころ姫島診療所 病名・慢性気管支炎)

入院歴

なし

六 病状の経過等

昭和四二、三年ころ、風邪をひきやすくなり、咳、痰が出てなかなか治まらなくなった。同四九年ころになると、咳や痰がとりわけひどくなり、痰が喉につまるようになり、階段を登る時も息切れがするようになった。同五〇年ころから喘息発作も起こるようになり、発作が起こると、息が吸えず、吐く息ばかりになってしまい、苦しくて寝られない。最も症状の重かったのは、同五一年から同五四年位で、病院に一日四回位行ったこともある。現在は、少しはよくなっているが、咳、痰は毎日のように出て、喘息発作もよく起こる。

七 その他

喫煙歴

昭和二〇年ころから同五〇年まで一日一〇本位、多いときで一五本喫煙、しばらく中断して、この二・三年医師に止められているが一日五本程度喫煙。

原告番号二七(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

山木トモエ (大正一五年四月一二日生)(女)

二 居住歴

愛媛県北宇和郡二名村波岡にて出生

昭和二九年一二月から西淀川区福町に居住

同三八年ころから同区百島一丁目一番地二〇号に居住

同五三年から西淀川区福町二丁目七番一号―三〇四に居住

三 職業歴

昭和四二年から同四七年までパート

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四九年二月一五日慢性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五一年九月二日まで慢性気管支炎一級

同五一年九月三日気管支喘息追加認定

同年九月三日から同五二年八月まで慢性気管支炎及び気管支喘息一級

同五二年九月から同五三年九月まで慢性気管支炎一級

同五三年一〇月から同五四年七月二四日まで同二級

同五四年七月二五日から現在まで慢性気管支炎及び気管支喘息二級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(昭和四九年一〇月ころ姫島診療所)

入院歴

不詳

六 病状の経過等

昭和三七年から風邪のような症状が続き、同三八年からは咳と痰が常時出るようになった。同四八年には救急車で病院に運ばれることが何度か生じる。同五一年ころから、喉がヒューヒューと鳴るようになり、喘息発作も起こるようになる。痰のからんだ咳が常時出て、痰は粘りがあり喉につまってなかなか取れない。喘息発作は、同五一年ころから現在まで、一日おき位に起こっている。通院は毎日しており、入院した回数は数えきれない。

原告番号二九(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

南竹照代 (昭和三一年一〇月二八日生、昭和五六年八月二日没)(女)

二 居住歴

鹿児島県串木野市にて出生

昭和三四年から同県国分市に居住

同三七年から西淀川区大和田に居住

同四五年から死亡するまで西淀川区佃二丁目二番一〇号―一〇四に居住

三 職業歴

なし

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四五年三月九日気管支喘息認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五一年九月まで気管支喘息一級

同五一年一〇月から同五三年九月まで同特級

同五三年一〇月から同五六年八月二日死亡まで同一級

五 発症時期

昭和四三年ころ

初診日

不詳(昭和四七年八月七日千船病院病名・気管支喘息)

入院歴

不詳

六 病状の経過等

西淀川区に転居後一年程たったころから、ヒューヒューというような息をする喘息様発作が起こるようになった。そして、だんだん悪化し、同四〇年ころには、発作がよく起こるようになった。中学生の間は、入退院を繰り返していたが、高校に入ったころからは、ほとんど病院生活ばかりで、一年間に二五〇日以上は入院していた。発作が起こると、重い時は注射を打っても治まらず、二、三日あるいは一週間と続くこともたびたびであった。唇は紫色になり、食べた物を全部吐いてしまい、体は緊張してカチカチになる。同四七年ころから、両側に気胸を起こすようになる。同五六年八月二日死亡まで病院で闘病生活に明け暮れ、若い生命を終えた。

原告番号三〇(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

村上武男 (大正七年六月二五日生)(男)

二 居住歴

香川県大川郡にて出生

昭和九年から大阪市港区、同一四年から香川県丸亀市、同一七年から大阪市港区、

同二一年から同市生野区に居住

同四四年一〇月から西淀川区佃三丁目二番二六号に居住

同六一年四月から箕面市に居住(住民票は移動せず)

三 職業歴

昭和九年から丸十商工本店、昭和一四年から同一七年まで兵役、昭和一七年から同二〇年まで丸十商工本店、昭和二一年から縫工所自営、昭和四四年から同四七年まで飲食店手伝い

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四七年一二月一二日気管支喘息認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五一年八月一七日まで気管支喘息一級

同五一年八月一八日肺気腫追加認定

同年八月一八日から同五五年八月まで気管支喘息及び肺気腫一級

同五五年九月一日慢性気管支炎追加認定

同年九月から同五七年九月まで気管支喘息、肺気腫及び慢性気管支炎一級

同五七年一〇月から現在まで同二級

五 発症時期

気管支喘息 昭和四七年ころ

肺気腫 昭和五六年ころ

初診日

昭和四七年一二月一日千北診療所

病名・気管支喘息

入院歴

昭和四八年九月一九日から同五五年まで、短期三日間から長期四か月間の入院一五回、その後も入退院を繰り返す。

六 病状の経過等

昭和四七年秋、咳がひどく出て、息ができなくなる。その後、喘息発作のため飲食店の仕事もできなくなり、症状は悪化した。同五一年には、肺気腫の追加認定を受け重症化し、咳は一年中休みなく出、発作時は、息ができなくなり、胸が苦しく酸欠様状態となって、意識がうすくなる。歩行は、普通の人のペースでは二〇メートルも歩くことができない。入院歴は、数えきれない位あり、毎年冬になると症状が悪化し入院する。入院以外に通院は毎日であり、現在は、箕面市内に一人で住んで、西淀川区内の千船病院に通院しており、西淀川区の家には妻が住んでいるが、階段を登るのがしんどいので、いつもメモ用紙を入口にはさんでいる。

七 その他

喫煙歴

昭和一四年ころから同五〇年ころまで多いとき日に七、八本

原告番号三三(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

小角岩一 (昭和九年五月二日生、昭和六二年三月一九日没)(男)

二 居住歴

吹田市にて出生、昭和一六年ころから守口市、同二七年ころから西淀川区姫島、同四一年ころから同区姫里に居住

同四四年七月ころから死亡するまで西淀川区中島一丁目一〇番二号―二〇三に居住

三 職業歴

昭和二二年から昆布商手伝、昭和三〇年からトラック運転手、昭和三五年から古川商店、昭和三八年から同四〇年ころまで名鉄タクシー運転手、昭和四〇年末から同四一年一月まで長距離トラック運転手、昭和四一年一月から同四五年まで廃品回収業

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四五年二月四日慢性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五〇年九月まで慢性気管支炎二級

同五〇年一〇月一日気管支喘息追加認定

同年一〇月から同五一年一一月まで慢性気管支炎及び気管支喘息二級

同五一年一二月から同五六年一一月まで同一級

同五六年一二月から同五七年一〇月一七日まで同二級

同五七年一〇月一八日から同五八年八月まで気管支喘息二級

同五八年九月から同六二年三月一九日死亡まで気管支喘息及び慢性気管支炎二級(死亡起因率〇%)

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(昭和四五年一二月二日若杉診療所)

入院歴

昭和五〇年一一月二〇日千北病院、同五二年一〇月一二日から同五三年三月一六日まで千船病院、同五六年三月二九日から同五九年二月二八日まで中津済生会病院

六 病状の経過等

昭和三九年ころから咳と痰が出始め、同四四年ころには症状が一層ひどくなった。ねばっこく白い痰が毎日出る。咳も、昼夜を問わず出て、一旦出たら一時間位止まらないようなひどい咳の症状が一週間に一度位の割合で起こった。同五一、五二年ころには、二、三日おきにひどい喘息発作に襲われ、同五二年の末ころ、四五日間、毎日昼、夜を問わず、一日何回も喘息発作を起こした。症状がひどくなった時には千北病院などに入院した。平地での歩行は、五〇メートル位歩いたら息切れがして、しんどくて休みたくなる。入院時を除き、ほとんど毎日通院していたが、同六二年三月一九日肝硬変により死亡した。

七 その他

喫煙歴

昭和二九年から同四〇年まで一日一〇本程度

他疾患

肝硬変、糖尿病

原告番号三四(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

坂口ヨシ子 (大正一一年一月二〇日生)(女)

二 居住歴

熊本県荒尾市原万田にて出生

昭和二〇年一二月ころから福岡県筑紫郡春日原に居住

同二五年一二月ころから西淀川区中島一丁目一九番五三号に居住

三 職業歴

昭和一一年ころから鉄道工事、道路工事の人夫仕事、昭和二〇年ころから工事現場での食事係、昭和二五年一二月ころから同四三年ころまで近所の大工の手伝い

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四五年二月六日慢性気管支炎及び肺気腫認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五二年九月まで慢性気管支炎及び肺気腫一級

同五二年一〇月から現在まで同二級

五 発症時期

不詳

初診日

昭和四五年二月四日西淀病院 病名・慢性気管支炎及び肺気腫

入院歴

昭和五八年六月六日から同月三〇日まで

六 病状の経過等

昭和三七年ころから、咳と痰が出始め、風邪をひきやすくなり、よく寝込むようになった。そのうち、息切れが段々ひどくなり、同四三年ころから、激しい息切れのため、階段の登り降りや、道を歩くのもつらくなり、布団の上げ下げもできなくなっていった。ねばねばした白っぽい痰が毎日出る。坂道を登る時には、一〇メートル位歩いたら息苦しくなるので、途中で必ず一休みする。咳が止まらず気を失いそうになり、病院に担ぎ込まれたこともある。入院時以外は毎日通院している。

七 その他

喫煙歴

昭和二二年ころから同四〇年ころまで一日五本程度

原告番号三五(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

西田みね (明治四五年三月二〇日生、昭和五五年一一月一八日没)(女)

二 居住歴

奈良県宇陀郡に出生

大正一〇年ころから大阪市西成区中開に居住

昭和三三年ころから同区梅南通に居住

同三八年五月ころから死亡するまで西淀川区出来島一丁目二番五号―一二五に居住

三 職業歴

昭和二五年から自転車部品製造の町工場、昭和三〇年から同四一年ころまで飲食店で食器洗い、掃除

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四五年五月二六日慢性気管支炎及び肺気腫認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五五年一一月一八日死亡まで慢性気管支炎及び肺気腫一級(死亡起因率〇%)

五 発症時期

不詳

初診日

不詳

入院歴

昭和四八年四月一九日から同年七月一七日まで千北病院、その後再々入退院を繰り返し、同五四年九月二五日から同五五年一一月一八日死亡まで西淀病院

六 病状の経過等

昭和四〇年ころから、時々咳、痰が出るようになり、だんだんその状態がひどくなり、同四二年ころには年中咳と痰を出し、同四五年ころから更に悪化した。一日中咳をして、痰は、ねばねばした喉にからむような痰で、咳が出る時は、うずくまり、顔を真っ赤にして汗をかき、身体全体を揺すって腹の底からうなるような咳をする。歩くのも、人の何倍もかかり、二〇メートル位歩くごとに、膝を折って道端に座り込み、通院することさえ容易でなかった。同五〇年以降は一年の半分以上は病院暮らしで、同五四年九月西淀病院に入院し、翌年の一一月一八日死亡した。

七 その他

喫煙歴

昭和四〇年ころまで一日一〇本位。

死亡原因について

亡西田の死亡診断書には肺気腫が原因となった急性心不全で死亡したと記載されているが、亡西田については遺族補償費が給付されておらず、亡西田の死亡に係る認定疾病の死亡起因率は〇パーセントとされている。認定審査会において亡西田の心電図、レントゲン写真等を調査した結果、亡西田の死因は本件疾病以外の他疾患と認定したことによるものと推認される。

原告番号三六(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

山崎末子 (昭和三年四月六日生)(女)

二 居住歴

西淀川区大和田町にて出生

昭和一四年ころから同区佃に居住

同二四年ころ同区出来島八〇番地に、同三九年ころ同一丁目七番二三号に転居

同五三年ころから同一丁目八番一三号に居住

三 職業歴

昭和一七年四月から山之内製薬、昭和一九年から終戦まで家業の食堂の手伝い、女子挺身隊(半年)

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四六年三月一二日慢性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五〇年九月まで慢性気管支炎一級

同五〇年一〇月から同五一年二月まで同二級

同五一年三月から同五二年二月まで同一級

同五二年三月から現在まで同二級

五 発症時期

不詳

初診日

昭和四六年三月四日千北診療所 病名・慢性気管支炎

入院歴

昭和六三年一〇月一六日から同年一二月一一日まで西淀病院(肺炎)

六 病状の経過等

昭和四〇年ころから、咳、痰が出だし、一週間位続く咳、痰が月一回位あった。同五七年ころから、咳が激しくなり、いわゆる「咳込む」ようになった。咳が三時間位続くこともある。痰は、粘着度が高くて切れにくく、糸を引くようで切れないため、ティッシュペーパーを両手の指に挟んで口の中に持ってゆき、両手を交互に使って痰を手繰るように引っ張り出して取り出したりする。同五〇年二月ころから呼吸困難が起こるようになり、同五七年以降は毎日通院している。息切れのため、通院や買い物のときも休み休み歩く。

七 その他

喫煙歴

昭和二四年ころから同三四年ころまで喫煙

原告番号三七(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

寺井春枝 (大正五年五月二三日生、昭和六三年一二月九日没)(女)

二 居住歴

西淀川区内にて出生

死亡するまで西淀川区御弊島四丁目一七番九号に居住

三 職業歴

昭和二九年から同三九年一〇月までお好み焼屋、昭和三九年から同四六年まで錠前工場手伝い

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四五年二月四日慢性気管支炎及び気管支喘息認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五〇年九月まで慢性気管支炎及び気管支喘息二級

同五〇年一〇月から同五四年九月まで同一級

同五四年一〇月から同六一年八月まで同二級

同六一年九月から同六三年一二月九日死亡まで慢性気管支炎二級(死亡起因率一〇〇%)

五 発症時期

不詳

初診日

昭和四五年二月二日西淀病院 病名・慢性気管支炎及び気管支喘息

入院歴

昭和四七年七月二七日同六三年一二月九日死亡まで西淀病院に一六回

六 病状の経過等

昭和四〇年ころから、咳、痰が出るようになり、喘息様発作も起こるようになる。症状は次第に悪くなり、咳や痰もひどく、痰がたて続けに出、昭和四七年ころからは発作も重症となった。喘息発作が起こると、長い時は二時間位続き、汗が出て唇や爪の色が紫色となる。通院途中、息ができなくなり、妹宅に駆け込み、そこでも呼吸困難のため這いずり回ることもあった。入院は、昭和四七年から死亡するまで一六回も繰り返し、通院は毎月二五回位であり同六三年一二月九日死亡した。

七 その他

直接死因

肺気腫症(発病より死亡までの期間不詳)

原告番号三九(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

中川繁子 (大正五年三月六日生)(女)

二 居住歴

大阪市北区西野田にて出生

大正九年ころから西淀川区福町二丁目に居住

昭和一二年ころから大阪市淀川区中津に居住

同一七、八年ころ、西淀川区福町二丁目の実家に帰るが、台風による家屋流出のため同二五年から同町内の他所に転居

同四〇年四月から同区大和田に居住、同五七年から同区福町二―七一棟二〇三号に居住

三 職業歴

昭和一四年ころまで酒屋に三年間、医者の家に五年間女中奉公、昭和二〇年からグリコで包装作業、昭和三一年ころから同四五年まで失業対策事業

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四五年一一月一六日慢性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五二年八月まで慢性気管支炎二級

同五二年九月一日気管支喘息追加認定

同年九月から現在まで慢性気管支炎及び気管支喘息二級

五 発症時期

不詳

初診日

昭和四五年一一月一四日千北病院

病名・慢性気管支炎及び気管支喘息疑

入院歴

昭和五七年一二月九日から同五八年六月二六日、同年一一月二日から同五九年四月一五日、同年一一月一〇から同六〇年五月一九日、同年一一月一一日から同六一年五月一八日まで千船病院。

六 病状の経過等

昭和三〇年後半から、咳、痰が目立ち始め、息切れがするようになった。同四五年ころから、息切れがひどくなり発作もひどくなったので、千北病院で受診した。発作は、同四五年ころには一〇日に一回位であったが、現在では毎日起きている。坂道や階段を登るのは、息切れのため途中で休むという状態である。同五二年ころからは、毎年一一月ころから五月ころまで入院しており、家に居るのは五か月位である。

七 その他

喫煙歴

昭和三一年ころから同四五年ころまでは一日一二本、その後現在まで一日一・二本

原告番号四一(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

竹内壽美子 (昭和五年七月一七日生)(女)

二 居住歴

貝塚市にて出生

昭和三二年一月から名古屋市に居住

同三六年二月から西淀川区大和田西四丁目一〇番、同九月から同二丁目八三番を経て、同四七年から同四丁目八番一〇号に居住

三 職業歴

昭和二二年から同三一年一二月までユニチカ株式会社、昭和三二年四月から同三五年六月まで平出マグネトー株式会社

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四五年三月二八日慢性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五一年九月まで慢性気管支炎二級

同五一年一〇月から同五二年九月まで同三級

同五二年一〇月から同五四年八月二八日まで同二級

同五四年八月二九日気管支喘息追加認定

同年八月二九日から同五七年九月まで慢性気管支炎及び気管支喘息二級

同五七年一〇月から同五八年九月まで同三級

同五八年一〇月から現在まで同二級

五 発症時期

不詳

初診日

昭和四五年三月二五日千北診療所

入院歴

なし

六 病状の経過等

昭和四二年ころから、しつこい咳と痰に苦しめられるようになった。症状は、次第に悪化し、昭和四七年ころから、喉がピーピーと鳴るようになり、昭和五四年八月ころから、明らかな喘息発作も起こるようになった。同五九年ころから、咳、痰及び息切れが常時見られるようになり、同五九、六〇年は、喘息発作が毎月発生し(月平均七日位)、重症発作も年一、二回程起こるようになった。現在でも、咳、痰は常時あり、軽度から中等度の発作が月平均七日、重症発作が年三、四回起こり、症状は不変である。同四二年ころから常時通院しているが、症状の重い時で月に二五回位、普通の時で月一〇日位通院している。

七 その他

喫煙歴

昭和四八年から同五九年ころまで一日五本程度。

原告番号四三(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

小谷信男 (昭和三一年五月一〇日生)(男)

二 居住歴

西淀川区大和田六丁目一番一九号にて出生

昭和四六年ころから西淀川区大和田六丁目一番二一号に居住

三 職業歴

昭和四七年に二か月間ミシン部品製作会社、昭和五五年一〇月から同五六年八月までスナックのバーテン

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四五年五月一三日気管支喘息認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五五年九月まで気管支喘息二級

同五五年一〇月から同五六年九月まで同三級

同五六年一〇月から昭和六一年八月三一日まで同等級外

同六一年九月非認定

同六二年三月六日気管支喘息認定

同六二年三月六日から現在まで気管支喘息等級外

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(昭和四五年八月ころ千北病院病名・気管支喘息)

入院歴

昭和五二年一〇月ころ三日間千北病院に入院。

六 病状の経過等

小児期に発症。昭和三七年ころ、息をする時に喉がゼイゼイと鳴り、咳や痰が出始めた。同三八年九月ころひどい喘息発作に襲われた。その後、年に二、三回は重い発作が出ていた。発作が起こると軽い時は投薬と通院で何んとか治められることもあった。学校は病気のため欠席が多く、一日の半分以上は休んでいた。現在、喘息治療薬を頻用して発作をコントロールしている状態である。

七 その他

他疾病

胃潰瘍(昭和五六年胃三分の二切除)、膵臓、肝臓の疾患

原告番号四四(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

佐々木近一 (明治四二年七月二二日生)(男)

二 居住歴

愛媛県温泉郡素鵞村にて出生

昭和二一年六月から大阪市福島区下福島に居住

同三六年三月から西淀川区大和田五丁目三番三号―二〇三に居住

三 職業歴

大正一三年四月から郵便局、大正一四年四月から洋服店仕立工、昭和七年四月から洋服仕立販売業、昭和一四年四月から同四〇年七月まで阪神電鉄踏切警士、昭和四一年一月から同四四年七月まで大阪ハイウェイ株式会社

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四五年六月二九日慢性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五七年九月まで慢性気管支炎二級

同五七年一〇月から現在まで同三級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(昭和四五年一一月五日西淀病院 病名・慢性気管支炎)

入院歴

なし

六 病状の経過等

昭和四二年ころから咳、痰症状を自覚し、同四三年ころから、症状が悪化し、月に二、三日勤めを休まなければならなくなった。同四五年ころから、さらに症状がひどくなり、一年中咳と痰が続くようになった。咳、痰は、特に冬の寒い時、曇った日、朝方に多い。痰は、白っぽくねばねばした糸を引くような痰で、喀出が困難なため、喉に手を突っ込んで取ろうとするがそれでも取れないことがある。息切れがひどく、坂道や階段を登る時は何かにつかまらないと登れない。同四五年から、毎日のように通院している。

七 その他

喫煙歴

昭和五年ころから同五四年ころまで一日約二〇本、医師の指示で禁煙した。

他疾病

慢性肝炎(昭和五四年ころ)

原告番号四五(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

蔵元カネ (大正一二年三月一二日生)(女)

二 居住歴

鹿児島県薩摩郡樋脇町にて出生

昭和一六年ころ、一時期薩摩郡上甑島に居住

同三六年から西淀川区姫島一丁目五番一四号に居住

三 職業歴

昭和三六年から稲松病院で家政婦、昭和三九年から同四一年まで株式会社大阪国際梱包で賄い婦

四 公害病の認定状況

公健法

昭和五〇年四月九日慢性気管支炎認定

同五〇年五月から同五四年四月まで同三級

同五四年五月から現在まで同二級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳

入院歴

なし

六 病状の経過等

昭和四六年ころから、咳、痰が出て、やがて息切れをするようになり、同四八年ころから息切れが強くなった。咳込みは日に一回は必ずあり、痰は、ねばねばして糸を引き、痰が切れずに苦しむことがある。発作が起こると失禁、脱便することがあり、生理用品を離せない。息切れがひどく、継続して五〇〜一〇〇メートル位しか歩けない。

七 その他

喫煙歴

昭和二〇年ころから同四六年ころまで一日約一〇本、罹患後から現在まで一日二・三本

原告番号四六(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

小宮路清盛 (大正六年一月五日生)(男)

二 居住歴

鹿児島県姶良郡にて出生

昭和二八年ころから西淀川区姫島一丁目七番八号に居住

三 職業歴

昭和八年四月から洋服屋、酒造所で見習、昭和一一年から旋盤工、昭和二八年から同五六年まで鉄工所自営

四 公害病の認定状況

公健法

昭和五一年二月二七日慢性気管支炎認定

同五一年三月から同五二年一月二五日まで慢性気管支炎二級

同五二年一月二六日気管支喘息追加認定

同年一月二六日から同五三年二月まで慢性気管支炎及び気管支喘息二級

同五三年三月から平成元年二月まで同一級

平成元年三月から現在まで同二級

五 発症時期

昭和五一年一月ころ

初診日

昭和五一年二月二七日姫島病院 病名・慢性気管支炎

入院歴

昭和五二年秋、同五四年七月姫島病院

同五五年二月以降西淀病院に一一回入院

同六一年七月一六日から同年九月ころまで西淀病院(その後は不詳)

六 病状の経過等

昭和四七年冬、感冒後、良くならずに経過。同四九年ころから、毎日咳、痰が出るようになり、また同五一年一月ころから喘息発作も起こるようになった。喘息発作が起こると横になれず、ずっとベッドに座ったままの状態で点滴を受けたりする。長い時は、三〇日間位ずっと座りっぱなしの時もあった。入院時以外は毎日通院している。

七 その他

喫煙歴

昭和一二年から同五四年ころまで一日一〇ないし二〇本

原告番号四八(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

吉村ツル代こと吉村ツルヨ(大正九年一〇月一一日生)(女)

二 居住歴

島根県邑智郡にて出生

昭和三七年から西淀川区に居住

同四七年ころ大阪市天王寺区桑津に一年間ほど居住するが、同四八年には西淀川区に戻り、同六二年七月から西淀川区姫島一丁目一二番一号に居住

三 職業歴

昭和九年から同三七年まで農業手伝い

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四八年五月七日慢性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五〇年九月まで慢性気管支炎一級

同五〇年一〇月から同五四年九月まで同二級

同五四年一〇月から同年一一月一五日まで同三級

同五四年一一月一六日気管支喘息追加認定

同年一一月一六日から同三〇日まで慢性気管支炎及び気管支喘息三級

同年一二月から現在まで同二級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(姫島病院)

入院歴

昭和五四年六月及び同年一〇月に短期入院、昭和五六年二月一二日から同年四月一五日、同五七年四月二一日から同年五月三〇日まで姫島病院に入院

六 病状の経過等

昭和四〇年ころから咳、痰がよく出るようになり、同四二年からはっきり悪化し始め、同四六年ころには、夜中に激しい咳が出て、息切れして眠れない日が続くことがあった。症状は、次第に悪化し、同四七年ころから同五三年ころまでは特にひどい状態であり、年間六〇回位救急車で病院に運ばれたくらいである。同五三年八月ころから喘息発作が始まる。同五四年以降も大発作を繰り返した。通院は、月に二五回位である。

七 その他

喫煙歴

昭和一五年ころから昭和四八年ころまで喫煙

原告番号四九(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

保川スミ子 (昭和二年九月七日生)(女)

二 居住歴

岡山市にて出生

昭和三三年西淀川区姫里に居住

以後同三八、九年ころ枚方市に一年間ほど居住した他は現在まで西淀川区姫里並びに同区姫島に居住

三 職業歴

昭和一七年から同二〇年まで太陽ゴム、昭和四〇年から同四三年までビル清掃婦、昭和四八年から現在までビル清掃婦

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四六年一〇月二六日喘息性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五〇年九月まで喘息性気管支炎一級

同五〇年一〇月から同五一年八月まで同二級

同五一年九月一日慢性気管支炎認定

同年九月から現在まで慢性気管支炎二級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(姫島病院)

入院歴

不詳

六 病状の経過等

昭和三五年ころから、咳が頻繁に出るようになり、痰も出るようになった。同三七年ころから、咳が止まらなくなる。痰がからむような咳が常時出ている状態で何時間も続き、喉元が絞めつけられて息が苦しくなり、顔色や唇の色も真っ青になり、気を失いそうになることもある。痰は、チュウインガムのようで粘く、取っても取っても出る。症状は今でも徐々に悪くなりつつある。

七 その他

喫煙歴

昭和二五年から同六二年まで一日一〇本ないし五本(同三五年から四二年は禁煙した)。

喘息性気管支炎についての判断

原告保川は、昭和四六年一〇月二六日、特別措置法により喘息性気管支炎との認定を受け、昭和五一年九月一日に病名が慢性気管支炎に変更されているが、喘息性気管支炎は小児の呼吸器疾患に用いられる診断用語であって、数種の疾病の総称であることは前示のとおりであり、右認定の症病名に疑問があり、昭和五一年九月一日までの間についての診断書等医学的資料はなく、同日までの疾病は明らかでなく、原告保川が同日までに本件疾病に罹患していたとは認めるに至らない。

原告番号五〇(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

吉野八重子 (大正一四年八月一日生)(女)

二 居住歴

大阪市福島区にて出生

昭和三〇年五月から同四〇年七月まで西淀川区大和田に居住

同四〇年七月から同四四年一〇月まで福岡県に転居

同四四年一一月西淀川区姫島に戻り現在に至る

三 職業歴

昭和一五年から同一九年まで協同火災保険、昭和二七年から古河電工株式会社、昭和二九年から同三〇年まで金井重工業、昭和三二年から同四〇年まで小学校で給食婦

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四五年二月五日気管支喘息認定

公健法

昭和四九年一〇月から現在まで気管支喘息二級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳

入院歴

昭和四五年一月二六日入院し、その後入退院を繰り返し昭和六〇年七月重症発作を来たし同年八月一三日まで入院(姫島病院)

六 病状の経過等

昭和三九年四月ころ、急に咳込みが始まり、引き続き喘息様発作も出始めた。発作は、当初一日に一回であったが、その後回数も増えた。発作の時は、急に咳込んで、息が苦しくなり、顔色も真っ青になり、脂汗が出て、布団を高くしてもたれ、じっと座って耐える。発作は、短い時で三〇分位、長い時で三日位続き、身体も疲れ切り、失禁もしばしばする。これまでに入退院を繰り返し、通院は、多い時で月に二五回、少くて二〇回行っている。

原告番号五一(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

土井笑美子 (昭和一七年一二月二六日生)(女)

二 居住歴

大分県北海部郡にて出生

昭和四三年一〇月から西淀川区姫島に居住

三 職業歴

昭和三八年から同四四年までキスミー化粧品株式会社、現在喫茶店手伝い

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四六年一〇月二五日気管支喘息認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五〇年九月まで気管支喘息二級

同五〇年一〇月から同五一年九月まで同一級

同五一年一〇月から同五二年八月三一日まで同二級

同五二年九月一日慢性気管支炎追加認定

同年九月から現在まで気管支喘息及び慢性気管支炎二級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(姫島病院)

入院歴

なし

六 病状の経過等

昭和四四年ころから、咳、痰が出るようになる。同四五年ころから喘息発作が起こるようになる。発作が起こると、息苦しくなって、首をギュッと絞めつけられたようになり、爪の色も紫がかってくる。窒息するような感じで意識不明になることもしばしばあった。喘息発作が夜間に起こると、とても寝ておれず、座って朝を待つ。昭和五二年ころから、常時、咳、痰が出始め、同年慢性気管支炎と診断された。症状のひどい時はほぼ毎日、現在でも週に三、四回は通院をしている。

原告番号五二(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

山下明 (昭和二〇年九月三〇日生)(男)

二 居住歴

大分県臼杵市にて出生

昭和三六年三月から同四三年五月まで西淀川区姫島に居住し、同月大阪市阿倍野区に転居

同四七年二月西淀川区姫島に戻り現在に至る

三 職業歴

昭和三六年から藤田溶接所、昭和四三年から同四五年三月まで上田建設、昭和四五年八月から泰清工務店、昭和五六年九月から美和産業株式会社

四 公害病の認定状況

公健法

昭和五〇年二月一五日気管支喘息認定

同五〇年三月から同五一年二月まで気管支喘息三級

同五一年三月から同五二年二月まで同二級

同五二年三月から同六二年三月まで同三級

同六二年四月から現在まで同二級

五 発症時期

不詳

初診日

昭和五〇年一月一〇日小林診療所

病名・気管支喘息

入院歴

不詳

六 病状の経過等

昭和四〇年ころから咳が出始め、同四六年四月ころから呼吸困難が起こるようになった。同四七年に西淀川区に戻ってからは、風邪のような症状の出る回数も増え、咳もひどくなる。同四九年ころから、一晩に呼吸困難の発作が二回位起こるようになり、昭和五〇年一月一〇日小林診療所にて受診し、気管支喘息と診断される。喘息発作は、三〇分位の弱いものが一日に一、二回起こり、一時間たっても治まらず病院に行かねばならない強い発作が月に三回位起こる。発作が起こると、喉が絞められたようになり、息を吸うことができず、脂汗が出て、唇が紫色に変わりヒューヒューと喉が鳴る。発作が強いと、嘔吐、失禁をし、爪にチアノーゼを起こすこともある。通院は、月に四回位、多い時は一〇回位行った。

七 その他

他疾患

肺結核(昭和五五年二月から同五六年八月)

原告番号五四(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

松浦つゆ子 (大正一〇年六月一一日生)(女)

二 居住歴

兵庫県川辺郡にて出生

昭和一四年ころから西淀川区姫島に居住

三 職業歴

昭和八年から住み込み手伝い、昭和一四年から同一六年まで紙箱組立工員、昭和三三年から鋳物工場(日本継手)、昭和四一年から同四六年三月まで車輪組立工員(阪神ゴム車輪)

四 公害病の認定状況

公健法

昭和四九年三月一八日、気管支喘息認定

同四九年一〇月から同五〇年九月まで気管支喘息三級

同五〇年一〇月から同五一年九月まで同二級

同五一年一〇月から同五二年九月まで同一級

同五二年一〇月から現在まで同二級

五 発症時期

不詳

初診日

昭和四九年二月二八日徳地医院 病名・気管支喘息

入院歴

なし

六 病状の経過等

昭和三〇年ころから咳や痰が出始め、同四〇年ころからは喘息様発作が月に二、三回起こるようになった。同四九年ころから同五四年ころまでは、毎日のように咳や痰と喘息発作に苦しみ、たまらず同四九年から徳地病院に通院を開始した。喘息発作は三〇分ないし一時間余り続くが、喘息発作が起こると、ヒイヒイと喉を鳴らし、体をそらして空気を吸おうとするが空気は胸に入らずこのまま死ぬのではないかとの恐怖感に襲われる。発作は現在でも月に一〇回くらいは起き、ほぼ毎日通院をしている。

原告番号五五(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

戸田ツルエ (大正八年一〇月二〇日生)(女)

二 居住歴

鹿児島県にて出生

昭和一七年から西淀川区姫里に居住し、姫里内を二度転居した後、西淀川区姫里一丁目三番四一号に居住

三 職業歴

昭和一〇年から織物工、昭和一三年から断続的パート・アルバイト、昭和二三年から拾い屋・野村メッキでパート、昭和三四年から白山鉄鋼所、昭和四一年から同四八年まで自宅で内職

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四九年七月二日慢性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五〇年九月まで慢性気管支炎一級

同五〇年一〇月から同五一年九月まで同二級

同五一年一〇月から同五二年九月まで同三級

同五二年一〇月から現在まで同二級

五 発症時期

昭和四九年ころ

初診日

昭和四九年六月二二日姫島診療所

病名・慢性気管支炎

入院歴

昭和五一年一〇月二一日から同年四月一七日、同五三年一月八日から同年三月二五日、同六〇年一月から二月にかけて五〇日間、同年六月に一四日間

六 病状の経過等

昭和三四年ころから、しばしばひどい咳と痰が出るようになり、息切れも出始め、同四八年ころ、症状が一段と悪化した。咳、痰は、毎日、朝、昼、晩を問わずに出るが、咳が一晩中治まらないこともしばしばで、全く眠れない日もある。痰は、白く粘りがあり、一日に一合位の量が出る。咳込むと、痰が喉に詰まり息を吸うことも吐くこともできず、このような症状は毎日のように起こっている。体を動かすと息切れがし、昭和六二年ころ医師から肺気腫も合併していると言われ、三〇〇メートルを歩くのにも四〇分位かかる。ほぼ毎日通院をし、同五一年から現在まで四回の入院を余儀なくされてきた。

七 その他

他障害

目が悪く、障害年金を受給している。

原告番号五六(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

仁井芳子 (昭和一〇年一〇月一六日生)(女)

二 居住歴

西淀川区福町にて出生、以来、同町内を転々とした後、同四四年ころから西淀川区福町二丁目に居住

三 職業歴

昭和二三年から箱製造会社、昭和三〇年から小川ホック会社、昭和三三年から日東メリヤス(アルバイトで水商売スタンドもする)、昭和四四年から自宅でミシン縫製、昭和五八年から小物や景品作りの手内職、昭和六二年から友達の工場で電線の仕事、たまにミシンの仕事もする

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四八年三月一四日慢性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五一年九月一三日まで慢性気管支炎二級

同五一年九月一四日気管支喘息追加認定

同年九月一四日から現在まで慢性気管支炎及び気管支喘息二級

五 発症時期

不詳

初診日

昭和四八年三月五日千北診療所 病名・慢性気管支炎

入院歴

なし

六 病状の経過等

昭和四二年ころから、咳と痰が出始め、その後、歩くと息苦しく人並みに歩けなくなり、同四四年以降は咳、痰もひどくなる。同五一年ころには喘息発作も起こり始め、喘息発作は、当初、冬期や風邪をひいた時だけに起こったが、次第に季節を問わず年中頻発するようになった。咳も季節を問わずに出、痰は、粘着性があり喉にひっかかり、なかなか取れない。喘息発作が起こると、喉が蓋をされたように息ができなくなり、夜間に喘息発作が起こると、とても寝ておれず、座って吸入をしながら朝を待つ。歩くと息が切れるため、自転車で通院や買物に行く。現在もほぼ毎日のように通院をしている。

原告番号五七(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

大西政一 (大正一三年二月一日生)(男)

二 居住歴

香川県にて出生

昭和二八年から西淀川区福町に居住

三 職業歴

昭和一七年まで大工見習、昭和一七年から徴用工、昭和一九年から住友製鋼所、昭和二〇年から大工(香川県)、昭和二八年から同五五年まで大工建築業(西淀川区)、昭和五五年からインテリア販売店で臨時の店番、昭和五九年から同六一年九月まで新大阪繊維シティ警備員

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四五年六月一〇日慢性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五五年九月まで慢性気管支炎二級

同五五年九月一日気管支喘息に病名変更

同五五年九月一日から同月末まで気管支喘息二級

同五五年一〇月から現在まで気管支喘息三級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(昭和五〇年二月四日杉浦福町診療所 病名・慢性気管支炎)

入院歴

なし

六 病状の経過等

昭和三二年ころから、咳、痰が出始め、以後次第にひどくなった。昭和四〇年ころには喘息様発作も起こるようになり、昭和四五年ころには発作症状がひどくなった。喘息発作は夜間に起こることが多く、喘息発作が起こると、いつも布団を四つに折って、前かがみになってもたれかかる。苦しさのため、汗が出て、息ができず、もだえ苦しむ。発作の程度、回数は、昭和四〇年から同五五年ころまでが一番ひどかったが、同五九年以降も、呼吸困難を伴なう喘息発作が毎月七ないし一〇回あり、チアノーゼ、起座呼吸を伴なう重症発作もみられ、脱水症状を呈することもある。

七 その他

喫煙歴

昭和一七年ころからきざみ煙草を吸い始め、昭和五三年ころまで紙巻煙草一日一五本くらい。

原告番号五八(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

今井イクエ (明治四三年二月六日生、昭和五七年一二月一〇日没))(女)

二 居住歴

西淀川区大和田にて出生

昭和六年結婚して同区福町に移り、以後、死亡するまで同所に居住

三 職業歴

なし

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四五年三月九日喘息性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五〇年九月まで喘息性気管支炎三級

同五〇年一〇月から同五二年八月三〇日まで同二級

同五二年八月三一日気管支喘息に病名変更

同年八月三一日から同五四年九月まで気管支喘息二級

同五四年一〇月から同五七年一二月一〇日死亡まで同一級(死亡起因率一〇〇%)

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(昭和四六年八月三日名取病院)

入院歴

昭和五五年一二月七日名取病院(詳細不詳)(その余の入院歴は不詳)

六 病状の経過等

昭和四〇年ころから咳、痰及び喘鳴が出始めた。重い発作が起こると、苦しくて畳や布団をかきむしるようにのたうち、ヒューヒューと喘鳴がしていた。顔も青くなり失禁をすることも多かった。昭和四六年ころから、発作回数、呼吸困難の程度等が漸次悪化し、昭和五二年夏以降死亡するまでの間、一〇回以上入退院を繰り返した。死亡した年も元旦に救急車で入院をし、一一ヶ月余の入院をした挙句、重症の発作による呼吸困難のため死亡した。

七 その他

合併症

心不全

喘息性気管支炎についての判断

原告今井は、昭和四五年三月九日に喘息性気管支炎の認定を受け、昭和五二年八月三一日に気管支喘息に病名が変更されているが、原告保川についての判断と同様の理由により、昭和五二年八月三〇日までの疾病は明らかでなく、原告今井が同日までに本件疾病に罹患していたとは認めるに至らない。

原告番号五九(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

北村浅男 (昭和六年五月八日生)(男)

二 居住歴

大阪市西淀川区福町にて出生、以来、同所に居住

三 職業歴

昭和二八年まで漁師・鮮魚の行商販売、昭和二八年から建築手伝い・日雇い・建築請負、昭和三八年から同四七年三月まで三共ポンプ株式会社ポンプ据付け作業

四 公害病の認定状況

公健法

昭和五〇年七月一一日慢性気管支炎認定

同五〇年八月から同五三年七月一〇日まで慢性気管支炎二級

同五三年七月一一日気管支喘息追加認定

同年七月一一日から現在まで、慢性気管支炎及び気管支喘息二級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(原田病院)

入院歴

なし

六 病状の経過等

昭和四〇年ころから咳、痰が出始め、同四二、三年ころから、年中、咳、痰が出るようになり、同四三年ころには、発作による呼吸困難が認められるまでになった。痰は、白っぽく、粘りついてなかなか出ない。その後、症状は更に悪化し、咳は常時出て、喀痰も多くなり、呼吸困難とチアノーゼを伴なう重症の発作が月に五、六回起こる。夜間の咳、痰、発作による呼吸困難により睡眠不足となり全身的に衰弱しつつある。

七 その他

合併症

慢性咽喉炎

喫煙歴

一七・八歳から一日一〇本位、昭和四四年からは六・七本、現在は五・六本でふかす程度の喫煙。

原告番号六二(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

平松ナラエ (昭和八年二月五日生)(女)

二 居住歴

徳島県板野郡にて出生

昭和三九年ころから西淀川区福町二丁目一六番七号に居住

三 職業歴

昭和二七年から同三六年まで知り合いの家の手伝い、昭和四九年ころ二か月ほどパート(クーラーのスチロールカバーきせ)

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四八年七月三一日慢性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五〇年九月まで慢性気管支炎三級

同五〇年一〇月から同五三年九月まで同二級

同五三年一〇月から現在まで同三級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(昭和五〇年七月一二日杉浦福町診療所 病名・慢性気管支炎及び気管支喘息)

入院歴

なし

六 病状の経過等

昭和四六年ころから咳、痰が出るようになる。咳は、毎日一〇数回出て、深夜に咳込むと寝ておれない。強い咳は、一〇分位止まらず、脂汗をかく。痰は白く粘着性がある。息切れがし、五〇〇メートル位を歩くのに三、四回休む。喘息発作も起こり、医師より気管支喘息との診断も受けている。

原告番号六三(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

上村泰野 (昭和六年一〇月二日生)(女)

二 居住歴

大阪市西淀川区内にて出生

出生後、昭和二六年ころまで同区内に居住し、その後奈良市に転居

同三七年ころから西淀川区福町二丁目一九番一一号に居住

三 職業歴

昭和三七年から同四一年まで小料理屋で仲居

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四九年七月二日慢性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から同六一年八月三一日まで慢性気管支炎二級

同六一年九月一日気管支喘息追加認定

同年九月一日から現在まで慢性気管支炎及び気管支喘息二級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(昭和四九年七月一二日杉浦福町診療所 病名・慢性気管支炎、気管支喘息)

入院歴

不詳

六 病状の経過等

昭和四〇年ころから、咳が出始め、次第に悪化し、同四七年ころからは、毎日、咳と痰に苦しむようになった。咳は、昼夜を問わず出て、一旦咳込むと一〇分位止まらない。痰は、そのほとんどが白くて粘着性があり、いつも喉にひっかかり、息をするたびにゴロゴロ音がする。昭和五〇年ころから、ひどい喘息様発作が毎日二、三回起こり始め、発作が起こると、喉が締めつけられ息ができず、油汗をかき、ときに失禁をすることもあった。息切れもひどく、三〇〇メートル歩くのに三、四回休まなければならなかった。昭和四九年ころからは、ほぼ毎日通院しており、日によっては二回通院することもある。

原告番号六五(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

高須不二枝 (大正一一年二月一二日生)(女)

二 居住歴

熊本県菊池郡にて出生

昭和三四年から西淀川区福町二丁目に居住

三 職業歴

なし

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四八年三月二二日慢性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五五年八月まで慢性気管支炎二級

同五五年九月一日気管支喘息追加認定

同五五年九月から現在まで慢性気管支炎及び気管支喘息二級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(昭和四八年三月二二日杉浦福町診療所 病名・慢性気管支炎、気管支喘息)

入院歴

なし

六 病状の経過等

昭和四〇年ころから咳と痰が続くようになった。咳、痰は現在も毎日出るが、夜中から早朝がひどい。痰は、白っぽくねばねばして、何度もえづいて出そうとするがなかなか出ない。痰がからまり咳込むと、苦しくて毎日のように失禁をし、下着を濡らして取り替える。昭和四七年ころから喘息様発作も起こり始め、現在は、喘息発作がほぼ毎晩のように起こる。喘息発作が起こると呼吸ができず、前かがみの姿勢で布団にもたれて耐えるしかない。喘息発作は、短かくて二、三〇分、長いと数時間続くことがある。ほぼ毎日通院している。

原告番号六六(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

村上清 (大正一五年二月二五日生)(男)

二 居住歴

大阪市西淀川区福町二丁目にて出生、以来、同所に居住

三 職業歴

昭和一五年から同二〇年八月まで日立造船桜島工場、昭和二一年から同四三年五月まで淀川製鋼所

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四八年五月二五日慢性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五〇年九月まで慢性気管支炎二級

同五〇年一〇月から同五二年九月まで同三級

同五二年一〇月から同五六年九月まで同二級

同五六年一〇月から同五六年一一月まで等級外

同五六年一二月から同五八年一一月まで同二級

同五八年一二月から同五九年一一月まで同三級

同五九年一二月等級外

同六〇年一月から現在まで同三級

五 発症時期

昭和四八年ころ

初診日

不詳(姫島診療所 病名・慢性気管支炎)

入院歴

なし

六 病状の経過等

昭和三〇年ころから、風邪をひきやすくなり、毎日のように咳、痰がでるようになる。同四八年から、咳、痰が頻発するようになり、症状は次第に悪化していく。咳、痰は、朝方が特にひどく、咳込むと顔が真っ赤になり、痰も妻に背中をたたいてもらわなければ出せない。いつも喉の気管のところにもちのように痰がつまっているので息苦しい。腰部障害のため膀胱にしまりがなく、人工膀胱にするまで咳をすると失禁していた。息切れも年とともにひどくなり、現在は松葉杖で二〇メートル歩くのが限度である。二日に一度は通院をしている。

七 その他

他疾患

変形性脊椎症(昭和五七年九月二一日から一二月一一日迄入院手術)

腰痛(昭和四〇年三月から同四七年六月迄尼崎市の関西労災病院に入院し、大手術を受けた)

前立腺肥大(昭和五九年一一月に三週間入院)

原告番号六七(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

武田フサ (明治四二年一一月一日生)(女)

二 居住歴

大阪市西淀川区にて出生

戦前の一時期を除き出生後現在まで同区に居住

三 職業歴

大正一一年から昭和六年まで家業(畳屋)手伝い

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四五年二月一三日気管支喘息認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五〇年九月まで気管支喘息二級

同五〇年一〇月から同五一年九月まで同一級

同五一年一〇月から現在まで同二級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(千船病院 病名・気管支喘息)

入院歴

不詳

六 病状の経過等

昭和四三年ころから、咳、痰が出始め、息をするときに喘鳴がし始めた。同四四年ころから喘息発作が頻発し始め、まもなく月に一〇回は起こるようになった。喘息発作は、夜昼なく起こるが、夜の発作が特に苦しい。喉が息苦しくヒューヒュー鳴り、上体を起こし柱にもたれかかって発作が治まるのを待つ。息切れのため、普通人のようには歩けず、手押車にもたれるようにしてゆっくり歩き、途中で手押車に腰をかけて一休みすることも度々ある。二日に一度は通院している。

原告番号六八(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

海野ハナエ (大正五年九月一八日生)(女)

二 居住歴

大正九年西淀川区大和田に転居し、昭和一三年まで居住

同一九年から同三二年迄再び西淀川区大和田、同三二年から同三五年まで同区佃、同三五年から同六三年まで同区大和田に住居

同六三年七月から同区出来島一丁目三番三―六六号に居住

三 職業歴

昭和一四年から同一九年まで玉子焼屋、昭和三一年から同四二年まで失業対策事業労働者

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四五年一一月一九日慢性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五一年九月まで慢性気管支炎一級

同五一年一〇月から現在まで同二級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(昭和四九年七月一九日千北診療所 病名・慢性気管支炎)

入院歴

昭和五〇年九月六日から同年一〇月末、同五一年六月二三日から同年八月一二日、同五一年一一月一一日から同五二年三月二五日、同五三年一一月一二日から同年一二月末、同五六年五月一八日から同年六月九日入院、昭和五七年ころから入退院を繰り返している。

六 病状の経過等

昭和四〇年ころから風邪をひきやすくなり、同四四年には咳と痰が常時出るようになった。咳、痰は、季節、昼夜を問わずに頻発し、喀痰の困難と激しい咳込みのため、しばしば窒息状態となる。息切れのため、少し歩いては止まり、階段も手すりにつかまりながらゆっくりと登らなければならない。毎日通院し、前記のとおり入院した。

原告番号七〇(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

塚口アキエ (大正八年一〇月一六日生)(女)

二 居住歴

大阪市西淀川区大野三丁目三番一号にて出生、以来同区に居住

三 職業歴

昭和六年から洋裁工場見習、昭和一六年から同四五年まで自宅で洋裁の内職(戦時中から昭和二四年まで中断)

四 公害病の認定状況

公健法

昭和五一年八月一〇日慢性気管支炎認定

同五一年九月から同五二年八月まで同三級

同五二年九月から同五五年八月まで同二級

同五五年九月から現在まで同三級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(姫島診療所)

入院歴

なし

六 病状の経過等

昭和三五年ころから、咳、痰が出始め、その後、徐々に頻発するようになる。咳、痰は、毎日出るが、季節的には冬が、また一日のうちでは朝がひどい。痰はねばっこく糸を引くように出る。痰が取れない時は、喉にへばりついた痰を紙で拭い取る。風邪が引き金になり咳や痰が激しく出ると、二週間ないし一か月間寝込むことになる。毎年一〇月から四月にかけて増悪する。ゆっくりと三〇〇メートル位は歩けるが、それ以上は辛くて歩けない。現在も一か月に二〇日前後通院をしている。

原告番号七二(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

松本成人 (大正四年八月一五日生、昭和五九年八月二八日没)(男)

二 居住歴

広島県にて出生

昭和五年ころから同三〇年まで西淀川区野里に、同三〇年から同区柏里に居住

三 職業歴

昭和五年から昭和三〇年代半ばまで町工場で旋盤工(昭和一八年兵役に行くもすぐ除隊)、昭和四〇年から新聞配達

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四六年一一月一六日慢性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五五年八月まで慢性気管支炎二級

同五五年九月一日気管支喘息追加認定

同年九月から同五九年八月二八日死亡まで慢性気管支炎及び気管支喘息二級(死亡起因率一〇〇%)

五 発症時期

不詳

初診日

昭和四六年ころ柏花診療所 病名・慢性気管支炎

入院歴

昭和五八年五月二〇日から同年一一月二〇日(肺炎併発)、同年一二月二八日から同五九年八月二八日死亡まで西淀病院

六 病状の経過等

昭和四六年ころ、頻発する咳と多量の痰のため、柏花診療所で受診し、慢性気管支炎との診断を受ける。昭和五五年ころから喘息発作が起こるようになった。喘息発作は、特に深夜から明方にかけてよく起こった。普段でも歩くことはままならず、手押車にもたれて一メートル進めば数秒休むという状態であった。晩年は酸素吸入を要し、自力で痰を出すことができず、喉を切開し機械で痰を吸い出していた。昭和五〇年ころまでは月に一〇日位、その後は徐々にふえ、死亡の数年前からほぼ毎日通院をした。入院は二回したが、二回目の入院中に慢性気管支炎に起因する呼吸不全で死亡した。死亡時には、肺気腫、肺性心を続発していた。

七 その他

喫煙歴

昭和一六年ころから昭和三〇年ころまで喫煙した。

原告番号七三(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

大島義夫 (明治四三年一月二九日生、昭和六〇年七月二一日没)(男)

二 居住歴

大阪市此花区にて出生

昭和二四年から西淀川区柏里に居住

三 職業歴

旧制中学卒業時から家業の印刷業(昭和一九年二月から終戦まで兵役)

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四五年一〇月三日気管支喘息認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五三年九月まで気管支喘息二級

同五三年一〇月から同六〇年七月二一日死亡まで同一級(死亡起因率一〇〇%)

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(柏花診療所)

入院歴

不詳(救急車にての入院多数回あり)

六 病状の経過等

昭和四〇年ころから、喘息様発作が起き、同四四年ころには毎晩起こるようになった。発作は、毎晩深夜起こり、呼吸ができず、汗をかき唇は紫色になる。何んとか吸入剤で発作を治めるが、吸入剤が効かない時には、意識を失い、失禁するほどになる。そのような時には、救急車で西淀病院へ運ばれることになる。日中も喘鳴があり、立ったり座ったりすると息苦しくなる。ゆっくりゆっくりしか歩けず、衣服の着脱をするだけでも息が切れた。日曜日を除き毎日通院し、昭和五四年九月から死亡するまでの間、喘息発作を起こして救急車にて西淀病院に入院したことが数回あった。同六〇年七月二一日深夜、大きな喘息発作を起こして意識を失い、救急車で病院に搬送され、春秋会西大阪病院で死亡した。

七 その他

他疾患

胃潰瘍(昭和四九年千北病院で手術)

合併症

ステロイドによる消化管出血

原告番号七四(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

竹下博 (大正八年三月二七日生)(男)

二 居住歴

大阪市福島区にて出生

昭和二〇年一〇月から西淀川区柏里に居住

三 職業歴

昭和九年からメリヤス生地販売、昭和二〇年四月から兵役、昭和二〇年八月からメリヤス生地販売、縫製造、昭和二八年から同五〇年までメリヤス製造工場自営、現在貸しガレージ及び賃貸アパート経営

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四五年二月一日気管支喘息認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五二年九月まで気管支喘息三級

同五二年一〇月から現在まで同二級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(昭和五一年一一月七日大阪中央病院 病名・気管支喘息)

入院歴

不詳

六 病状の経過等

昭和四五年ころから、月に五日ないし七日喘息発作が起こるようになり、その後、喘息発作の回数も増え、夜だけでなく、朝、昼にも起こるようになった。また、一か月以上連日のように発作が起こった。喘息発作が起こると、喉がヒューヒューと鳴って、呼吸ができず、吸入剤も効かず、じっと座って耐えるほかはなかった。現在も、毎日朝方に軽い喘息発作が起こり、また、昼間も喘息発作が起こることがある。体を動かすとすぐに息切れがし、医師から肺気腫と言われている。

原告番号七五(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

今川末四 (明治四〇年三月一日生)(男)

二 居住歴

福井県武生市に出生

昭和一八年ころから西淀川区柏里に居住

三 職業歴

大正六年から紳士服製造業、昭和一一年から紳士服裁断業、昭和一四年から同一六年四月まで今川機械、昭和一八年から今川鋳鋼株式会社、昭和二〇年九月から誘蛾灯製造業、昭和二二年から同四二年二月まで西淀川区役所税務課、昭和四二年一〇月から同五六年一二月まで西淀川区古物商防犯組合連合会及び古金属組合事務長

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四五年七月二七日慢性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五〇年九月まで慢性気管支炎一級

同五〇年一〇月から同五一年一一月まで同二級

同五一年一一月三〇日気管支喘息追加認定

同年一一月三〇日から同五七年九月まで慢性気管支炎及び気管支喘息二級

同五七年一〇月から同五八年一〇月まで同三級

同五八年一一月から現在まで同二級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(昭和五四年八月一三日西淀病院 病名・気管支喘息及び慢性気管支炎)

入院歴

不詳

六 病状の経過等

昭和四三年ころから、咳、痰が出始め、夜間、喘息様発作も起こるようになった。痰は、ねばっこく、なかなか切れず、拭き取ると糸を引く。症状は、昭和四五年から同五〇年にかけてが一番ひどく、咳、痰及び喘鳴が終日出ていた。咳込むと顔が真っ赤になった。夜間、二回位、短くて一〇分位、長くて一時間位の喘息発作が起こり、胸がヒューヒューと鳴り、息ができず、布団を抱いて耐えていた。現在も、咳、痰は一日中あり、喘鳴も常にある。喘息発作も夜によく起こる。約五〇メートル歩くと息切れがする。現在も西淀病院に毎日通院している。

七 その他

他疾患

心疾患(狭心症)、脳梗塞(昭和六三年一〇月に一か月入院)、高血圧、急性肝炎

原告番号七八(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

矢間兼行(大正三年七月二九日生)(男)

二 居住歴

徳島市津田町にて出生

昭和二一年八月から西淀川区柏里、次いで同区花川一丁目一四番二九号に居住

三 職業歴

昭和三年から井村鉄工所で機械仕上工、昭和九年から東出鉄工所で機械仕上工、昭和一〇年から同二一年八月まで三井造船所、昭和二一年一〇月から同五〇年六月までアラヤ工業株式会社で機械修理工

四 公害病の認定状況

公健法

昭和五〇年七月一一日慢性気管支炎認定

同年八月から同五三年七月一〇日まで同二級

同五三年七月一一日気管支喘息追加認定

同年七月一一日から現在まで慢性気管支炎及び気管支喘息二級

四 発症時期

昭和四八年初ころ

五 初診日

昭和四八年柏花診療所 病名・慢性気管支炎

入院歴

なし

六 病状の経過等

昭和四〇年ころから咳、痰が出始め、昭和四七年ころからひどくなった。痰は、白っぽく糸を引き、痰が喉につまると、息もできず、頭がふらふらになり、苦しんで、お茶で嗽をしたりして、やっとの思いで痰を出す。痰がからむと胸のすじが痛くなる。喘息様発作は、昭和四〇年ころから起こり、昭和五〇年代前半が特にひどく、一か月に二、三回起こった。発作は昼間起こることもあるが、夜間に起こることが多く、発作が起こると、喉がヒーヒーゼーゼーと鳴り、呼吸困難になる。この時はうつむいた姿勢で耐える。現在も喉がヒューヒューと鳴る発作がある。同四八年ころからは、一か月に二〇〜二五日通院をしている。同五六年ころからは発作の回数は減少している。

七 その他

喫煙歴

昭和二八年から同四〇年まで一日五本ないし一〇本、その後一日一、二本喫煙。

原告番号七九(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

小塚百合子 (昭和四年八月二九日生)(女)

二 居住歴

大阪市西淀川区野里にて出生

同二〇年六月から同年一二月まで富山県に疎開した以外は現在まで西淀川区野里に居住

三 職業歴

昭和二三年から上野製薬で製品包装、昭和三二年から粧美堂で化粧品包装、昭和三七年から同五六年までクラブホステス兼洗い場係

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四七年六月一九日気管支喘息認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五〇年九月まで気管支喘息二級

同五〇年一〇月から同五一年九月まで同三級

同五一年一〇月から現在まで同二級

五 発症時期

昭和四七年ころ

初診日

昭和四七年四月二四日尾辻病院 病名・気管支喘息

入院歴

昭和五八年一〇月中旬から同年一二月中旬、同五九年一一月初めから同月下旬まで入院(その余の入院歴は不詳)

六 病状の経過等

昭和四七年ころ、気管支喘息を発症した。以後、呼吸困難の喘息発作が次第に頻発し、昭和五八年ころからひどい喘息発作が毎日起こるようになった。喘息発作は夜間に起こることが多い。喘息発作が起こると、喉がヒューヒューと鳴り、息が苦しくなり、汗が出てチアノーゼを起こし、動くことができず、しゃべることもできなくなる。喘息発作は昼も起こることもある。現在も、中程度ないし高度の喘息発作を起こし、毎日通院している。

原告番号八二(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

今川三次 (大正七年一〇月一〇日生)(男)

二 居住歴

香川県仲多度郡にて出生

昭和八年から同一九年二月ころまで西淀川区佃に居住

同二六年から現在まで西淀川区佃三丁目に居住

三 職業歴

昭和八年から大阪機械製作所株式会社工員、昭和三九年から自営さぬき鉄工所

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四六年九月一六日喘息性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五二年八月二六日まで喘息性気管支炎三級

同五二年八月二九日、気管支喘息に認定変更

同五二年八月二九日から同五二年九月まで気管支喘息三級

同五二年一〇月から同五四年九月まで同二級

同五四年一〇月から現在まで同三級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(昭和五一年三月一〇日升川医院 病名・気管支喘息)

入院歴

なし

六 病状の経過等

昭和四五年四月ころから、咳、痰が頻発し、喘息様発作が出始めた。発作のときは、息がつまって呼吸ができない感じになり、横になって寝ておれず、起きて布団の上に座り、枕をかかえて治まるのを待つ。このような発作は、夜中や明け方に起こるが、昼間も咳き込んで息苦しくなる。現在も、喘鳴を伴う咳、痰が続き、喘息発作も月に四、五回程度起こる。昭和五〇年ころには毎日、現在も月一五日前後通院している。

七 その他

既往症

肋膜炎(昭和一三年)

喘息性気管支炎についての判断

原告今川は、昭和四六年九月一六日に喘息性気管支炎の認定を受け、昭和五二年八月二九日に気管支喘息に病名が変更されているが、原告保川についての判断と同様の理由により、昭和五二年八月二八日までの疾病は明らかでなく、原告今川が同日までに本件疾病に罹患していたとは認めるに至らない。

原告番号八三(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

垣野内フミエ (大正四年八月一三日生)(女)

二 居住歴

大分県南海郡にて出生

昭和四二年六月から同五四年八月まで西淀川区佃に居住

その後尼崎居住を経て現在伊丹市に居住

三 職業歴

昭和四年から同一〇年まで家事手伝い、昭和一九年から昭和三五年まで農業

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四七年八月一五日気管支喘息認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五〇年九月まで気管支喘息一級

同五〇年一〇月から現在まで同二級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(昭和四八年五月二一日千北診療所 病名・気管支喘息)

入院歴

昭和四八年八月一七日から同年九月四日まで、昭和五五年八月一九日から同年九月一〇日まで千北病院(その余の入院歴は不詳)

六 病状の経過等

西淀川区に転居して来たばかりの昭和四二年六月ころから、咳が出るようになった。同四六年ころには、ますます咳や痰が出るようになり、ある日入浴中に喘息様発作が起こった。急に胸が苦しくなり、全く動けなくなった。同四七年ころから、月に四〜五回喘息発作が起こるようになり、その後毎日起こるようになった。喘息発作は、夜間一、二時ころに起こり、明け方まで続く。喘息発作が起こると、呼吸ができず、発汗、けいれん、嘔吐もしばしばで、時には失禁をすることもある。正座して身体の前に布団や枕を積んでもたれて治まるのを待つ。通院は月に一五〜二〇回位している。

七 その他

アレルギー体質(アトピー素因)

原告番号八四(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

川久保益生 (昭和八年九月二七日生)(男)

二 居住歴

福岡県嘉穂郡にて出生

昭和三九年一〇月から西淀川区大和田に居住

同四四年七月から同区中島に居住

三 職業歴

昭和二四年からパイプ(傘の骨)の伸管作業、昭和二七年から稲築炭鉱、昭和二八年から土方、昭和三五年から日立製作所で大工手伝、昭和三八年から大工手伝、昭和四〇年からミシン工場、昭和四五年から大工手伝、昭和四七年から同五二年まで合同製鉄の下請岩本組にて大工手伝

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四七年六月一九日慢性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五〇年九月まで慢性気管支炎一級

同五〇年一〇月から同五二年九月まで同二級

同五二年一〇月から同五二年一一月まで同三級

同五二年一一月九日気管支喘息追加認定

同年一二月から同五五年一一月まで慢性気管支炎及び気管支喘息二級

同五五年一二月から同五六年一月まで同三級

同五六年二月から現在まで同二級

五 発症時期

不詳

初診日

昭和四七年六月一六日千北診療所病名・慢性気管支炎

入院歴

昭和五二年一〇月一七日から同五三年二月一二日まで千船病院入院(その余の入院歴不詳)

六 病状の経過等

昭和四三年ころから、咳、痰が毎日出るようになり、同五〇年ころからは喘息様発作も起こるようになった。咳や痰はひどくなり、症状は、だんだん悪くなっていく状態である。ねばねばした痰が毎日出る。風邪を引くと痰が黄色っぽくなる。喘息発作は、昭和五二年ころから一か月に一五回位起こり、重症発作も月に一、二回起こっている。喘息発作の時は、息ができなくなり、喉がしめつけられたようになる。重い発作の時は、頭がボーとし、手足が痺れ、失禁することもあり、唇は青ざめる。普通人と同じペースなら二〇〇メートルしか歩けない。昭和五二年以降は月二〇日位通院をしている。

七 その他

喫煙歴

昭和二四年ころから一日一〇本、発症後も一日五本喫煙。

他疾患

肺結核(昭和二九年稲築病院入院、同三一年ころ肺成形手術)

原告番号八五(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

江島勝美 (明治四三年一月二五日生)(男)

二 居住歴

福岡県三潴郡にて出生

昭和一一年ころから西淀川区内に居住

三 職業歴

昭和二年から筑後川にて帆船による運搬業、昭和六年から兵役、昭和八年から同四二年まで住友金属鋼管製造所で工員(機械仕上工)

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四七年五月六日慢性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五〇年九月まで慢性気管支炎一級

同五〇年一〇月から同五一年一月まで同二級

同五一年二月から同五二年一月まで同一級

同五二年二月から現在まで同二級

五 発症時期

昭和四六年ころ

初診日

昭和四六年一二月一五日千北診療所

病名・慢性気管支炎

入院歴

不詳

六 病状の経過等

昭和四〇年ころから咳、痰が出始め、昭和四六年一二月から通院を始める。昭和四七年四月ころから、咳、痰が増加して次第に悪くなり、昭和四八年末ころから、労作時に息切れが起こるようになる。昭和四九年秋から、呼吸困難も起こるようになる。昭和五五年ころからは、痰のからむような咳が、毎日のように、夜中から明け方にかけて出て、ひどい時は、二、三時間咳が止まらず、脂汗が出て顔色や唇の色が青くなり、時には、意識がかすんだり、失禁をすることもある。痰は、粘着性があり、咳ばらいをしても取れない時は口に手を入れ指で引っ張り出す。息切れのため、ゆっくりとしか歩けず、自分のペースで歩いても、続けて一〇〇〜二〇〇メートル位しか歩けない。ほぼ毎日通院をしている。現在は、自宅でほぼ寝たきりの状態である。

七 その他

喫煙歴

昭和九年ころから一日一〇本程度、同四二年以降は一日三本程度喫煙。

合併症

心疾患(昭和四八年末に不整脈、心肥大が認められる)

原告番号八六(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

井上和清 (昭和一六年九月五日生)(男)

二 居住歴

西淀川区中島一丁目にて出生、同所で居住

昭和六〇年七月から同区中島一丁目一二番一五号に居住

三 職業歴

昭和三四年から株式会社水谷組、昭和四〇年から関光海運、同四二年から建設港業、昭和四五年から株式会社水谷組、昭和五二年から桑名組運輸、昭和五八年から太陽水素運輸でトラック運転手

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四五年一二月一日気管支喘息認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五一年九月まで気管支喘息三級

同五一年一〇月から同五六年九月まで同二級

同五六年一〇月から現在まで同三級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(昭和五〇年八月二〇日千北診療所 病名・気管支喘息)

入院歴

不詳

六 病状の経過等

昭和四二年ころから風邪をひきやすくなったが、同四四年一一月ころ、突然、喘息様発作が起こる。当初、喘息様発作は、夜中から朝方に起こることが多く、特に冬によく起こった。喘息発作は、同五一年ころには一か月に一〇回前後起こり、その後、増加し、同五二年ころからは、ほぼ毎日起こるまでに悪化した。喘息発作が起こると、息が詰まり、汗が出て声も出せず、机にもたれたりして前かがみの姿勢のまま治まるのを待つしかない。同五八年ころからは、体を無理せず薬を使用しておれば大きな発作は起こらないが、薬を忘れると必ず発作が起こるという状態である。

七 その他

既往症

肺結核(昭和三五年出来島松本医院)

気管支肺炎(昭和五二年ころ)

アレルギー体質(ブタ草)

原告番号八七(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

中野貢 (昭和七年四月一五日生)(男)

二 居住歴

鹿児島県にて出生

昭和四二年から西淀川区に居住

三 職業歴

昭和二〇年から農業手伝、昭和三二年五月から西村組、昭和三四年一一月から木材伐採、昭和三九年一〇月から同四二年一月まで紀和炭鉱、昭和四二年四月から三栄鉄工、昭和四六年七月から同五二年一〇月まで田中亜鉛鍍金でメッキ工、昭和五三年三月から同五五年七月まで寺前造園

四 公害病の認定状況

公健法

昭和五〇年一二月一三日慢性気管支炎認定

同五一年一月から同一二月まで慢性気管支炎三級

同五二年一月から同年一二月まで同二級

同五三年一月から同五六年一二月まで同三級

同五七年一月から同年四月まで同等級外

同年五月から現在まで同三級

五 発症時期

昭和五〇年ころ

初診日

昭和五〇年一〇月末千北診療所 病名・慢性気管支炎

入院歴

なし

六 病状の経過等

昭和四三年の冬ころから、咳、痰が出始めた。同五〇年ころからは、毎日昼夜を問わず咳、痰が出る。咳、痰は、就寝直後に出やすく、涙が出るほど激しく咳込み、顔面が赤くなり、呼吸が乱れ、発汗し、嘔吐が起きる。咳込みは、長ければ一時間くらい続き、一旦治まっても再発することが多く、一晩に何回も起きた。咳込むときは、横にもなれず、布団を丸めて支えにして座っている。咳込むとゼエ、ゼエという音がする。痰は、なかなか出にくく、ねばねばした白っぽいものであった。昭和五四年ころから呼吸困難が起こるようになり、同五七年二月ころからは息切れも出始めた。息切れのため、普通人と同じ速さでは歩けないし、坂道・階段を登るのも苦しい。発症当初から通院をしてきたが、同五〇年以降継続的に通院し、現在ではほぼ毎日通院している。

七 その他

喫煙歴

昭和三〇年ころから同四二年までハイライトを一日一箱喫煙。

原告番号八八(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

阪口正雄 (大正三年六月二三日生)(男)

二 居住歴

西淀川区出来島にて出生し、以後、同所に居住

三 職業歴

昭和四年から朝日新聞大阪本社活版部で印刷工、昭和四四年から同五〇年まで日刊印刷の印刷工

四 公害病の認定状況

公健法

昭和五一年七月一九日慢性気管支炎認定

同五一年八月から現在まで慢性気管支炎三級

五 発症時期

昭和五一年ころ

初診日

昭和五一年六月一七日千北診療所

病名・慢性気管支炎

入院歴

なし

六 病状の経過等

昭和三五、六年ころから咳、痰が出始めた。咳や痰は冬から春先によく出た。また、朝の起床時や体の疲れた午後にもよく出た。同四八年ころから、感冒時に咳、痰が多くなる。いつも、痰がつかえたような状態で、喉がゴロゴロしている感じである。その後、次第に常時咳、痰が出るようになった。同五一年二月ころには喘鳴もあり、同五四年ころから息切れが出始めた。発症後から現在まで、ほぼ毎日通院している。

七 その他

喫煙歴

昭和九年から同二〇年迄一日一〇本程度バット、戦後はピースを喫煙。

他疾患

昭和六三年八月ころから老人性痴呆症

原告番号八九(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

石田タミ (大正四年三月一日生)(女)

二 居住歴

鹿児島県指宿市にて出生

昭和二三年から同四五年まで大阪市此花区に居住

昭和四五年八月から西淀川区出来島に居住

三 職業歴

昭和四年から農業手伝、昭和八年から芝居小屋の接待係、昭和二五年から同三六年まで料理店で皿洗

四 公害病の認定状況

公健法

昭和四九年一〇月二日慢性気管支炎認定

同四九年一一月から同五五年一〇月まで慢性気管支炎二級

同五五年一一月から現在まで同三級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳

入院歴

昭和五九年一月下旬肺炎を発病し同年三月まで入院、同六一年一月に入院するも期間不詳

六 病状の経過等

昭和四六年ころから、風邪にかかりやすくなり、咳、痰が出始める。その後、症状が悪化した。咳と共に痰が終日出る。特に夜布団に入ってからがひどい。痰は、白っぽく、なかなか切れない。激しい咳込みや喀痰を繰り返し、朝まで寝られないことがある。息切れもあり、外出は、通院をする時だけで、手押車を押して歩行し、途中で息が切れると手押車に腰をかけて休む。このようにして通院するのが辛いので、一週間に一回位しか通院できない。症状がひどい時は休日に救急治療を受けることもある。

原告番号九〇(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

小笠原只吉 (明治四二年五月一七日生)(男)

二 居住歴

愛知県碧南市にて出生

昭和一九年から西淀川区内に居住

三 職業歴

大正一二年から左官業見習、昭和一七年から左官業自営、昭和四八年廃業

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四五年三月九日慢性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五〇年九月まで慢性気管支炎三級

同五〇年一〇月から同五一年九月まで同二級

同五一年一〇月から同五二年九月まで同三級

同五二年一〇月から同五四年九月まで同二級

同五四年一〇月から現在まで同三級

五 発症時期

不詳

初診日

昭和四五年二月一三日御幣島診療所病名・慢性気管支炎

入院歴

なし

六 病状の経過等

昭和三五、六年ころから咳や痰が出始め、同四二、三年ころには、一年中、昼、夜共に咳込みが起こるようになった。年三〜四回ひどい咳込みが続くことがあった。特に朝方は、痰が喉につまり、咳込みが激しく三〇分位続き、ひどい時は、三、四時間続くこともあり、身体中汗だらけで、顔も真っ赤になった。痰は、白くて粘着性があり、切れない時は指を喉に入れて引っ張り出していた。痰が喉につまり死ぬかと思ったこともあった。息切れも年々激しくなり、今では続けて一〇〇メートルも歩けない。昭和四五年以降、月平均二〇日ぐらい通院し、治療を受けている。

七 その他

喫煙歴

昭和四年(二〇歳)ころから一日四〇本、同一九年の配給制度から以降同五一・二年ころまで一日五・六本喫煙。

原告番号九一(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

田畑ナミ (明治四三年五月一二日生)(女)

二 居住歴

徳島県三好郡にて出生

昭和三一年から西淀川区に居住

三 職業歴

大正一一年から農業手伝、昭和三六年から製紙工場、昭和四二年から同五〇年まで西淀川区内の食堂

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四五年二月三日慢性気管支炎認定

公健法

昭和四九年一〇月から現在まで慢性気管支炎三級

五 発症時期

不詳

初診日

昭和四五年一月二八日西淀病院 病名・慢性気管支炎

入院歴

なし

六 病状の経過等

昭和四二年ころから、咳や痰が出始め、しだいに毎日出るようになった。同四五年ころから、一日中ひっきりなしに咳や痰が出るようになり、一日のうちでは夜寝てからの咳込みが激しく、週に二、三回、一時間位の咳込みが続いた。同四八年ころには、痰がつまり息が止まりそうになって、救急車を呼んだこともあった。咳込むと、腹の中がかきまわされるような、あるいは上に突き上げられるような気分になり、失禁することも何回もある。痰は、粘着性があり、なかなか切れない。息切れのため、続けて歩くのは一〇〇メートル歩いて休む状態であり、手押し車を使い、しんどくなると休む。現在は、月に二〇日前後通院している。

原告番号九七(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

矢内真保 (昭和三九年二月七日生)(女)

二 居住歴

西淀川区福町二丁目二八番四号にて出生、以来、同所に居住

昭和五六年から同町二丁目一二番一―四〇八号に居住

三 職業歴

昭和五四年四月から三洋電機株式会社歌島工場、昭和六三年一二月二〇日退職

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四七年一一月一八日気管支喘息認定

公健法

昭和四九年一〇月から同五二年八月まで気管支喘息二級

同五二年九月一日、喘息性気管支炎に認定変更

同年九月一日から同五四年二月七日まで喘息性気管支炎二級

同五四年二月八日、気管支喘息に認定変更

同年二月八日から同五五年二月まで気管支喘息二級

同五五年三月から現在まで同三級

五 発症時期

昭和四三年ころ

初診日

不詳(昭和四七年一一月一八日杉浦福町診療所 病名・気管支喘息)

入院歴

なし

六 病状の経過等

昭和四一年からゼーゼーという咳が出始め、同四三年から咳がひどくなり、咳込むと顔が土色になり、そのころから、喘息様発作が月に二回位起こるようになった。喘息様発作は、徐々に悪化し、昭和四五年から同五四年までが一番ひどく、重症の発作が数か月に一回、比較的ましな発作は月に数回あった。発作が起こると、息ができず喉がヒューヒューと鳴り、顔が土色、唇が紫になり、嘔吐することもあった。しゃべるのは辛く、食事もできない。夜はとても寝ていることができない。発作は、長くて一週間、短くても二、三日続いた。現在は、一週間位続く重い喘息発作が年に一回、三日位続く喘息発作が年に二、三回、軽い喘息発作は二、三日に一回ある。通院は重症の時は月一〇回位、現在は月五、六回通院している。

七 その他

アトピー素因

喘息性気管支炎についての判断

原告矢内は、昭和五二年九月一日に喘息性気管支炎に認定変更され、昭和五四年二月八日気管支喘息に病名が変更されているが、右病状の経過、前示気管支喘息の病態等に照らし、右期間中も気管支喘息であったものと考えられる。

原告番号一〇一(証拠<略>)

一 氏名(生没・性別)

野村光雄 (明治四五年一月一九日生、昭和四九年一二月一日没)(男)

二 居住歴

岐阜県にて出生

大正六年ころから死亡するまで西淀川区竹島三丁目五番一〇号に居住

三 職業歴

昭和一四年から高木鉄工所、戦後雑多な仕事に従事、昭和三五年から加納工務店で建築手伝、昭和四四年から同四九年一一月まで松原機工(鉄工所)で雑役

四 公害病の認定状況

特別措置法

昭和四五年三月一一日気管支喘息認定

公健法

昭和四九年一〇月から同年一二月一日死亡まで気管支喘息二級

五 発症時期

不詳

初診日

不詳(昭和四八年六月八日西淀病院 病名・気管支喘息)

入院歴

昭和四九年三月九日から同月三〇日、同年一一月二二日から同年一二月一日死亡まで西淀病院に入院。

六 病状の経過等

昭和四三年ころから、四季を問わず、咳、痰、喘鳴及び喘息様発作があり、歩行時息切れを伴うという症状となった。症状はその後も悪化した。発作は、日中にも起こったが、特に、就寝後に起こり、発作が起こると、喉がヒーヒーと鳴り、息苦しくて寝ておれず、布団を重ねてうつ向けに座ったまま夜が明けるのを待つことがしばしばであった。一日中、うずくまるようなかっこうで、発作に耐えていることもあった。昭和四九年三月に入院し、同年一一月からの二回目の入院中に症状が増悪し、心不全を併発して死亡した。死亡時には肺気腫も併発していた。

七 その他

合併症

肺気腫

別紙 第四分冊

図面―一<略>

目録一被告企業事務所一覧表<略>

目録二道路目録<略>

目録三差止め原告(住所地)一覧表<略>

目録四の一患者原告にかかる補償給付額総括表<略>

目録四の二公健法による給付額一覧表<略>

目録四の三特別措置法による給付額一覧表<略>

目録四の四大阪市公害被害者の救済に関する規則による給付額一覧表<略>

目録四の五第一表 公健法による給付額一覧表<略> 第二表 患者原告にかかる補償給付額総括表<略>

請求再建目録一二<略>

損害額表<略>

損害額計算表<略>

図表―一主要年における硫黄酸化物濃度の経年変化(年間平均値)<略>

図表―二続継一五測定局の二酸化硫黄年平均値の経年変化<略>

図表―三継続一五測定局の二酸化窒素年平均値の単純平均値の経年変化<略>

図表―四二酸化窒素の高濃度地域における年平均値の経年変化、二酸化窒素の高濃度地域における日平均値の九八%値の経年変化<略>

図表―五自動車排出ガス測定局の継続二六測定局における二酸化窒素年平均値の経年変化<略>

図表―六継続五測定局の浮遊粒子状物質又は浮遊粉じん年平<略>

図表―七主な大気汚染物質の市内平均濃度の経年変化<略>

図表―八二酸化硫黄(SO2)濃度の年平均値の経年変化(一般環境測定局)<略>

図表―九二酸化窒素(NO2)濃度の年平均値の経年変化(一般環境測定局)<略>

図表―一〇二酸化窒素(NO2)濃度の年平均値の経年変化(自動車排出ガス測定局)<略>

図表―一一<略>

図表―一二<略>

図表―一三<略>

図表―一四<略>

図表―一五<略>

図表―一六<略>

図表―一七<略>

図表―一八<略>

図表―一九<略>

図表―二〇<略>

図表―二一<略>

図表―二二<略>

図表―二三<略>

図表―二四<略>

図表―二五<略>

図表―二六<略>

図表―二七<略>

図表―二八<略>

図表―二九<略>

図表―三〇<略>

図表―三一<略>

図表―三二<略>

図表―三三<略>

図表―三四浮遊粉じん濃度経年変化(デジタル粉じん計による)(一般環境測定局)<略>

図表―三五浮遊粒子状物質(SPM)濃度の経年変化(一般環境測定局)<略>

図表―三六図―3 二酸化硫黄排出量の推移<略>

図表―三七淀中学校局における被告10社の計算濃度及び寄与率<略>

図表―三八淀中学校局における計算濃度及び寄与率(昭和48年度)<略>

図表―三九淀中学校局における計算濃度及び寄与率(昭和45年度)<略>

図表―四〇西淀川区内煙源事業所別寄与濃度(点源扱い分)

表―一の1関西電力株式会社の操業・設備の経過<略>

表―一の2発電量実績表<略>

表―二の1株式会社神戸製鋼所の操業・設備の経過<略>

表―二の2株式会社神戸製鋼所尼崎製鉄所の主製品の生産高の推移<略>

表―三の1合同製鉄株式会社の操業設備の経過<略>

表―三の2大阪製鋼西島工場(現合同製鉄大阪製造所)の主製品の生産高の推移<略>

表―三の3大谷重工業尼崎工場(現合同製鉄尼崎製造所)の主製品の生産高の推移<略>

表―三の4大阪製鋼西島工場・大谷重工業尼崎工場の主製品の生産高の各合計数値の推移<略>

表―四の1住友金属工業株式会社の操業・設備の経過<略>

表―四の2住友金属工業(株)製鋼所(此花区)の主製品の生産高の推移<略>

表―四の3住友金属工業(株)鋼管工場(尼崎市)の主製品の生産高の推移<略>

表―四の4住友金属工業(株)製鋼所・鋼管工場の主製品の生産高合計の推移<略>

表―五の1中山鋼業株式会社の操業・設備の経過<略>

表―五の2中山鋼業(株)出来島工場の主製品の生産高の推移<略>

表―六の1旭硝子株式会社操業・設備の経過<略>

表―六の2各工場の普板硝子・変板硝子の生産能力等<略>

表―六の3旭硝子株式会社生産高の推移<略>

表―七の1日本硝子(株)操業経過表<略>

表―七の2灯油、LPG、重油の使用量とガラス生産量の推移と比較<略>

表―八の1大阪ガス各工場の生産設備の経過<略>

表―八の2大阪ガス二工場の各年度(昭和四七年〜五四年度)の製造設備<略>

表―八の3大阪ガス酉島製造所生産量<略>

表―八の4大阪ガス北港製造所生産量<略>

表―九の1関西熱化学株式会社尼崎工場の操業・設備の経過<略>

表―九の2グラフで見る二〇年<略>

表―一〇の1古川鉱業株式会社の操業・設備の経過<略>

表―一〇の2古川鉱業株式会社大阪工場の製品生産高・原料消費高の推移<略>

表―一一西淀川区公害被害認定数

表―一二の一障害の程度と障害補償費の支給

表―一二の二指定四疾病にかかる障害補償費等についての障害の程度の基準

表―一四二酸化硫黄の平均値の経年変化(四〇〜五九年度)<略>

表―一五二酸化窒素年平均値の経年変化<略>

表―一六自動車排出ガス測定局の継続二六測定局における二酸化窒素年平均値の経年変化<略>

表―一七浮遊粒子状物質又は浮遊粉じん年平均値の経年変化<略>

表―一八西淀川区硫黄酸化物汚染測定データ一覧表(1)〔PbO2法、(昭和三四〜四九年)〕<略>

表―一九西淀川区硫黄酸化物汚染測定データ一覧表(3)〔導電率法、昭和四〇〜六三年度〕<略>

表―二〇西淀川区窒素酸化物(NO2)汚染測定データ一覧表(1)〔ザルツマン法、淀中学校、昭和四六〜六三年度〕<略>

表―二一西淀川区窒素酸化物(NO2)汚染測定データ一覧表(2)〔ザルツマン法、出来島小学校、昭和四六〜六三年度〕<略>

表―二二西淀川区浮遊ふんじん・浮遊粒子状物質測定データ一覧表〔淀中昭和四二年〜六三年〕<略>

表―二三<略>

表―二四昭和四五年度施設別SO2排出量の明細表<略>

表―二五大阪府、尼崎市の重油使用量、SO2排出量と中山の比率<略>

表―二六各発電所のSO2排出量<略>

表―二七硫黄酸化物排出量の推移<略>

表―二八硫黄酸化物排出量の推移<略>

表―二九鉄鋼関連工場からの硫黄酸化物排出量<略>

表―三〇<略>

表―三一NOx排出濃度規制値および排出濃度推移<略>

表―三二尼崎市立地の関西電力NOx排出量<略>

表―三三旭硝子のNOx使用量<略>

表―三四尼崎市の重原油使用量とNO2排出量について<略>

表―四〇西淀川区窒素酸化物(NO2)汚染測定データ一覧表(2)〔ザルツマン法、出来島小学校、昭和四六〜六三年度〕<略>

表―四一出来島地区におけるNOxの一時間値の平均値<略>

表―四二出来島地区におけるNOxの一時間値の平均値<略>

表―四三表=―一―一 環境大気の調査結果<略>

表―四四簡易測定(PTIO法)による窒素酸化物濃度 距離による減衰調査結果 尼崎市<略>

表―四五同西宮市<略>

表―四六同芦屋市<略>

表―四七道路構造別風向別NOx濃度表<略>

表―四八窒素酸化物測定結果<略>

表―四九窒素酸化物測定結果<略>

表―五〇煙突目録

表―五一西淀川区内煙突高表

表―五二ばいじん、粉じんの公害防止対策一覧表<略>

<編注・表13、35〜39は欠番>

認容債権一覧表

番号

氏名

認容額

更生債権額

遅延損害金起算日

2-1

城野百合子

金一四八六万一八一六円

金三一六万五三〇六円

昭和五七年  四月二三日

2-2

藤井京子

金九九万〇七八七円

金二一万一〇二〇円

昭和五七年  四月二三日

3-1

三好良秀

金五一二万〇一六二円

金一〇五万九五五九円

昭和五七年  九月二〇日

3-2

三木幸惠

金五一二万〇一六二円

金一〇五万九五五九円

昭和五七年  九月二〇日

3-3

三好優子

金五一二万〇一六二円

金一〇五万九五五九円

昭和五七年  九月二〇日

3-4

作田眞澄

金五一二万〇一六二円

金一〇五万九五五九円

昭和五七年  九月二〇日

4

山口ヤスノ

金七三六万二三六五円

金四四六万九二二一円

平成  二年  四月一八日

5

近江善太郎

金六二万九一七四円

金二〇万九七二四円

平成  二年  四月一八日

6

辻井博司

金八四五万七五二一円

金四三九万八〇三〇円

平成  二年  四月一八日

7

佐藤幹夫

金四二〇万五八三五円

金一四〇万一六一一円

平成  二年  四月一八日

8-1

前野八重子

金一一二七万〇九〇〇円

金三一六万一九七三円

昭和五七年一一月  六日

8-2

前野二三男

金三七五万六九九六円

金一〇五万三九九一円

昭和五七年一一月  六日

11

大戸孝行

金四五七万一九四五円

金一三四万四三三六円

平成  二年  四月一八日

12-1

吉本香智子

金七〇四万二七九六円

金三〇四万四三四四円

昭和五四年  四月  六日

12-2

吉本浩

金一四〇八万五五九三円

金六〇八万八六八八円

昭和五四年  四月  六日

14-1

鎌倉法明

金二〇一万三二四五円

金九一万四九二九円

昭和五七年  六月  六日

14-2

鎌倉時明

金二〇一万三二四五円

金九一万四九二九円

昭和五七年  六月  六日

15

樋口豊美

金三八八万七〇〇四円

昭和五三年一〇月二九日

16

真鍋昭夫

金六三九万二二五七円

金二一三万一〇八五円

平成  二年  四月一八日

17

岡前千代子

金八九九万八四四二円

金二三三万八三五五円

昭和六一年  六月二九日

20

水谷ハルコ

金二七〇万一五二一万

金一二二万八一四五円

平成  二年  四月一八日

21

今井正子

金一二三一万五三三二円

金二五八万一五四三円

昭和六〇年一一月  九日

22

高田トメノ

金二四三万一七五五円

金六〇万七六八八円

平成  二年  四月一八日

23

松高惠美子

金一五六六万一七九八円

金三四二万四三四八円

昭和五九年  八月  五日

24

道下洋子

金一七五一万五六四五円

金六六二万四七五六円

昭和五四年  三月二三日

25

寺脇輝芳

金三八九万三八八〇円

金一一四万五一四一円

平成  二年  四月一八日

26

早川健三

金二四一万八九三四円

金四八万三七八六円

平成  二年  四月一八日

27

山木トモエ

金二七五万二八六五円

金六八万八七一六円

平成  二年  四月一八日

29

南竹田鶴子

金二四〇〇万〇〇〇〇円

昭和五六年  八月  二日

30

村上武男

金四四五万四六二〇円

金一四八万四八七三円

平成  二年  四月一八日

33

小角嘉子

金六五〇万〇九八一円

金二八八万九六五八円

昭和六二年  三月一九日

34

坂口ヨシ子

金五二二万二五二一円

金二〇八万九〇〇八円

平成  二年  四月一八日

35

西田正勝

金五四五万八五四九円

昭和五五年一一月一八日

36

山崎末子

金五二四万〇五四六円

金一九三万一三五九円

平成  二年  四月一八日

37

寺井利雄

金一四八〇万五七二一円

金二一四万七二七二円

昭和六三年一二月  九日

39

中川繁子

金二九四万九五二一円

金一一七万九六〇八円

平成  二年  四月一八日

41

竹内壽美子

金四一七万一二一一円

金一六六万八八八四円

平成  二年  四月一八日

43

小谷信男

金四九五万九五六六円

金一九八万三四二六円

平成  二年  四月一八日

44

佐々木近一

金五八万七五九一円

金二三万四八三六円

平成  二年  四月  八日

45

蔵元カネ

金一〇九万〇五五三円

金二一万八三一〇円

平成  二年  四月一八日

46

小宮路清盛

金一二〇万九六二三円

金一七万三〇八九円

平成  二年  四月一八日

48

吉村ツルヨ

金一四六万九六五〇円

金四三万一八三八円

平成  二年  四月一八日

49

保川スミ子

金六七万三一四八円

金九万六四四九円

平成  二年  四月一八日

50

吉野八重子

金五六八万九四七一円

金二二七万五九八八円

平成  二年  四月一八日

51

土井笑美子

金五〇八万四一七一円

金一八七万二九〇五円

平成  二年  四月一八日

52

山下明

金四〇万四九八七円

金一三万四六六二円

平成  二年  四月一八日

54

松浦つゆ子

金一四一万七八八三円

金三五万四二二〇円

平成  二年  四月一八日

55

戸田ツルエ

金九二万一五九三円

金二三万〇三九八円

平成  二年  四月一八日

56

仁井芳子

金三一一万〇三八五円

金九一万四五八三円

平成  二年  四月一八日

57

大西政一

金五二九万三八七一円

金二一一万八一四八円

平成  二年  四月一八日

58

今井房子

金二五五万八一八六円

昭和五七年一二月一〇日

59

北村浅男

金一四〇万三七一六円

金二八万一一四三円

平成  二年  四月一八日

62

平松ナラエ

金一七〇万三八五六円

金五〇万一五四五円

平成  二年  四月一八日

63

上村泰野

金二六八万三五五〇円

金六七万〇八八七円

平成  二年  四月一八日

65

高須不二枝

金二二三万七八一〇円

金六五万八四七三円

平成  二年  四月一八日

66

村上清

金一五七万四六九七円

金四六万三〇八七円

平成  二年  四月一八日

67

武田フサ

金二七万九二七一円

金一一万一七〇八円

平成  二年  四月一八日

68

海野ハナエ

金二九七万二九二一円

金一一八万九一六八円

平成  二年  四月一八日

72

松本八重

金一三九九万九九四八円

金二九一万一八二三円

昭和五九年  八月二八日

73

大島俊子

金一一五九万三二六一円

金一七九万三八三八円

昭和六〇年  七月二一日

74

竹下博

金六四四万七四八一円

金二五七万八五九二円

平成  二年  四月一八日

78

矢間兼行

金四万三四七六円

金八八九五円

平成  二年  四月一八日

79

小塚百合子

金三五三万一三二〇円

金一一七万七一〇六円

平成  二年  四月一八日

83

垣野内フミエ

金五五万一四九五円

金一八万四一六四円

平成  二年  四月一八日

84

川久保益生

金三九二万二七七三円

金一三〇万七五九一円

平成  二年  四月一八日

86

井上和清

金三二一万六九三一万

金一二八万六九七二円

平成  二年  四月一八日

87

中野貢

金八六万八七二九円

金一七万三九四五円

平成  二年  四月一八日

91

田畑ナミ

金七九万三一六一円

金三一万七四六四円

平成  二年  四月一八日

97

矢内真保

金八五万一二四六円

金二八万四〇八一円

平成  二年  四月一八日

101-1

野村キミ

金三五八万七五〇二円

金三五八万七五〇二円

昭和五三年  四月二八日

101-2

野村榮司

金一一九万五八三四円

金一一九万五八三四円

昭和五三年  四月二八日

101-3

野村健次

金一一九万五八三四円

金一一九万五八三四円

昭和五三年  四月二八日

101-4

倉橋妙子

金一一九万五八三四円

金一一九万五八三四円

昭和五三年  四月二八日

101-5

帆刈敏子

金一一九万五八三四円

金一一九万五八三四円

昭和五三年  四月二八日

101-6

野村良信

金一一九万五八三四円

金一一九万五八三四円

昭和五三年  四月二八日

101-7

野村末治

金一一九万五八三四円

金一一九万五八三四円

昭和五三年  四月二八日

(以上)

請求棄却原告目録

1

中嶋惠子

10

渡邊美和子

13―1

萬野米子

13―2

萬野年哉

13―3

大橋正通

13―4

中西由美子

19―1

前田シゲ子

19―1

前田清

31―1

金壽今

31―2

李瑩一

31―3

李永任

31―4

李京順

31―5

李敦京

31―6

李斗利

31―7

李敦観

31―8

李敦基

31―9

李末南

32

藤澤敏郎

40

福田美津子

53

丸石市子

64

貞安ハルミ

70

塚口アキエ

75

今川末四

76

里邑吉雄

77

上原秋夫

82

今川三次

85

江島勝美

88

阪口正雄

89

石川タミ

90

小笠原只吉

93

佐井稔

95

生熊耕治

96

宮野繁和

98

永野千代子

99―1

網城英雄

99―2

網城俊子

100―1

西尾安治

100―2

西尾恭一

100―3

西尾達雄

100―4

西尾優

100―5

西尾二郎

1

中嶋惠子

10

渡邊美和子

13―1

萬野米子

13―2

萬野年哉

13―3

大橋正通

13―4

中西由美子

31―1

金壽今

31―2

李瑩一

31―3

李永任

31―4

李京順

31―5

李敦京

31―6

李斗利

31―7

李敦観

31―8

李敦基

31―9

李末南

32

藤澤敏郎

40

福田美津子

53

丸石市子

58

今井房子

64

貞安ハルミ

70

塚口アキエ

75

今川末四

76

里邑吉雄

77

上原秋夫

82

今川三次

85

江島勝美

88

阪口正雄

89

石川タミ

90

小笠原只吉

93

佐井稔

95

生熊耕治

96

宮野繁和

99―1

網城英雄

99―2

網城俊子

100―1

西尾安治

100―2

西尾恭一

100―3

西尾達雄

100―4

西尾優

100―5

西尾二郎

(以上)

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